コラム集

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記事

仲間の音

おはようございます。きょうも書いていきます。

新しい環境になると、耳がとがる。パソコンのキーをパチパチとたたく音、スマホを机にゴトッと置く音、気を張っているからか、感覚が鋭敏になってどれも鬱陶しく思えてしまう。誰しもが邪魔をしてくるかのような、なにかただならぬメッセージを送ってきているような気がする。なに食わぬ顔で。

しかしやがて時間が経つと、その音は消えている。正確には鳴っているが、いくぶん

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蜜月

おはようございます。きょうも書いていきます。

死が身近になったと思う。イランの司令官が暗殺され、旅客機は墜落して、新宿で首吊り自殺があった。2020年の幕開けは、死のオンパレードといったところだ。この数年、大学での死についての人気授業や、安楽死を肯定的に捉える風潮など、死が生を乗り越えてきている感じがある。では死とは一体なんだろうか。

僕は死はある種の「諦め」ではないかと考える。それは諦めたら

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6

やかましいわ

おはようございます。きょうも書いていきます。

年末、地元に帰って、友人たちと会った。新宿駅から下る電車に乗る。西へ近づくにつれ、車内の様相が変わる、というのは、おさないころ、耳障りに感じた、母のぼやきである。それをいまの歳になって、自分も感じるようになった。

駅前の居酒屋で、同級生と卓を囲む。店内にはタバコの煙が充満している。こっちは分煙もまだかよ、と思う。隣の客がうるさい。注意すると、少しの

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8

差別と区別

おはようございます。きょうも書いていきます。

客の入っていない店の隅で、店員がスマホをいじっている。見たことのない機種だと思った。夜はまだ遅くなかったが、店の奥から別の店員がバケツとモップを手にやってくる。もう清掃の時間か。

これは中国のある場面だ。僕は友人と飯を食っていた。僕は店員たちが気になったが、中国の友人は一瞥もくれない。さみしかった。同じ人間なのに、こうも分かれているのかと感じた。店

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7

らしさなんてないさ

おはようございます。きょうも書いていきます。

おばけなんてないさおばけなんてうそさ、という歌があった。おばけなんて信じていないと言いながら、でも実際にいたらどうしようという子どもたちの気持ちをふくむ歌だ。それをいずれビジネスの現場で、思い浮かべることになるとは露にも思わなかった。

おばけではない。らしさである。らしさらしさ。言い換えれば「ビジョン」「理念」「哲学」と、キリがないだろう。私たちは

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5

「私」から「公」へ

おはようございます。きょうも書いていきます。

思考にはトレンドがある。それは「何を信じるか?」という問いに起因する。たとえば宗教が全盛期であったころは、神を信じているので、よい行ないをすれば善人であり天国へ行けた(実際に行ったかどうかは定かではない)。そのあと「神は死んだ」ので、人は人を信じるようになり、よいか悪いかを自分で判断するようになった。

「天才」も信じる対象である。天才は遺伝しない。

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5

選ぶ者

おはようございます。きょうも書いていきます。

「生き残るのは、強い者でも賢い者でもなく変化する者だ」といった類の、ダーウィンの言葉を引用する例は多い。しかし最近ではこのような言葉が、彼の著作『種の起源』には載っていなかったという説が、風潮としてある。ここでその真偽は問わないが、僕らがなぜ「変化」という言葉をすき好んで多用するのかということについては、疑っていきたい。

そもそも「変化」は常に起き

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5

完成の断捨離

おはようございます。きょうも書いていきます。

先日、「謝罪という逃避」と題したコラムを書いた。会議をはじめとした、人前で何かを表現するときに潜む、逃亡の心について触れたかったのだが、そのあと人と話していて、気づきがあった。個人のみが問題なのではない。その場の状態も問題なのだ。

僕らはどこかで完成品を求めている。それは完成した意見、完成した発表、完成した作品、完成した質問といったように、誰がどこ

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7

謝罪という逃避

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「〜できなくて、すみませんでした。」という言い回しを使ったことはあるだろうか。僕はある。しかもよく使っていた。思い出すのは仕事で「今回はこのような結果になってしまい、すみませんでした。」や「みんなのおかげで挑戦ができたのに、すみませんでした。」のようなセリフだ。

今、その言い回しにすごく違和感を覚える。狡いと思う。言っていた僕は、心のどこかで「これ

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8

退屈

おはようございます。一週間ぶりに書きます。

数年前『ここは退屈迎えに来て』という小説を読んだ。当時、「マイルドヤンキー」という言葉が、世間に普及しはじめていた。普及した、といってもそれは一部の人たち、つまり都会に住む、一定の教育機会を得た人たちに、認められていたというのが正確だ。その小説は、そんなマイルドヤンキーの暮らしを描いたような、都会に出た人間が田舎に残した(と、彼らは思っていない)同級生

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