快楽だけでは幸せになれない!?

一言でいうと

快楽と意義の重なった行動が幸せをもたらす

活用シーン

生き方

内容

次にあげる行為は、あなたにとってどのくらい楽しいだろうか?
0(楽しさゼロ、そんなことしたくもない)から10(この上なく楽しい)までで点数をつけてみてほしい。

(a)大好きなチョコレートを食べる事
(b)祖国のために戦争で戦う事
(c)趣味に没頭すること
(d)子育て
(e)アフリカに病院を建てる事
(f)地球の温暖化を止める事
(g)セックス
(h)サッカーのワールドカップを見る事
(i)高齢の女性が道路を渡る手助けをすること
(j)カリブ海での休暇

ほとんどの人は、「セックス」「チョコレート」「サッカー」「休暇」を9もしくは10、「子育て」を2もしくは3と評価する。

では次の質問。先に挙げた行為はどのくらい「有意義」だと思うか?

するとほとんどの人は、前とは違う行為を高く評価する。
「子育て」は「休暇」よりもずっと点数が高く、「道路を渡る手助け」は「チョコレート」より有意義という結果が出る。

Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法
ロルフ・ドベリ(著)

楽しいことに没頭する享楽主義というのは、ちょっとまずい。「スマホで面白い動画を見ている(楽しい事)から、老女の道路の手助けなんてしてられない(意義ある事)」というと、その意味が解ると思います。

じゃあ逆に意義ある事を優先するとしあわせになるのでしょうか?これはこれで、不条理な結論にたどり着く。国のために命を捨てようという、戦士やテロリストの行動が幸せに持ち上げられるのはちょっと気味の悪いはなしです。そこで、快楽の要素と、意義の要素があってはじめて幸せが近づくという考え方が、現実には近いところでしょう。

ここからはわたしの考えですが、人は、純粋に楽しいと感じることがある一方で、人に認められることで感じる幸せがあるのではないかと思っています。余談ですが、某高級車のCMは、お金持ちの元だけでなく、一般ピーポーのもとにも届けなければならない、と言われているそうですね。なぜなら、それは羨望の眼で見られることも、その高級車の商品価値であるから、この車を変える人をうらやましがる人が必要なんだとか。

なんだかちょっといやらしい話になっちゃいましたけど、人が社会的な生き物である以上、誰かから認められたい、あるいは認めらられるであろうことをやる、というのは幸せの要素の一つなのかもしれません。


私はこんな本書いてる人です(^^)/




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