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教師の期待が児童を育て、社会の期待が教師を育てる!?

一言でいうと

期待されると期待された通りの成果を出す傾向がある

活用シーン

人生、成長、子育て、教育

内容

1964年米国心理学者ロバート・ローゼンタールによる研究。
ネズミを二つのグループに分け、学生に世話をさせた。
二つのグループには以下のようにそれぞれ伝えた。
A:利口な系統のネズミだと学生に伝えた
B:動きが鈍い系統のネズミだと学生に伝えた

次に、迷路による実験結果の差を調べる。すると、「利口なネズミ」と伝えられたネズミのほうが結果が良かったと言います。実際にネズミは実は能力の差などはなく、ランダムにグループ分けされただけなのにもかかわらず、です。

この実験を契機に、人間においても同様の実験が行われた。
サンフランシスコの小学校で、学級担任の先生には
Aクラス:数か月の間に成績が伸びる子どもたち
Bクラス:そうではない子供たち
もちろんこのクラス分けは単に無作為に分けられたため、何の偏りもないのですが成績が伸びるとされたクラスが実際に成績が伸びたと言います。

『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』
前野隆司

このことをピグマリオン効果と呼びます。
実は私は、後者の実験である子どもたちの成績の実験よりむしろ、ネズミの実験のほうがすごく関心があります。

人間であれば、先生が感じている期待感や、繊細な対応な、言葉などで先生が自分たちを扱うような期待にこたえたいという気持ちも出てくるかもしれません。しかし、ネズミはたぶん、人間の期待に応えようとする理由がありません。だからすごくナゾなんです。なんだかわかりませんが、何かしらの意志が通じた結果ではあるのでしょうが、その根拠は果たして何なのか。これを解明すると、ちょっとオカルトチックな事実が発見されるんじゃないかと、個人的には期待しております(笑)

・・・っと、ちょっと脱線しました。

この実験はけっこう有名です。たぶん、教育者の方々なら大抵知っている話ではないでしょうか。教え子をどう思いこむかで、教え子の成績が変わるとしたら、成績が悪いクラスを持っているとしたらそれは、教え方以外に先生の心構えの問題かもしれない、という域に話は入ってきそうです。

学校の先生って、子どもが「わかる」「できるようになる」ということがたぶんゴールなんだと思いますが、そこはさておき、(一方的に)「教える」ことが仕事という感覚が蔓延しているような気もします。もちろんすべての人がそうだとは言いませんが、そういう人が増えている感じは否めません。大企業病的なモノが教育現場にも蔓延しているような気がするのです。

それは結局、ルールや規律で縛っている現状が影響しているのかもしれません。すなわち、社会が「ルールや規律があり、監視の目がなければ、社員や教員はしっかり働かない」という前提に立っているからなのかもしれません。社会が教師のや社員に期待していないから、期待されない姿の教師や社員が出来上がるのかもしれません。これは、ネズミでも、児童でも、大人でも、同じことなのかもしれません。まずは期待から、広げていくべきなのかもしれません。


私はこんな本書いてる人です(^^)/




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