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あの日、横浜の有隣堂で

1977年。ロッキード事件の初公判が開かれた。王貞治は世界新記録の756号ホームランを放った。キャンディーズが解散宣言。私は12歳、本が好きな、赤い眼鏡をかけた小学生だった。

ごく普通のサラリーマン家庭に育った。三人姉弟の一番上で、2歳下の妹、3歳下に弟がいる。小学校時代は父の仕事の都合で横浜の、山を大きく切り開いて建てられた団地に住んでいた。当時は地下鉄もまだ通っておらず、横浜駅までバスなら20分ぐらいの距離だが、三ッ沢競技場を過ぎたあたり、急な長い坂道のところで必ず渋滞した。子供の足で歩くと50分ぐらいだったろうか。どのみち駅に一人で行くことはなく、母親に連れられて月に1度、出かける場所でしかない。

横浜に出るのが楽しみだったのは、本を買ってもらえたからだ。母は給料日が来ると子供三人を大きな書店に連れていき、一人に1冊ずつ好きな本を選ばせてくれた。一番多かったのは横浜駅の地下街にある有隣堂書店だ。バスを降りてからの、地下道のルートをいまだに覚えている。それほどの広さはなかったと思うけれど、新刊雑誌とドリルと実用書しかない近所の個人書店とは品ぞろえがまったく違う。
本を買った後、ごくたまに、同じ地下街にできたばかりのサーティワンアイスクリームに連れて行ってもらえた。ミントのアイスクリームを初めて食べて、世界が開けた気持ちになった。

本の虫だった私は本屋につくと、児童書のコーナーから本を熱心に物色した。短い本ならその場で読み通す。本を選んでしまうと、迷っている妹や弟に「これにしたら?」と自分が読みたい本をすすめて、母にたしなめられていた。
書店にいるのがただ楽しかった。ああ、新しい本の匂いってなんていい匂いなんだろう。深く深呼吸しながらまだ読んだことのない本の背にさわる。至福の時間だ。

1977年の秋、いつものように有隣堂に行った私は、一冊の本に釘付けになった。セピアカラーで描かれた繊細な挿画のなんとも不思議な雰囲気と、縁取りの配色に心ひかれた。本のサブタイトルは見慣れないフォントだった。ブックケースから本を抜いて、わくわくしながら本を開く。

今日買う本はこれだ、と思った。目に入ってくる言葉の並びが魅力的で、たたずまいがある。12歳の子供がたたずまいというのも変だが他に言葉がなく、感覚の記憶を言葉にするとそれが近い。年齢に関係なくそういうことを感じる体験は、本好きにはわかると思う。
よし、と本をブックケースに戻し、何気なく本の裏表紙を見て、どきんと心臓が鳴った。その本は1600円だったのだ。

1600円。当時買った本の値段をすべて覚えているわけではないけれど、それでもたいていの本は750円、800円。高いものでも1000円少しだった。1600円という金額は、自分の金銭感覚を大きくはみ出していた。

ねだってよいのだろうかと逡巡した。うちは貧乏というわけではない。それでも、日頃から母が細かいやりくりをしていたことは言葉の端々からよく知っていた。こういうとき、妹や弟は無邪気に欲しいものを買ってと言うが、長女には迷いが出る。

でも、私はどうしてもこの本が欲しかった。家に帰って、ページをめくり、物語に没頭したかった。それだけの価値がある本なのだから。

お姉ちゃんはもう決まった?母に聞かれたとき、私はすでに本を抱えこんでいて、手から離すこともできなかった。とはいえ、黙って差し出すのもはばかられ、母の顔色を見ながら言った。

ちょっと高いんだよね…。

母は、子供の気持ちがよくわかる親だったと思う。それにしなさい、ほかには何も言われることなく普段と同じようにレジでお金を払ってくれた。

嬉しくて嬉しくて家に帰って子供部屋に入り、ケースから本を取り出す。この素敵な本が、私のものになった。あらためてオレンジ色で縁取られた表紙を眺める。サブタイトルも素敵だった。

時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語

これが私とミヒャエル・エンデの『モモ』との出会いだ。岩波書店から前年刊行され、この年すでに三版となっていた。

何度この本を読んだだろう。40年以上、自分の好きな本ベスト3に『モモ』はランクインし続けている。大人になってもなお深い意味と読みを与えてくれる。そして、本を開くたびに、私はあの日の有隣堂を思い出す。

この本は間違いなく面白いと、私の友達になってくれる本だと、まだ1ページも読んでいないのに確信する。そういう出会いが書店にはある。ネットで多くの本や電子本を買うようになった今でも、紙の本に、そして書店にこだわり続けるのは、このときの思い出があるからだ。

書店はパブリックでありながら、同時に極めてパーソナルな場所だ。何人で行ったとしても、そこにあるのは個人と本との1対1の関係。背表紙や表紙、目次、ぱらぱらとめくった行間が自分に語りかけてくる。コミュニケーションは人と人の間に成り立つだけではなく、人と本もまたコミュニケーションをとる。
たとえ目当ての本がなかったとしても、満ち足りた気持ちで店を出られるのは、豊かな本とのコミュニケーションが書店にあるせいだと思う。

1977年のあの日、横浜の有隣堂書店で感じたのと同じ気持ちをまた感じたくて、私はこれからも本屋に通い続ける。

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お読みいただき、ありがとうございました。わたしにとって大切な本屋を(というより本屋と人との出会いを)守りたいという気持ちで、私は今回、「ブックストア・エイド」に参加しています。もし、これを興味や共感を持ってくれた人がいたら、ぜひ読んでみてください。

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読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。