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人と関わらないと人のことを理解なんてできない

「会える誰かがいる人が羨ましい」。

社会と遮断された生活を送りながら、そんなことを考える。


私は友達が少ない。いないわけじゃない。会えないだけ。数が少ないのは事実だけれど、全員大切な大切な人たち。
でも物理的な距離というのは意外と辛くて、いくら文明の利器であるスマホが発達しようとも、私の寂しさは埋まらない。

はっきり言ってしまえば、私は寂しがりのメンヘラで、わがままで、どうしようもないやつなのだ。

私は人間が好きで、好きで、嫌いで、でも好きだ。

人間に興味があるし、一人一人を知りたいと思うし、誠実でいたいと思う。
でも一方で、人間と会うたびに気疲れしたり、一人反省会をしたりする。そして、猫に「世界に私とあなただけだったらいいのにね」とか話しかける。
この二つが拮抗して、勝つのは前者だった。



私は友達がほしい。友達とかわがまま言わないから、せめて会って話せる人がいたらいいのにと思う。
でもそれって、すごく難しい。
大抵の人は忙しいし、まともな人は私のような人を避けるから。
でも、

私、一生分の「ひとり時間」を過ごしたような気がするのです。

ずっとひとり。私が知っているのは、本の中の人たちだけ。

私がカトリックになった理由は、「外から理屈をこねくり回す人間じゃなくて、内部も外部も見て本質を掴めるバランス力をもった人間になりたい」からだったのに。

信仰に関係なく、今の私は「人間を外から見て理屈をこねくり回す人間」になってしまっている。

私は現状を変えたい。

私もちゃんと人と向き合いたい。
人間を、理屈じゃなく理解したい。一人一人に誠実でありたい。きちんと心の一部分を交換し合いたい。

私には難しい。今までずっとできなかったことだから。
そして、人と関わることは人を傷つける可能性があることで、私はその責任を自覚しなければいけないから。

私は責任を負うと承諾のサインをして、人と目を合わせていきたい。一人一人の目をちゃんと見たい。今までみたいに逸らし続けるのではなく。



今までの人生で、私は今一番人間について考えている。
19年なんて、先輩方から見たら短い期間だけれど。19年間生きてみて、人間ってなんなんだろう、人と人との関わりってなんなんだろうと考えている。

その答えを出すために、私は一人で理屈をこねくり回すのは嫌だ。
そんなのは机上の空論だから。
私はきちんと人々の一人一人と向き合って考えていきたい。
そして願わくば、その人々のうち一人でも、私との関わりの中で人間とは何か、人と人との関わりとは何かについてヒントを掴んでもらえることがあったらと思う。



受け身じゃダメだ、行動しなきゃ。
わかっているけれど、足がすくむ。
わかっているけれど、声が出ない。

これから私が少しずつでも、人と接することができますように。
焦らず、努力し続けたい。
そのために、私は今日も文字を紡いだ。

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10
〜2020.1
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