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【映画感想文】ある男

日本アカデミー賞を受賞した「ある男」が凱旋上映していたので見に行きました。こうゆう映画は映画館で見た方が集中力が保てるのでとても助かります。


感想

テセウスの船みたいな話だと思っていました。実際にそれっぽいシーンがあるのですが、それを言う人物が違いました。

「僕の名字は何回変わるの? 僕は誰になればいいの?」

"ある男"の子供悠斗でした。

テセウスの船とは"パーツが全て変わっても前の船と同じ船といえるのか"というものです。この映画だと名前を変えたXさんとその名前で生きてきた人は同一人物なのかということです。 

分かりやすく言うと
秦かおるとXさんが名前を交換して、Xさんは秦かおるとして生きて、秦かおるはXさんとして生きる。このとき、名前を変える前の秦かおると名前を変えた秦かおる(Xさん)は同一人物と言えるかっていうことです。


映画ある男のある男は名前を変えて生きているのでテセウスの船っぽさを感じてました。この人は一体誰なのか…


しかし、悠斗の「僕は誰になればいいの?」には自分はどうしたらいいのかという不安を全てぶつけた一言に感じました。正にテセウスの船。僕は誰…??

名字って自分を表すものの1つで、私です!と主張できるものだと思います。結婚すると名字は変わります。あの人とこの人は婚姻関係であると。

でも子どもは違う。もちろん家族である証明の名字だし、新しい自分に生まれ変わるものである。でも、何度も名字が変わると…? 

悠斗はお母さんの名字→ある男の名字→お母さんの名字と変わっている。悠斗はまたお母さんの名字に変わる訳だが、前の悠斗には戻れない。そう感じたのではないでしょうか?



私は名字が変わる経験がないので、悠斗の気持ちを分かることは出来ません。ですが不安や不快感は感じました。

上手く言葉に出来ませんでしたが、もっと考えを深めておきます!これが活用出来る日がくるといいな。


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