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老いて噛み締める人生の味、サンドイッチで言うと何サンド?(小原信治)

「人生はサンドイッチのようなものさ」

 2021年2月2日の放送の「渋谷のラジオの惑星」を聴き直しているうちに記憶の底から甦っていた台詞がある。
「人生はサンドイッチのようなものさ」
 それが、今回のお題の出所だ。とは言うものの、さて、何の台詞だったっけ。そしてどんな意味だったか。そもそも人生とは本当にサンドイッチのようなものなのだろうか。人生について書きながら検証してみようと思う。

真っ赤に燃える何かを探していた青春のトマトサンド

 人生おけるサンドイッチといえば、番組でも話していたトマトのサンドイッチを10代の頃よく作って食べた。青春時代のバイブルだった漫画『あしたのジョー』14 巻。玉姫公園で矢吹丈が乾物屋の紀子の作ったサンドイッチを食べていたシーンを思い返しながら食べていた。

「矢吹くんトマト挟んだのが好きだったわね。この一列トマトよ」
 黙々と食べるジョー。死闘を繰り広げたカーロス・リベラが世界チャンピオン・ホセ・メンドーサに挑み、1RでK.Oされたのは世界戦の前に日本の矢吹丈という無名のボクサーによって廃人にされていたからだ、という報道で一躍時の人となった直後のことだ。彼は重過ぎる十字架を背負っていた。自分と死に物狂いで殴り合って命を落としたり、再起不能になったこれまでの対戦相手たちに対して。自分はなぜ殴り合うのか。何の為に殴り合うのかについて自問自答していたのだろう。その心中を察したように紀子が言う。
「矢吹くん、ボクシングやめたら?」「同じ年頃の青年たちみたいに青春を謳歌すべきよ」
その問い掛けに対するジョーの返答が有名過ぎるラストシーンに繋がる、あの台詞だ。
「そこいらの連中みたいにブスブスと不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよ、眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そして後には真っ白な灰だけが残る」
 それこそがトマトのサンドイッチを黙々と食べながら、ジョーが考えていたことだったのだ。

 トマトの酸味と甘味を引き立てるマヨネーズの旨味。ぱさぱさのパンにトマトの瑞々しさがもたらす程良い水分。あの頃の僕はジョーと同じトマトのサンドイッチを食べながら、彼と同じように人生について考えていたのかもしれない。自分がほんの瞬間にせよ、真っ赤に燃えられるものは何なのか。やりたくないことだけは明確なのに、やりたいことは茫漠としていた、あの頃の僕は。

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