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何でも検索できる時代の小説

何でもインターネットで検索できる時代。
大抵のことは、スマホ1つで簡単に調べられるようになった。

情報の海、いや洪水とも言える大量のコンテンツが
世界中に溢れている。

例えばGoogleで「恋愛」と調べれば、たったの0.6秒で約2億2千件の情報が。「Love」と調べれば0.76秒で約122億件もの情報がヒットする。

メディアやニュースだけでなく、誰でも情報を発信でき、あらゆる人の意見や経験に出逢える時代。

そんな令和の現代にも、分からないことはあるものだ。
ネットで検索しようが、Yahoo!知恵袋を漁ろうが、図書館に行って片っ端から本を読もうが、欲しいと思っている核心に迫る情報が得られない。

皮の鞄に染みをつけてしまって綺麗に落としたい。
自分で布マスクを作ってみたい。

こんなお悩みへのHowはすぐに調べられるのに。
同じように、あっという間に分かったらいいのにと願う内容もある。

例えば自分と同じ経験をした人がどう乗り越えたか、どんな気持ちになったのか、そして何が正しい対処方法なのか。

手を変え品を変え検索してみるけれど、なかなかコレという情報は見当たらなかったりする。

考えてみれば当たり前で、全ての人が自分の経験をネットに書くわけでもなく、書いたとて本心であるかも分からず、似たような状況を見つけられたとしても変数が多すぎる。

大変なこと、乗り越えたいことができた時、思わずGoogleで検索してしまうのは時代だなあと思うけれど、全ての情報が手に入るわけじゃない。

調べても調べても救いはなく、もうダメだと思った時、私は小説を読む。

テーマは決めなくてもよくて、惹かれたものを片っ端から。
本屋さんで前面に置かれている最新の本でもいいし、図書館で小説の欄を行ったり来たりして気になる作家の本を手に取ってもいい。

小説は、生きる上ですごく助けてくれる。
考え事でいっぱいで言葉が頭を埋め尽くす時も、知らない国への一人旅で、少しだけ怖くなって動けなくなった時も。

物語のページを捲れば、あっという間に新しい世界へ没入できる。
第二次世界大戦中のハワイでも、2050年の東京でも。

登場人物や語り手の目線を行ったり来たりしながら、違う人の目を通して、他の人生を経験している気持ちになる。

悩んでいたことは現実世界に置いて、入り込んでいた小説の中から帰ってきた時、何か気づきがあったりする。

辻仁成「日付変更線」のタイトルの意味を知った時に。

辻村深月「傲慢と善良」の”大恋愛をしてるんだね"というハッとさせられる台詞に。

湊かなえ「母性」の愛とエゴの差に。

行き詰まって、ひとしきり調べても答えが見つからない時。
頭の中の喧騒から離れて、静かに浸りたい時。

インターネットでもビジネス関連の本でもなく、小説を読む。

いつ、何に対する助けが得られるかは分からないけれど、一冊一冊の物語が自分を作っていく感覚。どこかでそっと記憶を取り出して、こんな考え方もあったなあと温め直す。


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