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私の留学体験記。テキサス編

こんにちは。かれこれ20年も前の話なので何も役立たないと思いますが、自分の記録用として書いていこうと思います。

参考になるかもしれないし、ならないかもしれないブログです。前回、私は芸術大学の通信を卒業するブログの中で、留学した話を書きました。
自分の中で、留学するきっかけとなった事、アメリカでの暮らしを描いて行こうと思います。

留学するきっかけとなった事

私には6歳年上の姉がいます。姉はカトリック系の高校へ進学したことから
卒業後語学留学をするためにNZへ留学していました。その頃私は中学一年生です。ちょうど英語を習いだし、異国の文化にものすごい興味がある年頃でした。
姉がNZに留学して夏に母と一度NZに行き姉の暮らすクライストチャーチを訪れた時に、英語に挑戦してみたり、1人で買い物したりと13才の私には刺激的な日々でした。
頭の悪い私は、物覚えが悪く、英語が好きだけど単語を覚えようとすると面倒くさくなってしまう。でも、文化的なことに興味があり英語の音楽をよく聴くようになりました。ちょうど、マライヤ・キャリーとかマドンナ、ジャネット・ジャクソンが流行っていた時期でもあります。

私にとって1番多感な時期だと思います、その時に海外の音楽に触れたことは
留学への第一歩になったと思います。

姉が滞在していたクライストチャーチは大聖堂があり、とてもコンパクトでとても綺麗な街でした。東南アジアからの移民も多く、姉が連れて行ってくれたアジア料理のお店やイギリス料理で初めて食べたキャロットケーキ、まだ馴染みの無かったチョコミントなど、田舎ものの私には刺激が沢山でした。今でもその時の記憶ははっきりと覚えています。私にとってその経験は生涯忘れる事のない経験です。

オーストラリア、メルボルンへ

デザイン専門学校時代に研修旅行として、オーストラリアのメルボルンへ行こうと申し込みしました。仲の良かった友達は誰もいなくて、クラスからは私1人、あとは他のクラスの子達とその時に初めて仲良くなりました。私が当時在籍していたのはイラストレーション学科で絵本を選考していました。他の学生はデザイン学科の子が多く、私はメルボルンでひたすら本屋巡り。スーツケースいっぱいの絵本を買って帰りました。デザインとかその時はあまり興味がなくて、本気で絵本作家になろうと考えていた時なので、真面目に絵本を購入して勉強していました。その時に、メルボルンの綺麗な街並みに惹かれ将来この街で暮らせたらいいなぁと夢を見ていましたが、メルボルンではスリに合いそうになったりヤク中らしい男性に追いかけられたり、コンビニでぼったくりにあったりと悪い思い出の方が多かったことを思い出します。この時に思うのは、縁が無かったのかもしれないと言うことです。もし、住んでいたらよく無いことが起こっていたかもしれませんね。

テキサスはダラスへ

メルボルンへの留学話が無くなった時に、母の伝でテキサス留学の話が持ち上がりました。SIEPという留学サポートを受けながらテキサスのダラスへ行くことになりました。私はダラスで語学研修を受けた後に、サンアントニオという街の大学へ行く予定でしたが途中でロサンゼルスへ変更します。

ダラス大学という大学の中の語学学校では映画を使ったカリキュラムがあり、映画のワンシーンから語学を学びます。その時みた映画は、The BigやWhile you were sleepingといった古い映画ですが、どちらも英語が分かりやすく今では思い出の映画になっています。
先生もユーモア溢れる先生が多く、アメリカの学校では授業中にお菓子を配ってくれたり、スナックが用意されていていつも甘い匂いがしていました。
レッスンごは自由にコーヒーを飲んだり、お菓子を摘んだり、とてもワイワイと楽しく過ごせたと思います。ダラス大学の寮に住みながら語学留学をしていたので、毎日の食事は大学内のカフェテリアでブッフェ形式の食事でした。
その時に、マッシュルームとブロッコリーを生で食べていたのには驚きましたが、食べてみると美味しくてびっくりしました。

アメリカ人の方々はマカロニチーズやビザが大好きなようで、大体マカロニチーズは1番先になくなっていました。私は、色んな種類の物を色々味見したくて、全部試していました。1番好きだったのは、チキンにグレービーソースをかけた物です。あとは、ビザですね。食後のアイスもカフェテリアから持ち帰り寮の冷蔵庫へ名前を書いて保管。シャワーを浴びた後に、1人で部屋で食べるのがとても好きでした。

ダラスの土日の買い物

大学の寮に住んでいたこともあり、車も持っていない私は
どこかに出かけるとなると、誰かに乗せて行ってもらう、または、バスに乗って出かけます。

大学の目の前にガソリンスタンドがあり、インド系の方が経営していてそこに
簡単な売店がありました。そこにいってはお菓子を買ったり、暇つぶしによく行っていました。
あとは、モールまでバスで出かけることが多かったです。
その頃、日本にあまり無かったスターバックスに行くのが嬉しくて嬉しくて、しかもモール内の本屋でコーヒーが飲めるシステムに驚いていました。日本では絶対に無いし、今ではどこでもありますがその当時はなかったので驚きです。
土日というと、日本人の友達や外国人の友達と出かけたりとにかくショッピングが多かったのを思い出します。

外食で1番好きだったのは

テキサスで美味しいと思った食事は、韓国料理とベトナム料理、外国の人が作るお寿司でした。
日本では焼肉ですが、韓国料理をきちんと食べたことがなくて前菜がズラーっと並べられてそれが全てサービスだということが驚きました。どれを食べても美味しくて安いし、エゴマの葉っぱで巻いたり、韓国には一度も行った事がないのですが、アメリカの韓国料理はとてもおいしかったです。あと、ベトナム料理です。フォーも今はどこでも食べられますが、内臓を煮込んだフォーは今もないと思いますがテキサスで食べたことがあります。あの時食べたものと今食べているものは少し違うような気もしますが、日本食に飢えていた私はラーメン的なものが食べれて心がホッとしました。あとは、海外の人が作る寿司です。
日本の正統派のお寿司ではなくて、海外の人がアレンジした創作寿司が美味しくて、天ぷらロールとか、ドラゴンロールとか、アボカドが入ったカリフォルニアロールとか、巻き寿司をさらに天ぷらにしてそれに甘じょっぱいタレとマヨネーズらしきソースがかかっていて、甘めな味付けですが癖になる味でした。

海外で食べるお寿司に少し感動しました。普通の握り寿司は日本でも食べれるけど、天ぷらロールってなかなか見かけないので当時の私はよく食べていました。

すごいものに出会うテキサス

車を持っていなかったので、よくみんなと歩いてお出かけしていましたが
平坦でまっすぐな道はとても果てしなくて北海道のようです。でも、周りは砂漠て乾いています。そんな道を歩いていると、どこからかプーンと刺激臭がします。そうです、スカンクの死骸です。死骸でも臭いのです。
私はみたことはありませんが、時々サソリも出ると聞いて、ビクビクしていたことがあります。ゴキブリも巨大サイズで日本にはいないサイズに引きました。

あと、驚いたとこがあります。
貨物列車の長さです。夜中、長い時は通り過ぎるまでに1時間はかかる時があるそうです。1時間は待ちたくないですよね、、。短くても10分とか待ちます。笑

アメリカあるあるかもしれませんが、テキサスでもカリフォルニアでも同じだったのですが、アメリカの高速道路では石が飛んでくる率が高いです。日本でもたまにあるかもしれませんが、アメリカでは良く飛んできます。日本よりも大きなダンプが走っていたりタンクローリーの大きなタイヤからビュンって飛んできます。カン!と車体に当たる音が良く聞こえてきますので運転の際は気をつけてください。

危ないと感じたこと

私は直接危険を感じた出来事はなかったのですが、友達や先輩で強盗などの話を聞きました。アパートに住んでいた先輩が韓国人のお友達とルームシェアしていたときに、チャイムが鳴りドアを開けたときに銃を突きつけられたようです。本当ならそこで絶対に抵抗せず、手を上げて要求された物を出さないと命が危ないようですが、そのルームメイトが反撃し犯人は逃げていったそうですが、本来なら絶対にしてはいけないようです。

911にいたずら電話は絶対してはダメと聞いたこと。
確認のために、来るそうです。

あと、モールでは走らない。万引き犯と間違えられるそう。

車を運転中、絶対にドアから出ない、手を上げて待つ。が鉄則らしいです。
警察官の指示に従って、車から降りたりトランクを開けろと言われたら開ける。
私はアメリカで警察官のお世話になったことはないのですが、そういう話を聞くとビクビクしちゃいますね。

また、パート2へ続きます。

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