屋久島のエコツアーに匹敵する場所が、すぐ近くにあった。

大学4年生の時、そして社会人1年目の時。

私はこれまで2回、屋久島に飛んだ。

世界遺産にも登録されている素晴らしい自然を体験したくて、エコツアーに参加した。

私が参加したのは、沢登りと、ウミガメと泳ぐシーカヤックと、苔むす白谷雲水峡のトレッキングだった。それぞれに素晴らしい体験だった。

ナウシカに出てくる世界がそこに広がっていて、興奮した。なんて幻想的な風景なんだと、常にため息が出るほどだった。

そしてそれから何年もたち、石徹白という岐阜の集落に移住した。石徹白は陸の孤島。里山から続く奥山に囲まれ、四季折々、その美しい自然の移り変わりに常に感動を覚えている。

でも、移住してから今まで、3人の子供達の妊娠と出産で、動物的にも「母」だった私は、子供達のことが中心で、私が自然を味わう時間を持つことが本能的にできなかった。(やはり子育て中って、あまり外に目が向かない。内向きになって、子供を守ることが最優先な精神状態になるんだと思う)

それが今年からほとんど外れて(!!)、こんなに豊かな場所に住んでいたんだという歓喜でいっぱいの日々を過ごしている。

私は屋久島で経験した自然の豊かさをいつでも自分の中に持ってきた。それだけ素晴らしい体験だったのだ。

でも、今年、子供達とたくさん経験した石徹白の自然の中での遊びを通じて、これまで私を支えてきた屋久島での経験を、石徹白の自然が塗り替えてくれたと思っている。

水族館のようにたくさん魚がいる川で、魚と一緒に泳げたことは、シーカヤックでウミガメと出会ったことに負けないくらい貴重で豊かな経験だった。私は改めて、生きているものが好きなんだと思った。

小さな魚たちが群れをなして、一生懸命川上に向かって泳いでいるところを、私は川下に向けて、浮かび流れながら、眺めているだけで、なんて幸せなこと!と思う。

ただただ一緒にいること。一緒にいることを感じること。それは、私が、自然の中の一員として認めてもらっているような安心感を覚えるのかもしれない。

星野道夫が書いていて印象的だったのは、クマがすぐそばに住んでいる豊かな生態系が広がっていることへの喜び。

そう、私は、すぐ近くに、ダイナミックな自然があり、そのすぐそばで暮らしているということ(それは常には見えないのだけれど、その雰囲気を感じること、空気感があること)に心が踊り、純粋な喜びを感じる。


そして、先日経験したシャワークライミング。その場所は、屋久島の沢登りの川と同じくらい、いや、それ以上の、不思議で魅惑的な場所だった。

岩盤が張り出し、そここに透明な水が流れ、森の天使が水浴びしているようなプールにいくつも出会った。

私たちは川の中を登り、滝を登り、プールに飛び込み、その清らかな流れを全身で体験した。指先がしびれるほど冷たくて、全てが清らかだった。

屋久島の沢登りでは、「水が綺麗すぎて、魚が住めないんだよ」とツアーガイドが教えてくれた。ここも魚の気配がなかった。魚が生きることのできないような地形だった。魚も生きれないような場所・・・。

自然の豊かさを超えた、でも豊かさの中にある場。

どうやったら、こんな地形ができるのか不思議だったけど、水がしかるべきところを流れ、それによって削られ続けている岩盤が作り出した形。

私はそれを眺めていて、水のようになりたいと思った。水のようになって、しかるべきところに流れていく「自然」を私の中にも当たり前のようにあり続けて欲しいと思った。

興奮の最中で、なかなか言葉にならない。でも、これだけの場所がすぐ近くにあること、興奮したことを覚えておくためにも、書き留めておきたいと思った。

なんども訪れたい。そして、他の場所にも足を運んでみたい。この周りをもっともっと知ってみたいという気持ちで溢れている。

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