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染められる、食べられる、森をつくりたい

森をつくりたいと思う。

石徹白は山の中にある集落なので、木々の恵みをふんだんに受けて、木を植えて育てる必要もないような、恵みがある場所。

これまでも、染めに必要な葉っぱや木の枝は周辺の森からいただいてきた。周りを見渡せば、自生しているくるみや栗、杉もいっぱいある。

なんだけど、あえて、木を植えて、森を作りたいと思う。

果実のなるもの、染めに使えるもの。私たちが生きていくのに必要なものを、必要な本数(そんなに多くなくていい。すでにいっぱいあるから)、身の周りに植えておく。

木に実がなって、それを子供達が拾って食べて、木の葉は染めに使って、暑い時は木陰で休んで(ハンモックなんかも吊って)・・・なんて生活、素敵じゃない!?

そう思うのは、私が学生時代から通っているカンボジアのクメール伝統織物研究所で、何もないまっさらな荒地から、木を植えて、森を作り、染め織の村を作り上げた森本喜久男さんの活動を見てきたから。

たった10年で、100人ほどが住む、豊かな生態系の村ができていた。そしてそこで誇りを持って染め織の仕事をする人たちが生活を営んでいる。

今、コロナでカンボジアを訪れる観光客も減って、大変なことになっているんだけど、それでも、そこにある恵みによって生きるために食っていくことには困らないと、SNSの発信で知って、森の豊かさを改めて感じている。

石徹白には、すでに森があって、川があって、人の営みがあって、信仰もある。足りないものは何もない。けれど、人は、必要な木を植え、欲しい花を植え、野菜や米を育てて、集落をより美しく創り続け、そして保ってきた。だから、私もただ、その流れの中に在りたいと思う。

木を植えること、森を育てることは石徹白の人にとっては特別なことじゃない。隣のおじいさんは、うちの長男の初節句の時に、鯉のぼりの棒にと、おじいさんが20代の時に植えた杉の木を、その場で伐採して、運んできたくださった。

とても立派な鯉のぼりになった。そして、そのおじいさんは、最高にかっこよかった。そんなプレゼントできる人に、いつかなれるかわからないけれど、せめて私も目指していきたい。

石徹白の人がやってきたことを、私もやっていきたいだけ。


今日はりんごの木を2本と、梅の木を2本を植えた。あとはブルーベリーを植えるつもり。本当は石徹白の山からとってきたものを植えたいのだけど、その知恵は今年教えてもらって、来年目指そう。少しずつできることをやっていこう。

何があっても生きられる、この土地なら、食っていけると思って移住したけど、それ以上の豊かさがここにある。だから私はそれを引き継いでいける人になりたい。それが、ここにきて学ばせてもらった、生かされていることへの恩送り。

今日もお隣のおじいさんに、抱えられないほどの菜の花をいただいた。いつもありがとうございます。ごちそうさまでした。


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