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こどもとうみ「もう言われないでしょ。ここまで来たら。」

 子どもを持てないかもしれないということで、珍しくマイナスな考えが纏わりついてはがれない日々があった。親の気持ちのわからない人が教育に携わってて良いのだろうか?産まなければ分からないことはどう足掻いても分からない。海に入るのをやめて、このまま不妊治療を続ける覚悟は出来ているのか?ストレス溜まったら元も子もないじゃないか!などなど。

 結論から言うと、私は不妊治療を途中で止めることにした。

 それが30代だったから、「まだ産めるのに」「まだチャンスあるのに」と誰にも言われていないのに、そう思われているのではないかと言う変な気持ちと自分自身にもそう思えて問いかけたりして、自分で決めたとは言うものの、100%スッキリした訳でもない状態が続いていた。

 マイナスな考えが珍しく纏わりついたので、一新する為に大好きだったけど、幼児教育の世界から離れることに決めた。何をしたかというと、、、植木屋さんに弟子入りして植木職人を目指そうと思った。突拍子もないと思うかもしれないが、これには訳がある。手塩にかけるのは、子どもも植物も一緒と思ったから。単純すぎる!笑

 新しく飛び込んだ世界はそれはそれで楽しくて、おじさんの友だちがたくさん出来たし、地下足袋履いて、腰道具をつけて、モトクロスバイクに跨って颯爽と現場に向かって、保温ジャー仕様のお弁当箱でお昼食べて、おっさん真っしぐらで、大好きなお天道さまの下で働く毎日は充実していた。

 でも、唯一誤算があった。

 手塩にかけた植物はしゃべらない。。。。。ちゃんと枯れかけてても蘇るし、手を入れた分成長は確実に大きくなるけれど、しゃべらない。。。。

 その反応に物足りなさを感じ始めていた頃、大好きだった保育現場で尊敬していた先輩にバッタリ会った。私の格好を見て、「何やっているの?仕事辞めたの?」とビックリ。不妊治療のこと、辞めた経緯などを話すと、ピシャリ。

「たとえ産んだとしても、自分で産んだ子どもの数なんてせいぜい2−3人よ!それより、今まで見てきた子どもの数の方が多いに決まっているんだから、そんなことを気にする必要は全くない!自分の子育て論だけで保育を語る人の方が、よっぽどダメよ!!だってあんたの子育て論が万人に通用する訳じゃないのよって言いたい。あなたは、その分たくさんの子どもとその親も見て来たんだから、たくさんのケースを知っている。それを語れば良いでしょ!」

 こう言われて、あっという間に幼児教育の世界へ戻った。(ここも単純)そこからは「先生は子どもを持ったことがないから分からないんですよ」と言われようが、「先生は本当に子どもたちのこと愛してくれる。産んだこともないのにね〜」と言われようが、全く気にならなくなった。これホント。

 もう子どもたちの為だけに!と教育の仕事に邁進し続けた。

 そして、45歳になった時、「もうここまで来たら、言われないでしょ。産まないの?とか、産みたくないの?とか、産めなかったの?とか」と清々しい気持ちになった。
なんだか正真正銘 産まなくても引け目も感じず、堂々としていられる時が来たような気持ちだった。(今思えば、少々バカバカしいけどね 笑)

 その間、大好きな海の遊びも続けていたので、相変わらず私は海から学び続けていた。そして、なんとかして保育の中に『海のある環境』を作りたいと奔走するも、遠足で行くのが精一杯。海は確かに「死」に直結する確率が高いので、怖いと思うかも知れない。でも、たまに行くから怖いわけで、毎日のように行っていれば、何が怖いかを子どもたち自身が知ることが出来る。そうなると、どうすれば怖くないように出来るかを子どもたち自身が学ぶ。そこには、誰かにとっての「怖い」ではなく、自分にとっての「怖い」が大切な指標となり、自分の直感が頼りである。自分の身は自分でしか守れない環境の最たる場所である訳で、海は「生きること」を全力で教えてくれる場所である。

 しかし、教育現場での「海は怖い」というレッテルは簡単には到底剥がせないものだった。。。。

the sea always teaches me to live

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