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あの憧れを、いま

昔から、ピアノが弾けるようになりたかった。

小さい頃近所の教室に通ってはいたけれど、1年も経たないうちに辞めてしまったから、今でも『ねこふんじゃった』くらいしか弾けないのだ。辞めてしまったのは、一緒に習っていた双子の姉の方が上達が速くて、取り残されてしまうのが悔しかったから。毎週「行きたくない」と泣く私を見かねた母は、代わりの習い事を始めることを条件にピアノを辞めさせてくれた。

代わりに私が始めたのは、そろばんだった。昇級試験に落ちることも、後から入ってきた同級生に級を追い越されてしまうこともあったけれど、比べる相手が「姉」でないことがピアノよりも圧倒的に楽だった。それに、気づけばできるようになっていた暗算は本当に便利で、遠足のおやつはいつも300円ぴったりに買うことが出来たし、算数のノートが筆算で埋まってしまうこともなかった。

けれど、そろばんにはピアノにはある「華」がなかった。毎年クリスマスの頃に開かれていた発表会のステージにドレスで立つ姉。小学校の制服でそろばんの大会に出席する私。合唱コンクールでピアノを弾く姉。後ろでソプラノのパートのひとりになっている私。

今なら「隣の芝生は青く見える」で済ませられることが、悔しくて悔しくて仕方なかった。先にピアノを辞めた私はどこか逃げてしまったようで、その後ろめたさも感じていた。駄菓子屋でお釣りの無いように買い物をすることよりも、算数の時間にみんなより少しだけ早く問題が解けることよりも、優雅にピアノを弾けることの方が当時の私にはずいぶん価値があるもののように感じられたのだ。

「やっぱりもう一度、ピアノが習いたい」

きちんと口に出せば変わっていたかもしれないのに、言えなかった。もう遅いかもしれない。出来ないと言われるかもしれない。聞きたくない「もしも」で理想を塗りつぶしたまま、私は大人になった。


「私、ピアノが弾けるようになりたいな」

この間、高校時代の友人と話していてふと口を衝いた。小さい頃からずっとピアノを続けてきて音楽大学も出ている彼女だけれど、「間に合わない」とは言わなかった。

「嬉しい。ピアノ、楽しいよ!」

目をきらきらさせて、嬉しい、嬉しい、と繰り返してくれた。

「大人になってからでも大丈夫かな?」

「全然大丈夫!私の先生がやってる教室にも20代の男の人がいるけどね、まだ上手じゃなくても、すっごく楽しそうに弾いてるよ。その人が弾くの見てたらもう『いいぞいいぞー!』って感じなの」

小さく右手を突き上げる彼女の動作に、くすくす笑う。

「私でよかったら教えてあげられるよ。かおりちゃんが好きそうなの、楽譜選んどくから!」

ぽろんと零れた昔の思いが、ぐんとスピードを上げて流れだす。悔しさが、どんどん薄まってゆく。もう間に合わない、だなんて思い込んでいるのはきっと、私だけなのだ。

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