鎖を解く
今年の一月、同期と久しぶりに食事をした。彼女と最初に会ったのは、入社試験の最終面接。たまたま同じグループになった、あの日からの縁なのだ。
お店は彼女おすすめの、落ち着いた雰囲気の居酒屋だった。会社では誰にも言えない愚痴を言い合おうよ、と設けた食事会。どの料理もおいしかったけれど、ふたりとも少し疲れていた。入社二年目が終わろうとしているのに仕事はまだまだ分からないことだらけで、ふたりの部署柄、大先輩を相手に交渉や説明をしなければならない気疲れも重なっていた。何度か彼女がトイレで泣いているのを見かけたこともある。あまり大きな声では言いたくないけれど、もちろんその逆も。
お酒が進むと、どちらからともなく言いだした。
「今の仕事、このまま続けようって思ってる?」
彼女はもう転職サイトを見ている、と言っていた。特にどこ、と決めているわけではないけれどいいところがあれば考えたい、と。「かおりちゃんはどう?」と聞かれて、まだ誰にも言っていなかった本当の気持ちがぽろんと零れた。
「そうだなあ、私もちょっと考えてる」
刺身の盛り合わせをつつきながら、彼女になら言ってもいいかな、と思った。最終面接で彼女と会ったあの日、一緒に帰った電車の中で、私は今の会社とは全く違う業界の会社を第一志望だと伝えていた。
「でもそれは、リベンジがしたいから」
私が転職したい会社は、たったひとつだけだった。新卒のときにはご縁がなかった第一志望の新聞社。三年経ったらリベンジするのを目標に、勉強も続けていた。毎日欠かすことなく新聞を読んで、時事問題のまとめ雑誌も買っていた。「ちょっと」とは言ったけれど、本当は「ちょっと」じゃないことも彼女になら言えた。
彼女は驚かなかった。閉店まで粘ったお店を出て夜道を歩いているときも「格好いい」「応援してる」と何度も繰り返してくれた。
「かおりちゃんの名前が初めて載った新聞を買いたい」
赤信号で止まっているとき、彼女がぽつりとつぶやいた。嬉しかった。絶対に今年決めてやる。風は手がかじかむほどに冷たかったけれど、体の芯はぽかぽかと温かかった。
*
今年五月、二回目の入社試験を受けた。ここで書いたこともあるけれど、今年も不合格だった。新卒の時には受けられた最終試験にすら、今回は手が届かなかった。
ちゃんと伝えないとな。そう思ってはいたものの、会社が休業になり彼女と会う回数はめっきり減ってしまった。
*
今日、久しぶりに社員食堂で彼女と会った。ふたりで並んで座ったのは壁に向かったレイアウトのカウンター席。ほかの人には口元が見えないのをいいことに、彼女にこっそり伝えた。
「あのね、今年もだめだった」
彼女は「そっか」とパンを食べながら、ポケットのスマホを探す。
「かおりちゃん、今年試験受けるんだろうなって思ってデジタルで購読始めたんだ」
申し訳ない気持ちがこみ上げる。本当に読み始めてくれたのか。
「二回落ちるなんて、向いてないのかも」
「そんなことないよ」
「来年また受けたくなったら受けてみるかも。もうちょっと、よく考えてみようと思う。でもね、やっぱり書くの好きだなって思って、毎日ネットに文章投稿し始めたよ」
「え!それってnote?」
「え!知ってるの!?」
彼女はよくnoteの記事を読んでいるのだ、と教えてくれた。「自分は読むだけだけど、書くのはどう?」と聞いてくれたのが嬉しくなって、家族にも言っていないことをぺらぺらとしゃべった。
フォロワー0から始めたけれど、編集部のおすすめに選んでもらったことをきっかけにフォロワーさんがついたこと。無料公開にも関わらずいただいたサポートのコメントが嬉しくて、今でも時々読み返していること。どんな記事を出しても、毎日読んでくださる方がいること。
そして、時には欲が出てしまうこと。書くのは楽しいけれど、周りをみるとすごい文章を書く人がたくさんいて自信がなくなること。それでもその正直な気持ちを書くと、応援のコメントをくださる方がいること。変わらず読んでくださる方がいること。
だから、毎日書けるのだということ。
「おすすめにも選ばれたなら、私も読んでるかもね!」
彼女はきらきらした目で、そう言ってくれた。袋から覗いたパンを齧りながら「私、かおりちゃんが本当は強いの知ってるよ。あの日からのご縁ですから」ともごもご。ごくんと飲み込むと、こう付け足してくれた。
「格好いいね」
そのひとことは、あの冬の日と何も変わっていなかった。
*
私は今まで、自分で自分に呪いをかけていた。夢は叶えなければならない。人に言ったことならなおのこと。それを叶えられないなんて、恥ずかしいことだ。努力が足りていないからだ。
けれど、彼女が見てくれていたのはそこじゃない。
「本当にやりたいこと」を私がしているかどうか。前に進もうとしているか。きっと、それだけだ。
*
転職したい、という彼女だけれど、手を抜かず、きちんとひとつひとつの仕事に向き合っていることを私は知っている。部署は違うけれど、入社当時と変わらない爽やかな電話対応は、私のデスクまで聞こえてくることがある。そんな彼女だから、私にまで気を遣う。
「もしかおりちゃんの記事見つけて気づいても、内緒にしとくね。だってのびのび書けなくなるでしょ?」
そんな優しくて真面目な彼女に、この記事が読まれることはあるだろうか。
ちょっぴり教えてもらいたいなあと思う私もいるけれど、もし見つけたら、そっと心の中に収めてね。
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