「座敷童子の呪い」期待という名の「エゴ」のベクトル変換
ここ近年「期待」は良くないな~っと思う。【期待】に対して熟考してみた。
【期待する】って 良い言葉っぽいけど… 期待したときほど「ざんねん感」や「ガッカリ感」がハンパナイ!!
「すご~~~く、びっくりするほど美味しい料理のお店があるの!」ってハードル爆上げでいくお店は…「期待値」が「超高」
もしかして、食べたら気絶…いや、感動で踊っちゃうほどかな~!!!
脳内の想像は天界レベル!!!
でで、現実は…おいしいけど…踊るほどじゃないわ。
爆上げのハードルに届かないと↓…残念&ガッカリ…
美人は来ないよ…ってな前置きの「合コン」に行った男子!期待していない状態。絶世の美女はいないだろな~ハードルは低め。
でで、ちょっと可愛い子がいたら「テンション爆上げ」↑やった~!!
人間って「期待するほど」ガッカリだ!
親や子ども 家族 友達や恋人 同僚 社会 国…
その対象に「期待」しているときって
【依存心】があり、「奪うベクトル」
きっと!自分が期待しているようなことをやってくれるだろう!!って
でも
期待した人の「期待に答えられない」と「期待を裏切る!」という!「裏切り者(悪者)」にさせられてしまう😭
期待した人の「期待のハードル」は、意外に高い…。
座敷童子という妖怪しってますか?
家に幸福をもたらす「福の神」といわれているけど、家主がまじめに働き「座敷童子」の「期待通りの人生を送っている間」は良いけれど、希望に添えないような「醜態」がバレたとき、家運が傾き、一家離散・家屋倒壊になるという。
【期待】=【座敷童子の呪い】にちかい。
じゃあ、まわりにまったく「期待せず」にいればいいのか?
たしかに「期待」というプレッシャーを相手にかけ無くなり相手は楽になるし、自由感が増す。
相手ものびのび?自分はさびし?
でも、それって「無関心」???ネグレスト!??
で、「結論」!は
「信頼する」だ!
信頼って、本当に難しい。
すぐにできるものではない。
まるで毛糸から「セーター」を編むぐらい時間がかかるもの。
すこしずつ積みかせねていく
繊細で丁寧で優しくて集中してできあがっている。
何万個のドミノを永い時間かけて並べてきたみたいに。
信頼という「積み重ね」があってはじめて「信じる」ことができる。ぶつかって倒れたこともあったけど、また積みなおしていった「絆」
それが「期待」を越えることが出来る「信頼」になる!
わたしは「人間」や「地球」に期待はしない!
でも、長きに渡り「私の声」を聞いてくれる「人間」と「地球意識」と「宇宙存在」を「信頼」している。
「信じる気持ち」が「現状を変える」
「信頼」が「地球次元」を変えていく!
「期待」と「信頼」
似ているけど、まったく違う方向性や性質をもっている。
いまもっている「期待」のベクトルを「信頼」に変えていこう。
わたしはみんなの「期待」には答えられないかもしれないけれど「信頼」をすこしづつ築いていきたいです。ゆるぎない宇宙の愛のように…
すべてをつつみこむ大きな愛の輪になる。
魂の修行も 「信頼」を築くためのものなんですね。
お酒が大好きです。一緒にカンパ~イしたくなったら 一杯ごちそうしてくださいな☺