見出し画像

「座敷童子の呪い」期待という名の「エゴ」のベクトル変換

ここ近年「期待」は良くないな~っと思う。【期待】に対して熟考してみた。

期待(きたい、英:expectation)とは、何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。また、当てにして待つこと

wiki


【期待する】って 良い言葉っぽいけど… 期待したときほど「ざんねん感」や「ガッカリ感」がハンパナイ!!

「すご~~~く、びっくりするほど美味しい料理のお店があるの!」ってハードル爆上げでいくお店は…「期待値」が「超高」

もしかして、食べたら気絶…いや、感動で踊っちゃうほどかな~!!!

脳内の想像は天界レベル!!!
でで、現実は…おいしいけど…踊るほどじゃないわ。

爆上げのハードルに届かないと↓…残念&ガッカリ…


美人は来ないよ…ってな前置きの「合コン」に行った男子!期待していない状態。絶世の美女はいないだろな~ハードルは低め。

でで、ちょっと可愛い子がいたら「テンション爆上げ」↑やった~!!

人間って「期待するほど」ガッカリだ!


親や子ども 家族 友達や恋人 同僚 社会 国…

その対象に「期待」しているときって

【依存心】があり、「奪うベクトル」


きっと!自分が期待しているようなことをやってくれるだろう!!って

でも

期待した人の「期待に答えられない」と「期待を裏切る!」という!「裏切り者(悪者)」にさせられてしまう😭

期待した人の「期待のハードル」は、意外に高い…。

座敷童子という妖怪しってますか?

家に幸福をもたらす「福の神」といわれているけど、家主がまじめに働き「座敷童子」の「期待通りの人生を送っている間」は良いけれど、希望に添えないような「醜態」がバレたとき、家運が傾き、一家離散・家屋倒壊になるという。

【期待】=【座敷童子の呪い】にちかい。

じゃあ、まわりにまったく「期待せず」にいればいいのか?
たしかに「期待」というプレッシャーを相手にかけ無くなり相手は楽になるし、自由感が増す。

相手ものびのび?自分はさびし?
でも、それって「無関心」???ネグレスト!??

で、「結論」!は

「信頼する」だ!


信頼って、本当に難しい。
すぐにできるものではない。

まるで毛糸から「セーター」を編むぐらい時間がかかるもの。

すこしずつ積みかせねていく
繊細で丁寧で優しくて集中してできあがっている。

何万個のドミノを永い時間かけて並べてきたみたいに。

信頼という「積み重ね」があってはじめて「信じる」ことができる。ぶつかって倒れたこともあったけど、また積みなおしていった「絆」

それが「期待」を越えることが出来る「信頼」になる!

わたしは「人間」や「地球」に期待はしない!
でも、長きに渡り「私の声」を聞いてくれる「人間」と「地球意識」と「宇宙存在」を「信頼」している。

「信じる気持ち」が「現状を変える」

「信頼」が「地球次元」を変えていく!


「期待」と「信頼」
似ているけど、まったく違う方向性や性質をもっている。

いまもっている「期待」のベクトルを「信頼」に変えていこう。


わたしはみんなの「期待」には答えられないかもしれないけれど「信頼」をすこしづつ築いていきたいです。ゆるぎない宇宙の愛のように…
すべてをつつみこむ大きな愛の輪になる。

魂の修行も 「信頼」を築くためのものなんですね。

お酒が大好きです。一緒にカンパ~イしたくなったら 一杯ごちそうしてくださいな☺