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時間が過ぎること、歳を重ねること(映画録1 『空の青さを知る人よ』)

時間と私の関係

僕らは時間の経過を「いつ」「どれくらい」認識し感じるだろう。

おそらく仕事や学業の時と、余暇の時とで時計をみて時間を確認する頻度は違うし、人が関わると自然と「時間を合わせる」必然から確認の頻度は上がる。でも、「1ヶ月」や「1年」という単位ではどうだろう。毎日時間に追い立てられて行っていたら、いつの間にか長い時間(1ヶ月とか)が経っていてもそれをそんなに認識していないこともある。

このような話は近代的時間を前提に話しているが、個々人が感じる時の流れは相対的で、生活時間として主観的に感じるものは人それぞれだったりもする。時が一瞬にすぎたり、とても長く感じたりもする。

また可処分時間という観点もある。課題や仕事に追い立てられている、家と職場や学校が遠い、などなど、様々な要因によって自分で「使える」時間は少なくなってしまったりもする。

『空の青さを知る人よ』のなかの時間

今回みた映画『空の青さを知る人よ』の中で流れる時間は、ゆったりとしていて軽かった。

人気のない橋の上で、古民家で、一人ベースの練習に打ち込む主人公のカットが複数回、特に橋の上のカットは冒頭で印象的に差し込まれている。

主人公の姉は、10年間ものあいだ幼い妹を一人で育て上げ、またその間ある人物を好きだという感情を持ち続けていた。

その人物は、ある形で10年前の自分と対峙することになるが、その場面でも「衝撃」や「強烈な落胆」といった感情は描かれていない。

秩父という舞台設定もあり、挿入される音楽ののどかさもあり、時間の流れのゆったりさは自然と入ってくるものだった。ただ、なぜそこに「軽さ」があるのだろうと思った。

軽く自分の思うままに時を過ごしているときにふと頭によぎる「自分はこんなことをしていいのだろうか」という思い、長い時間近い人間関係と結びつけられ同じような時間の過ごし方を積み重ねる重さ(もちろんこれは一概にマイナスではない)、ふと何年も前の自分のことを思い返しあまりの不器用さや不甲斐なさに頭を抱えたり、あんな風に過ごさなければよかったと思ったりする後悔の念。。。

これは個人差があることではあると思うが、ある一定の成熟(発達?)をへた人間であれば、その主観的時間にはそれぞれの人が抱く思いが絡まり、独特の重さを持つと思う。そういう時の重さを軽くするような描き方がなぜされているのだろう、そんなことを考えた。

時間の経過と年を重ねること、そして老いること

時の重さを一層重くするのが、「年齢」そして「老い」という視点だと思う。

年齢を重ねるにつれ、過去の出来事はよほど印象的なことがなければ、大体の記憶は薄れて行ってしまう

また、年齢はライフステージの変化とも大きく関わる。高校から大学へ、大学から社会人になり家族と離れる、そして結婚して家族形成へ。。。。(もちろんこの後も続く)このような基本的なライフステージの変化は年齢と密接に結びつき、「普通の」年の重ね方をある程度形作っている。この「普通」は人々の生き方を規定し、そこからの「ズレ」(が起きる可能性やリスク)は時の流れを重くする。

また、時間が経過するとともに「老い」もあり、身体的な変化も訪れる。もちろん最初は身長が伸びたり体が大きくなったり、第一次性徴第二次性徴が訪れたり、といった変化が。そのあとは疲れが体にたまりやすくなったり、体が動かしにくくなったり、体の不調がでたり。。。実際に自分も今25歳だが、以前よりも少食になり、睡眠が必要になり、身体はだるくなり、お酒はあまり飲めなくなった。こんな身体の一つ一つの変化も、時の流れを重くする。

時がすぎていくのは感慨深く、そして恐ろしい。年を重ねるとともに、時の流れは早く、そして重くなるのだろう、と25歳の今は思っている。多分自分よりもずっと年を重ねている今回の映画の製作陣は、17歳の主人公、31歳の主人公の姉やその思う人に、どんな意図からこういう主観的な時間を感じる人物に設定しようとしたのだろう。それが今の「若い」僕にはわからなかった。

時間に抗う記憶と、そして記録

たまに、書いてある文字がそのまま頭に入ってきて簡単に記憶できた小学校5、6年生の頃のことを思いだす。それから成長していろんなことができるようにはなったが、記憶力の面ではあの時代には一生敵わない。きっとだんだんと低下して行っているのだろう。

だからこそ、日々何が起きたのか、そこで何を感じ、何を考えたのか。ちゃんと記録していきたいと最近、特に今日は強く思った。だから日記をつけ、noteを書き、勉強のノートを取り、研究のメモを作って整理し、記事を書いている。

記録をつけることで、放っておいたらどんどん重くなっていく時の流れに、耐えられるようになり、抗せるようになり、そして時の流れを楽しめるようになる気がする。あたかも波に乗るサーファーのように。

少し前、ある人に「あなたにとって一番大切なものは何?」と聞かれて、「記憶」と答えた。そこに今「記録」を付け足したい。単に日々の記録をつけていくことが、きっと未来の自分の宝物になる。そう確信しながら、今このnoteを書いている。




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