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『血の婚礼』感想

血の婚礼
9/15 18:30〜

人は常に乾き、潤いを求めている。
それは生きるためとは限らず、死ぬためとも当てはまる。

①作品について
戯曲は読んだことがない。(無知ですみません。) 自分は演劇を学んでいたにも関わらず、演技の根本ばかり探り続けてしまい、肝心の戯曲知識が著しく乏しい。と、思いながら時間が経過していく中で、「そもそも知りたいのか」と演劇への興味を疑う。
というわけで、例の如くネットで調べ、パンフのプロローグを読む。
本作では事前に内容について知らなければついていけなかったと思う。たとえば、花婿・花嫁の名前についても明かされなことについても、家系や他者との関係性を勘繰り続けてモヤっと終えていただろう。下調べなら大事パターンだった。(大体そうだが..)
結局のところ、自分が感じたのは
人は誰のために生まれ、誰のために生き、誰のために死ぬのかを模索し続け、その時間経過の中であらたな他人が現れ、新たな自分と出会うのだなと思った。
例えば花婿の人生における花嫁(他人)はかけがえのない人であったが、その花嫁の過去に新たな他人(レオナルド)が現れ、花婿は新たな自分と出会う。はたまた、花婿の母親は花婿(他人)の嫁(他人)と出会い、気性の変化にも気づく。が、その嫁の過去に触れ、ヒステリックとは違った落ち着いた狂気と出会い新たな自分となっていた。
と、一見普通のような事だが、各々の関係性がここまで相乗し、私の視線を各々にはめた事ははあまりない。「更地」の時も少なからず感じたが、今回はより感じることが出来たのは、クッキリした役の人数が少なかったからかも知れない。それを知れたのがとっても良かった。

② 砂の意味
舞台上に散りばめられた砂への可能性を大いに感じた。正直、作品を見ていた大半は砂の意味を考えていた。(すみません。) 

・血
この世にある液体は液体に見えて実は元素同士のぶつかり合いで生まれた物質。つまり、固体とまではいかないが"個体"であると思う。その個体は血にはめた時の水分や赤血球、ヘモグロビン、鉄分やその他化学物質。生きる上で必要不可欠の血。死を迎えた時に血がなくなりどこへいく考えた時に、気体となり地表へ還りまた誰かを生かす何かになる。そのループが行われているんだなと感じた。(タイトルに引っ張られています。)

・影響
水ほどではないがある程度 流動的に形を変える砂。その砂の上を役者があるくと、少なからず歩いた軌跡が残り、凹凸となる。これは決して想いだけでは動かすことができず、(物以外の)想いを持った何かが動くことにより凹凸ができるのだ。その凹凸は、誰かの足に負担として伝わり、動きや想いまでも左右するのだなと思った。見比べたり、統計をとったわけではないが少なからず花婿とレオナルドの取っ組み合いでは砂の質量や人の質量を感じ、転がり方や怪我の仕方も表情を変える砂の上では可能性が無限大なんだなと思った。

③空間
自分が観た席はコクーンシート。2Fの下手1/4見切れ席。高見ではあったが下手がちょこちょこ見えなかったので1幕は少しモヤモヤした。内容理解とは別に、役者の演技が見えないことへのモヤモヤ。以前、「パンドラの鐘」を観た時も同様の席を利用した。(常に金欠のため。)その時の反省を活かせなかった。
しかし、2幕では1幕に立てられていた舞台セットがバラされており、1Fから見る景色とはまた違い俯瞰で観ることができた。平面ではなく立体的に。上から見ることで砂地の面積が大きくなり、より役者が孤立して見えた。ただ、②で述べたように凹凸による陰影が、上からだとあまり見えなかったかと思う。(良い悪いではなく)
1幕の照明バトンの使い方もとっても素敵だった。舞台芸術の感性が広がった。

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