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美味の囚人

 雪原のように白いテーブルクロスの上に銀製のナイフとフォークが整然と並べられている。席に腰かけた私は羽のように柔らかいナプキンを手に取り、自分の膝の上にかけた。  まず運ばれてきたのは透き通るようなフリュートのシャンパングラスに注がれたロゼ・シャンパンである。モエやドン・ペリニヨンと比べると知られていないが、ローラン・ペリエ・ロゼほどの強い辛口でないと私の舌は物足りなく思えてしまうのだ。母の腕にも似た厳しくも柔らかい酸味と果実のような爽やかな味わいはマセラシオン方式によって

    • 小説:タイトル 下

      「先輩、もしも自分が作品を書いて、それに対してつけるなら、どんなのをつけますか?」  私が聞いてみると、先輩はふむと考え込んだ。私は文学部の活動記録を取り出した。そこには、先輩が文学部の所属として執筆した作品がいくつかある。 「おい、人の過去の作品をあまり引っ張り出すな」 「『桜』。先輩が部に所属して初めて書いたのがこの作品でしたっけ」  私が先輩の言葉なんて無視して部誌をめくっていると、先輩は観念したのだろう、額に手を当ててため息を吐きながら、ああそうだと頷く。その

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      • 小説:タイトル 上

         私は本の背表紙を眺めていた。その並びは五十音順に分けられていて探しやすい。私は指で辿りながら、その本の題名を注視していた。ようやく見つけたのは、『笑う警官』だ。しかし、本棚から引っ張り出すと、なんだか違和感を感じる。その正体はすぐにわかった。私が見つけたその本のすぐ隣に、もう一冊の『笑う警官』があるのだ。どういうことだろうと思ったのだけれど、よく見れば、作者が違っていた。私が探していたのはマルティン・ベックの『笑う警官』だったのだけれど、もう一冊あるそれは佐々木譲という日本

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        • 文系の論文の書き方 ルール編

          「先生、できました!」  私はようやく書き上がった渾身の論文を先生に提出した。昨日の夜、徹夜で書き上げた力作だ。先生はようやくできたかと言わんばかりに、私の手から論文を受け取った。 「よし、じゃあ、あとは確認しておく。ん、そうだな、放課後にまた来い」 「わかりました!」  先生のいつになく柔らかい声がなんとなく嬉しい。私の気分は徹夜明けで高揚していたこともあり、有頂天だった。この時までは。 「失礼します!」  放課後、再び先生の研究室を訪れた私を迎えたのは、いつも

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        美味の囚人

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        • 小説
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        • 文系の論文の書き方
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        記事

          瀬乃愛華という女

           瀬乃愛華は僕の幼馴染であり、恋人である。  彼女の容姿たるや、思わず息を呑むほど美しいものだった。目尻の垂れた大きな瞳には長い睫毛がかかり、涼やかな眼差しからは優しく穏やかな印象を受けるであろう。すっと通った鼻梁の下ではぷっくりとした桃色の唇が男を誘っている。そこから零れる落ち着き払った声色は彼女の溢れんばかりの知性の一端を窺わせていた。腰まで届く長い艶やかな黒髪の下に隠された肌はまるで雪のように真っ白で眩しい。その姿はまさに聖女の降臨かと見紛うであろう。醸される可憐な雰

          瀬乃愛華という女

          見世物

           ――トザイトウザイ、サアサ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、この世のありとあらゆるモノゴトをお見せする、赤又座にて御座います。面白いモノは多かれど、人生ほどに面白きモノなどマタとなし。今宵もマタ、面白いモノをヨリドリミドリ取り揃えております。ドウカ覗いていっておくんなまし。  ――アラ、これはこれは旦那ァ、また随分とベッピンさんを連れておりますネェ。景気よう御座いますようで、イヤハヤ羨ましい……エ、私で御座いますか……アハハハ、イエイエ、どうにも上手くはイカナイもので……

          見世物

           「冗談……だよな?」  俺は耳を疑った。いつものように花が咲くような笑顔で、実は嘘だよと言ってほしい。しかし、彼女は首をふるふると横に振り、今にも泣き出しそうな表情を変える事は無かった。  「本当よ。パパの仕事の都合で、私、引っ越すの。ずっと遠くに。学校も転校して」  俺は信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。彼女が離れていくなんて。まるで走馬燈のように今までの彼女との日々が頭の中を駆け巡る。  俺と彼女は小さい頃からいつも一緒だった。親同士が幼い頃からの親友同士

          春琴

           庭園に狆の鳴く声が響いた。それは切なげな色を孕んだ悲痛な声である。喧しく騒ぎ立てる彼に、煩いとでも咎めるように、頭上の鸚鵡が一声鋭く鳴いた。しかし、猶も喚き立てる狆に、世話役の男衆が怒声を上げて叱り飛ばしている。パシン、と風を切るような鞭のしなる音に怯えたように狆が鳴き声を収めた。彼の首に恐怖という名の首輪が巻かれ、視界に映らぬ紐がその首を締め付ける。もしも、その戒めを解き放つことが出来たとしても、狆の短い足ではこの妓館を取り囲む高い塀を越えることは到底無理であろう。彼は永

          化物

           頭上から落ちてきた大きな水の塊が僕の頭を殴打する。ポタポタと顔を滑り落ちる黒ずんだ水滴に濡れて纏わりついた髪の毛を指で押し退け、水の落ちてきた方を見上げれば、トイレ掃除用のバケツを手に、ニヤニヤと笑いながら全身濡れ鼠となった僕を見下ろすクラスメイトたちと視線が合った。彼等の口がゆっくりと開き、僕を指差して言う。  化物、と。  僕は濡れた身体を引き摺り、登校してくるクラスメイトたちの嘲笑と侮蔑の視線から逃げるようにトイレへと駆け込んだ。ハンカチで顔を拭いていると、ふと、目

          文系の論文の書き方 構成編

          「どうだ? 論文は進んだか?」  課題を提出しに研究室に来た私に、先生が珈琲を片手に聞いてくる。私は肩を跳ねさせて、すっと視線をそらせた。嫌な汗が背筋を伝っているような気がした。しかし、先生は私の態度から察したのだろう、一転して呆れたような表情を見せた。 「もう期限がないぞ」 「だって……」  先生の淡々とした責めるような口調に、私は思わずいじけたような、言い訳がましい言葉を吐き出していた。私だって、この数日間、ただ怠けて過ごしていたわけではない。たしかに遊びに行った

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          文系の論文の書き方 構成編

          文系の論文の書き方 資料集め編

          「助けてください、先生!」  私が勢いよく研究室の扉を開けて中に飛び込むと、パソコンに向かっていた先生が私の方を振り向いた。声はいつものように平坦だが、その表情は驚いているように見える。 「何か質問か? その顔はどうした。隈がすごいぞ」  私の目の下にはパンダのような黒い隈ができていた。薄く化粧してごまかしていたけれど、所詮は付け焼刃、午前中こそばれないでいたものの、時間とともに化粧は剥がれている。 「いえ、その、最近、寝不足で……」 「ふむ、まあ、何か出そうか。寝

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          文系の論文の書き方 資料集め編

          文系の論文の書き方 テーマ編

          「君、論文はもう書けたのか?」  先生の言葉に、私はうっと言葉に詰まった。探るような視線から思わず目をそらしてしまう。そんな私の態度から察したのだろう、先生はわざとらしくため息を吐いた。 「この時期になっても出せていないのは君くらいだぞ。卒業しないつもりか?」 「いえ、そんなことは……」  私はますます俯いた。大学も内定が決まって卒業間近となれば気が緩んでしまうもので、友人たちと遊び惚けていたのだ。その時のツケが今、私の肩に現実として重くのしかかっている。  卒業で

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          文系の論文の書き方 テーマ編

          誘惑

           学校の屋上から見下ろす地面は遥か遠い。それはまるでどれほど手を伸ばしても届かない夕暮れの空のように。けれど、きっと、それは遠く見えるだけで、本当は思ったよりも近いのだろう。ほら、ほんのちょっと、手を。手を伸ばせば。花壇やアスファルトがひび割れて、土の底がぽっかりと大きな口を開ける。険しい凹凸はまるで獣の牙のよう。暗い虚無の奥底から皮と肉のこそげ落ちた骨だけのゆるりと伸びて、私においでと手招きをした。ここから落ちたら、きっと。そう、きっと。私の頭の中の理性が熱に浮かされたよう

          ごちそうさま

           箸で運んだ肉を歯で噛みしめると、果実を絞ったように肉汁が中から溢れ出す。咀嚼すれば口内で繊維が蕩けて、角砂糖のようにほろほろと崩れた。ごくり。呑み込めば、微かな甘みとともにそれは喉を流れ、食道をずるずると進み、胃袋の中にたっぷり詰まった胃液のプールにぽちゃんと落ちる。舌先に残る濃密な味の余韻と胃袋が満たされた幸福感が胸を膨らませて、私の頬は自然と緩んで笑みを浮かべた。あまりのおいしさにほっぺたが落ちちゃいそう。私は自分の頬が落ちないように両手で押さえて、頭の中に染み渡る恍惚

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