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「韓非子」説林下 (23)

「韓非子」説林下 (23)

【書き下し文】
晋の中行文子(※1) 出亡して、県邑に過(よ)ぎる。
従者曰く、此の嗇夫(しょくふ)(※2)は公の故人なり。公 奚(なん)ぞ休舎して且(しばら)く後車を待たざる、と。
文子曰く、吾れ嘗て音を好む。此の人 我に鳴琴を遣れり。吾れ珮(はい)を好む。此の人 我に玉環を遣れり。是れ我が過(あやまち)を振(すく)はざる者なり。以て容を我に求むる者なり。吾れ其の我を以て容を人に求めんを恐る、と。
乃ち之を去る。
果(はた)して文子の後車二乗を収めて、之を其の君に献じたり。


【現代語訳】
晋の中行文子が亡命し、ある県の町を通りかかった。
従者が言った。「ここの嗇夫はあなたの旧知の者です。ぜひそこでお休みになり、後続の車をお待ちなさいませ」と。
文子は言った。「私は以前、音楽を好んだが、その時に彼は私に琴をくれた。私は腰につける玉を好んだが、彼は私に玉環をくれた。彼は私の過ちを諫めて正してくれる者ではない。私に取り入ろうとする者だ。私は、私を捕らえて他の人に取り入るのではないかと恐るのだ」と。
そこでそのままここを去った。
果たしてその後、この嗇夫は文子の後続の車二台を捕らえて、自身の主に献じた。


※1 中行文子は晋の卿。
※2 嗇夫は裁判と賦税を行う役人。

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