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「韓非子」説林下 (20)

「韓非子」説林下 (20)

【書き下し文】
公孫弘 髪を断ちて越王の騎と為る。
公孫喜 人をして之と絶たしめて曰く、吾れ子と昆弟(こんてい)為(た)らじ、と。
公孫弘曰く、我は髪を断つのみ。子は頸を断ちて人の為に兵を用ふ。我、将(まさ)に子を何とか曰はん、と。
周南の戦、公孫喜死せり(※1)。


【現代語訳】
公孫弘は髪を切って(越の風俗に合わせて)越王の騎将となった。
同族の公孫喜が使いを出して絶縁を伝えて言った。「もはや私とお前とは兄弟ではない」と。
公孫弘は言った。「私は髪を切っただけだ。そなたは負け戦で自分の首を切られてしまっても人の為に戦うのだ。私はそなたに何と言ってやればいいだろう」と。
のちに周南の戦いで公孫喜は死んだ。


※1 「史記」韓世家。韓の釐王(僖王)三年、公孫喜が周と魏の軍を率いて秦を攻めたが、秦の将軍白起に敗れた。二十四万の首級とともに、公孫喜も捕縛された。伊闕の戦い。

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