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じいじからの放送大学便り①社会学概論より

【社会学概論より】
私の場合、最初の大学での専攻は社会学でした。しかし、今更言うのも何ですが社会学、さっぱりわかりませんでした(笑)。
そりゃそうですよ。
社会学とは社会との個人や集団の関わりを学ぶ学問ですが、まだ20歳前後といえば属した集団や組織は家族と学校くらい。
「統制」とか「逸脱」とか実感が無いですよ。「アノミー(社会崩壊)」って何ですか?調味料ですか?
試験に出るので単語は覚えるのですが理解の方はさっぱりでした。

しかし今は違います。
サラリはーマン時代は統制とか逸脱とか每日肌で感じてましたし、特に最後の監査役時は商売道具でさえありました。むしろ放送大学の授業を聞いて「ああ、なるほど。こういうことなのね」といちいち合点がいっている感じです。

と、そんな中で家族の話をします。
家族は我々が日々接する集団として一番基本的なもので、社会学でも冒頭に出てきます。
しかし家族が旧来の家長を頂点とする組織的な「イエ」から現在の「両性の合意のもとに」結婚した夫婦を中心に成り立つ「近代家族」が成立したのは20世紀初頭、多数を占めたのが1960年代です。
つまり今様の家族は成立してほぼほぼ100年、日本の歴史では瞬きするほどの間の存在です。

しかし私たちは過去を見るときも意識的に現在の近代家族的な価値観を当たり前にして観ていると思います。
例えば平安時代を描いた大河ドラマの「光る君へ」を見て「藤原道長の家族は愛があるなあ」とか戦前のドラマを見て「愛してもいないのに結婚するとはけしからん」とか言ってるわけです。もちろん昔の人に愛は無かったとは言いませんが制度としての家族のミッションが違うのです。
家族の主要なミッションは「家」の恒久的継続であり、愛情ももちろんあったと思いますがそれは家族制度とは別物で、あればそれで良いし、無くても家族それぞれが役割を果たしていれば特に問題にはならなかったわけです。
これは現在における就職と雰囲気が似てるかもしれません。会社が仕事が大好きなら良いですが普通はそうでもなく、逆に「会社を愛してないのに就職するとはとんでもないやつだ」等と言われるとキョトンとする感じです。

反面でこの近代的家族が様々な課題に直面していることも皆さんがご存知の通りです。非婚化、晩婚化、少子化、育児放棄、引きこもり等々。このような結果日本の人口はほぼ回復の兆しのない状態です。
しかし先程述べたように我々の根深いところではこのような近代家族を一つのあるべき姿と考えて、守ろうと思っている事を示す数値もいくつか存在します。
例えばその一つと思われるのが捨て子の件数です。実は明治期では捨て子は多く数千人か毎年捨てられていました。裏を返せばその頃は捨て子は誰かが拾ったということなのですが、近代家族の成立と機を同じくして捨て子は激減し、現在では年間でも数十人程度で落ち着いています。

お隣の中国では人口に差があるとは言え万単位の捨て子がいるそうです。
捨て子が減った理由はいろいろあるでしょうが、重要な要素として子育ては家族で完結させるべきという思想があるのでは無いでしょうか。
確かにネグレクトとか虐待は多数ありますがそれでも「捨てる」という選択肢は無いと思っている人が大多数なのでは無いでしょうか。このようなことをもって家族についてはまだノーと言われていないと思います。

家族形成にあたって同性婚等の多様性の追求は必要だと思います。
しかし愛情という極めて情緒的な関係で繋がった家族は、歴史上の到達点ではないかと思います。
何とか制度上の見直しは会っても守っていくべきだと考えます。
人は一人では生きられないのですから。

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