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髪が乾くまでの間 〜アメリカ留学体験記その0〜

風呂に入っていると創作意欲が湧いてくるのに、風呂から出た瞬間なにもしたくなくなる現象に名前はついているのだろうか。
現にもうこのnoteを閉じたい。
とりあえず髪が乾くまでの間、キーボードを打つことにする。

これを何かの参考にしてもいいし、晒して笑いものにしてくれてもいい。

私は中学1年生から現在の大学4年まで、約10年間アメリカに留学している。
今日はその留学体験記の発端となった出来事について話す。

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当時小学4年生の私は、あるゲームの自サイトをHTMLのみを駆使し、頑張って作っていた。(CSSとかJavaScriptとか知らんわ、って感じ)
その時参考にしてたサイトはこちら。まだきちんと残ってる〜、と感動している。

両親がAppleの製品をよく使っていたこともあり、小さいころから一応IT系に就職しようとは思っていた。
それが自サイトを作っていて「やっぱり私こういうの好き〜」と再確認した。

という話を両親にしたら、じゃあ英語喋れる様になろうか、ということでなぜか私はスイスに連れて行かれた

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小学四年生の夏。私はスイスのサマースクールに参加した。

サマースクールというのは、学校がそこに通う生徒以外もひっくるめて開催する短期夏季講習みたいなもののことだ。

とりあえずサマースクール初日。
手続き云々あるので両親も一緒に来た。
登録が済み、寮に私を置くと「じゃ頑張ってね〜。心配なことあったら連絡してね〜」と言って両親は消えた

vodafoneの携帯とスーツケース、そして私の苗字に似た名前のキアラというルームメイトと共に私は実質一人で1ヶ月ほど生き延びねばならなかった。

キアラは確かイタリアの子で、私と同様そんなに英語が喋れるわけではなかった。
What time is it?という質問をひたすらお互いにしてたのを覚えている。
それが私たちのコミュニケーションだったのだ。

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そして事件は早くも2日目に起こった。
学校の公園みたいなところでぐるぐる回る遊具に乗っていたら
遠心力でぶっ跳ばされて頭打って気を失った

本当に落ちる前の記憶がない。「あ、足踏み外した、おもろ」とか思っていたら気を失っていた。怖い。みんなも気をつけて欲しい。

気付いたら周りに大勢の生徒が集まっていて「大丈夫〜?」みたいに私を覗き込んでいた。
頭めっちゃ痛いし全然大丈夫じゃないのに私は「お〜け〜、お〜け〜」とへらへらして立ち上がった。死ぬほど頭が痛い上に当時あまり英語力のなかった私には咄嗟に自分の体調不良を伝えることはできなかったのだ。

遊んでいたのが夕方だったのでその後はふらふらしながら食堂に行った。
歩いている最中にめちゃくちゃ吐き気がして「あ、これヤバイかも」と思ったけれど相談できる人がいなかった。2日目だし…。

夜ご飯を死にそうになりながらよそっていると、ちょうど横に立っていた子が私の異変に気付いたのか「大丈夫?」と声をかけてくれた。その子は偶然にも日本人で私が体調が悪いことを伝えるとすぐに保健室まで連れて行ってくれた。

保健室の先生が言ってた言葉は全然思い出せないし、たぶん当時もあまり聞き取れていなかったのだと思う。
私がベッドに横になると、遠くのほうでさっきの日本人の子が先生に私の状況を説明してくれていた。
この日本人と会ったのは確かこの時だけで、もう名前も思い出せないけれど優しいお姉さんだったのは覚えている。あの時は本当にありがとうございました。

薬をもらって気がつくと私は寝ていた。消灯の時間がもう直ぐだった。
急いで部屋に帰ってシャワーを浴びてもいいかキアラに訊いた。
(シャワーは音がうるさいので基本消灯時間の1時間前ぐらいまでに済ませておかねばならなかった)

遅く帰ってきた私のことを心配しているのはその顔で分かった。いいよいいよ、とキアラは言ってくれ私はシャワーを浴びた。

シャワーを浴びてしばらくすると部屋のドアが叩かれた。
ちょうどドア近くにいた私がドアをあけると隣の部屋の女生徒だった。

「どうしてこの時間にシャワー浴びてるの?」

すこし怒った様な口調だった。当たり前だ。
私は一瞬焦った。どうやって説明しよう。公園で頭を打って、それから…。

そう思っていると私は自然と英語を口にしていた
文法はめちゃくちゃだっただろうし、アクセントもボロボロだったはずだ。
身振り手振りで拙い英語を繋いだ。

彼女はたぶん英語が母国語の子だった。
でも私のめちゃくちゃな英語をきちんと遮ることなく聞いてくれた。
私が最後まで話終わると「そうだったの。体調良くなるといいね」と笑ってくれた。

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この2日目の話は結構今でも鮮明に覚えていて、
中学とか高校に入る時の自己アピールなどにも書いていた。

当時の自信の無さだったり経験の無さが英語を喋ろうとする意欲を止めていたんだな、と今振り返れば思う。
いざとなった時、自分しか頼れる人がいないとき、人は一歩前に踏み出せるんだろうね。

その踏み出した一歩は、保健室に連れて行ってくれた日本人が背中を押してくれたから踏み出せたもので、
それからずっと踏み出すことを躊躇しないでいられるのは、拙い英語をきちんと聞いてくれた生徒のおかげ。

今じゃ大学の友達からは「えー!英語うま!アメリカで育ったって言われたら信じちゃうよー!」とお世辞かもしれないが言ってもらえる。
日本のアクセントはまだ健在だけども、それが個性って思って割り切っている、ガハハ!

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その後のサマースクールでは、授業中単語が分からなくて爆速で辞書を引いたり、プールがめちゃくちゃ深くて溺れそうになったりして楽しく過ごしました。

アメリカ留学体験記その0 おしまい!