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建築学生が現役の大阪ガス社員さんとエネルギーの未来について語り合った話

まずはじめに

昔から文字におこすこと、文章にすることが好きだったので、Noteをやろうかな、なんて思いつつも、これといったテーマもないしなあ・・と先延ばしにしていました。今回こうやって文章で残しておきたいキッカケがあったので、Facebookでの発信も考えましたが、それだと見れる人も限定されていますし、これを機に時々このような形で発信していこうかな、という所存です。長文、うまくなるといいな・・・なんて思いつつ。

全く想定外だった繋がりによって発足した会

そもそもこの会は、ほとんど話したことがないけど何故かFacebookで繋がっていた高校の2個上の先輩(大阪ガスの社員さん)からのある連絡が始まりでした。

コロナウイルスの影響で、修士論文の提出が延期になった私は、少し時間ができたので、自分の作品集(ポートフォリオ)を最新のものにアップデートし、それをFacebookに投稿しました。その高校の先輩(以下Yさん)から、感動した、との有難いメッセージが送られてきたのです。その流れの中で、私が提案し受賞した日建設計主催の「都市のパブリックスペース」のアイデアコンペがエネルギーの未来のかたちを交えた内容であったので、それを元に、他の大阪ガスの若手社員さんも交えて語り合いましょう、というのがこの議論の場の発足の流れでした。

そしてYさんも私のように、コロナウイルスの影響で普段より時間があった為、いつもは目に止めないような投稿、つまりここでいう私の投稿に触れ、そしてメッセージをくれた、ということでした。なんと皮肉にもコロナウイルスによって1mm以下の糸のような繋がりだったものが急に目に見える太さの繋がりになり、議論の場になるに至ったという訳です。こうやって意図しないレスポンスがあるのは非常に嬉しいことですし、発信してみるものなんだな、と改めて思いました。(というわけでここに記しているというのもある)

という訳で、Yさんの同期の社員さん二人含めた4人で、(もちろん)オンラインにて主にエネルギーや地球の未来に関して私の提案をネタに、バックグラウンド(簡単にいうと専攻分野)の違う4人が1時間ほど語り合ったわけです。

もちろん私は建築学生なので、エネルギーについて専門家でもなく、自分の想像と調べられる範囲内での提案でした。こうやって他業種でリアルに働く人と自分の提案について話せるとは、全くもって新鮮でしたし、もっと業種の垣根を超えて議論してゆきたいなんて思ったりもしています。

そもそもコンペでどんな提案をしたのか

20XX年のパブリックスペースに関して、地域ごとの「自給自足のエネルギー」を可視化し、そのエネルギーが生成される場所(エネルギーを自給自足する場所)が、人々の活動の生まれる場所=つまりパブリックスペース となる、という提案でした。地域スケールで考え、都市スケールに拡張していくといった提案です。詳しくはこちらのホームページにて詳しくは見ることができます。

現役の社員さんから見てどの点が「おもしろい」と評価されたのか

1つ目は、「見えないエネルギーの見える化」。そして2つ目はなんと、「ブランコとシーソー発電」の提案でした。実はこの二つ目、審査会でも高評価だった点でした。子供心に帰ってみたら、誰が一番発電できるかなあ、なんて競争したくなるよねえ〜などと全員で想像が膨らみましたね。そして、ブランコ発電なら「できるんじゃないか」と。

私は「アイデアコンペ」として、未来を「考える」きっかけとして、いつかこの一端でもなにか実現のタネになれば・・・程度に考えていました。改めて、こう「これならできるんじゃないか」と拾われると、「あ、確かに」と気付かされた訳です。家庭への電力供給ほどとは言わずとも、まず都市実験として、「未来の公園」という位置付けで(もちろんコロナがしっかり落ちついたらですけど)どこかに置けるんじゃないか、と。「大阪ならあこらへんだな〜」という意見もちょっと出たり。これに関してはまだどうなるか分かりませんが、いつか「パブリックスペース」として実現できると思っています。いつかこの人たちとつくりあげる機会ができたら、というか、作りたいな、なんて思いました。自分の中でやりたいと思っていても、なかなか行動に移らないので、ここにそれを表明しておきます。笑

取り上げられた2点の共通点は、(建築のことを知らなくても)「わかりやすい」や「想像しやすい」ということだったと思います。当たり前のことを言いますが、自分のからだを、提案した空間やシステムの中に置いてみて想像すると、使う人々の目線になれる、つまり、その視線でどう感じるか、という等身大の視点を忘れてはいけないということ、そして専門性とその「わかりやすさ」をいかに共存させて伝えるかというスキルの重要性を(うちのゼミの先生も学部時代から言ってた気がしますが)実感した、というところでしょうか。

エネルギーも空気と同じ?

ドイツの日本の環境の意識の差や環境と経済の両立の難しさなどを話したあと、会の最後に3人の社員さんから「エネルギー関連の会社で働く者としてエネルギーの未来をどう考えるか?」について聞き、私がそれに対して(生意気にも)感想や意見を述べて会は終了。以下過剰書きです。

・今後は「地域単位」といったようにもっとスケールが小さくなっていくのではないか?つまり分散が加速すると思う

「分散」のメリットは「リスクの分散」につながります。これは建築や都市だけでなく、あらゆることに繋がりますよね。(いまは恋しき)海外旅行に行けば、「現金は分散!」なんて口すっぱく言われているように。私たちは「なににでも耐えうる強固なものやシステム」を作ることができない、つまり、「何か起こった時のリカバリーの速さ」が今後ますます求められるのではないか、と。これは災害の多い日本において、さらにこのコロナ禍で誰もが感じていることなのでは、と思います。私たちは「未来を想像」することができるし、それをやめてはいけませんが、どうしてもイレギュラーは起きるのです。そうして歴史は形成されてきました。

・とにかく若者が未来について考え、動かないといけない

私は比較的楽観主義者だと(自分で)思っているので、「まあなんとかなるか」で生きてきましたが、「なんとかなる」には二種類あると思っています。1つ目は「誰かがなんとかしてくれてなんとかなること」2つ目は「自分がなんとかすること」。留学前の自分自身も含めそうですが、社会や未来の話になると自分が小さすぎて、前者になりがちだと思っています。例えば自給自足の100人の村でたった1人の自分の存在は大したことがないから、と100人が耕作をさぼったらその村は生きていけなくなりますよね。よく言われる話ですが、「塵も積もれば山となる」、つまり特に私たち若者がこういうことを考えて、できることをなる、というのを、やっていかなきゃいけないと思っています。某コーヒー会社でバイトをしていた時によく言われていた、「自分ごととして捉える」という概念が、家族のような小さいスケールから、社会全体という大きなスケールにまで、当てはまるのではないか、そしてこの変動期に熱量を持ってその姿勢を貫く必要があるのではないか、と思っています。(スタミナ切れにならないように、ですが!)

・エネルギーをタダにしてそれでも無駄使いしない社会をつくる

私たちは空気にはお金を払っていません。じゃあエネルギーも払わなくていいんじゃないか。それでも無駄使いしないような社会を作りたい。と、エネルギーを供給する会社の社員さんがこのような発言したのは良い意味で衝撃でした。でも、ここで思ったのです。これくらい大胆に、リアルとユートピアを共存させつつ未来を思考することが大事なのではないでしょうか。私たちが今生きている社会は、60年前からしたらきっとユートピアです。100年前とは社会の秩序が変わるスピードが全く違う今、未来について「ありえない」を思考することは必要だと思っていますし、その意味で建築のアイデアコンペや大学のようなアカデミックな場はいいな、と思っています。この話を聞いて、大胆な思考と一方でリアリティのある思考を日常の中で共存させていきたいと思いました。

さいごに

日本の若者は・・なんて言われたり、欧米諸国と比較されたり、していますが、(間違ってない部分もあれど)こんなにも熱い人たちや、顔も知らない後輩にフットワーク軽く、「語りましょう!」なんて企画して、そこに乗ってくれる人たちがいる。もっとこの雰囲気が広がってほしい、と思って私も書いています。なんとなくはびこる「真面目でアツいやつを冷笑する文化」は、自分で自分の首を締めることになる。この雰囲気は何としてでも変えていきたいですよね。

建築業界って狭いと言われていますが、現代は簡単に繋がるツールがあって、繋がることはいくらでもできる。そしてやっぱりいろんなバックグラウンドの人の話を聞くのは視野を広げる機会になると改めて感じました。そして、このような人の繋がりは大切にしていきたいですね。あらゆることが小さなきっかけになって繋がっていく、そこに小さな発見や突破口となる「タネ」が落ちているのではないか、と、学生ながらにも思っています。

他にも建築や都市のこと、知りたい、などあったら積極的にコラボしていきたい、何かのきっかけにしていきたいですね。こういうこと話そう〜なり、コメントなりコネクトしていただけると、喜びます。(そしてここまで読んでくれてありがとうございます!)

そして素敵な会を企画してくれた大阪ガスのみなさん、ありがとうございます◎次回も楽しみですね!

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