えむのこと ~最後の一週間のこと 5/28~

5/28
「えむはいつまで苦しまなくてはならないのだろう」
「6月から仕事に行かなくてはならない。日中えむを見れない。」
確実にえむの回復は諦めえむとわたしの苦しみはどうしたら早く去るのかということだけを考えていた。
今わたしはそのことをものすごく後悔している。
簡単にいえばえむの死を願い始めた。それは自力てお水を飲めなくなった時からうっすら思っていたけど抑えきれないくらいにそう思っていた。

えむが苦しむのはもう見ていたいくない。変わってあげたい。楽にさせてあげたい。
その裏面に、仕事どうしよう。休めるかな。わたし以外の人に頼んでもえむは警戒して落ち着けないだろうな。なによりこんな気持ちで仕事なんてできない。

えむの幸せを100%考えていたかなと思い返すと、断言できる。考えていなかった。自分の保身のために考えて願っていた。本当はずっと一緒にいたいのに。文章にするのが苦しく、公開するのも恐ろしいけど。

歯が痛いからか顎を置いて上手く眠れない様子だった。腕を差し出したら枕にして眠っていた。

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顎についたよだれは血で赤く、きっと膿で白っぽくもあった。水で濡らしたコットンで拭いてあげるのも痛がる。そっとしておくことしかえむのためにできなかった。

えむの顔周りにはおしぼり用のタオルを引いて汚れたら即買えるようにしてあげた。1日かなりの量使うので10枚では足りなくてもう10枚買ったけど結局全部は使い切れなかった。

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この日からシリンジでの水もあまり受け付けなくなった。
トイレとベッド、その他冷たくて落ち着くとこの往復。大きな声で鳴きながら移動をしていた。あんなに大好きだったブラッシングも大きな声で鳴いて拒否をした。ねこじゃすりならまだやらせてくれたからそっと撫でた。


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苦しみから目が吊り上がって、おめめまんまるなえむちゃんではなくなった。でもえむの目はペリドットみたいだね。とってもきれい。

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背中を向けて寝ている姿は前と変わらなくて、えむが死に近づいていること、わたしがえむの死を願っていることなんて嘘みたいだった。

シリンジで水を飲むのも痛がり嫌がる。輸液はすべて吸収されて本来なら輸液をやるべきだと思ってた。先生も「自分自身の猫なら輸液だけは最後までやると思う。延命か緩和かと言われれば両方になってしまうと思う。延命を避けたいのに意に反することだとは思うけど、苦しむ最後を避けたいのならやるべき。」と言っていた。
でもやらなかった。
長引かせたくないからという自分の保身のためにえむを苦しませる決断をした。
えむは本当に優しい子だから大きく苦しむことのない最後だったけれどわたしは最後の最後でえむを見捨てたような、そんな後悔がずっとある。

ピク、ピクと小さくしゃっくりのように体を震わせるようになった。尿毒症だと直感で分かった。

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