自分の当たり前は当たり前じゃない
こんにちは!かのです!
今日は自分の当たり前は思うほど当たり前ではないということについてです。
「なんでわかってくれないんだ」
「それはありえないでしょ」
と他人の行動に驚いたことはありませんか?
おそらくそれは人それぞれに当たり前の基準が違っているからです。
これからの時代は多様化が進みます。すなわち自分とは全然違う価値観の人たちと触れ合う機会が増えるということです。
今回はそんな当たり前を私の体験談とともに考察していきます!
当たり前を盲信して食い違う
自分の当たり前は当たり前じゃないと感じたのは、友達と待ち合わせをしていた時にわかりました。友達を車で迎えにいくのは2回目だったので何も起こることなく普通に迎えに行けると思っていました。
しかし、一枚の写真のせいで集合場所を勘違いさせる結果になったのです。
前回迎えにいくときは「この車が迎えに来たよ」と集合場所で車の写真撮って送っていました。しかし、今回は違う車で行くことになったのであらかじめ集合場所ではないところで私は、今回迎えに行く車の写真を伝えるために写真を送りました。
その結果、私の思いとは裏腹に、友達は送られてきた写真の場所を集合場所と思い移動してしまいました。
私が写真を送って「この車で迎えに行くよ」と言葉を添えるだけでも結果は変わったのだと思いますが、この時の私は「前回もうまくいったから今回も大丈夫だろう」という思いでした。
これが私の作り出していた当たり前だったのです。
人によって受け取る情報が異なる
もちろん人によって同じものを見ても、受け取り方が今まで培ってきた経験などによって異なります。私はこの前提がすっかり抜け落ちていました。
確かに『りんご』と言われて
Apple、ニュートン、アダムとイブ、ゴリラ、白雪姫
と想像する人もいますし、ある人は
りんごジュース、赤い、キティちゃん、おばあちゃん家
と想像する人もいます。本当に同じ言葉でも人によって想像するものは多種多様です。今まで経験してきたものの影響が色濃く出てくるところですね。
ここで大事なのは自分の価値観を押し付けずに違うことが当たり前だと受け止めるということです。
細かいことでも確認することが大切
これからは相手との認識はほとんどが違うという前提で考えることが大切になってくると思います。
グローバル化や高齢者の再雇用などがこれから浸透してくる中、当たり前など存在することが難しくなっていきます。むしろ柔軟な思考のじゃまになると思います。
自分とは違うものを拒否したり遠ざけるのではなく、受け止めて自分なりに咀嚼し、飲み込むことがこれから必要になってくると思います。
特に岩のように頑固でエベレストくらい高いプライドを持っている人は、キラ星のごとく考え方を改めた方が楽に生きていける気がします。
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