巫蠱(ふこ)第四巻【小説】
▼宍中十我と赤泉院蓍①
彼女の前進がとまったのは、そのひじが蓍(めどぎ)のおでこに当たりそうになったときだった。
十我(とが)は、ぼうっとしながら歩いたらしい。
ほおからこぶしをはずしてあやまる。このごろ虫たちが人間にみえて切なくなるという。
「御天(みあめ)のことも、ごめん」
▼宍中十我と赤泉院蓍②
「あいつの廃業はだれの責任でもない」
「分かってる、問題はそれをぎりぎりであかしたことだ。
「最後の仕事の規模を考えればもっとまえから御天(みあめ)は『そう』思われていたはず。
「なのに、誇(くるう)にもわたしにも相談しない。わたしたちは、気付けなかった」
▼宍中十我と赤泉院蓍③
蓍(めどぎ)はすこし間を置いてたずねる。
「宙宇(ちゅうう)はもう、そとにでた?」
「おとといに。岐美(きみ)ちゃんが持ってきた手紙の封をあけて、すぐ出立したぞ」
そう言って十我(とが)はこぶしをふたたびほおにあてがう。
「ともかく、みんな、うちにきて」
▼巫女と蠱女⑥
いま十我(とが)は館(むろつみ)をおんぶして自分の家へと向かっている。蓍(めどぎ)と鯨歯(げいは)があとに続く。
蓍の体力は人並み以下であり、鯨歯の背はとても高いので、ねむそうな館を背中に乗せられるのは十我しかいなかったのである。
「お姉ちゃん……」
▼蠱女たち②
之墓館(のはかむろつみ)が単に「お姉ちゃん」と言うとき、それは姉の簪(かんざし)を指している。
十我(とが)には姉というものがよく分からなかった。
三女として生まれた自分ではあるが、長女の御天(みあめ)も次女の誇(くるう)も、妹としか思われない。
▼宍中誇と刃域服穂①
十我(とが)の家では、ふたりの巫蠱(ふこ)が待っていた。
宍中誇(ししなかくるう)という蠱女(こじょ)と、刃域服穂(じんいきぶくほ)という巫女(ふじょ)だ。
刃域の巫女は刃域以外の七つの土地をめぐりながら暮らしており、いまは宍中にて居候の身である。
▼宍中誇と十我①
すっかり寝てしまった館(むろつみ)を部屋のゆかにおろし、十我(とが)は姉の誇(くるう)に声をかける。
「筆頭巫女(ひっとうふじょ)がきたぞ。用件は、まあ、いまさらか」
妹に続いて家にあがろうとするふたつの人影を見つけ、誇は言う。
「わたしたちって、ほろびるの?」
▼宍中十我と赤泉院蓍④
「うんほろびるよ」
「蓍(めどぎ)!」
姉の反応を見るまえに大声をあげた十我(とが)であった。館(むろつみ)が寝ていることを思い出し、どうにか声をおさえる。
「……宙宇(ちゅうう)にいかせたのは、それを回避するためじゃないのか」
「ある意味ではそうだな」
▼宍中誇と桃西社鯨歯①
「誇(くるう)さん」
「なあに、鯨歯(げいは)」
「その『わたしたち』って、蠱女(こじょ)のことですか。楼塔(ろうとう)の三女さんがこわがってました」
「流杯(りゅうぱい)らしいね。でも鯨歯、ひとごとみたいに言ってるけど、全滅するのは巫女(ふじょ)もだよ」
▼宍中十我と桃西社鯨歯①
……ともあれ十我(とが)はふたりを家にあがらせる。
蓍(めどぎ)は急にちからが抜けたようにぱたりとゆかにたおれた。
「すみません、歩きも慣れてきたと思ったんですけど」
「あやまることない。岐美(きみ)ちゃんがいろいろ話してくれた。三日前から歩いてたんだろ」
▼宍中十我と桃西社鯨歯②
「おとといは湯につかってのんびりしてましたけどね。ところで、うちの次女さんは帰ったんですか」
「きのうに。あした蓍(めどぎ)がくるんじゃないかって言い残して」
「どうりで都合よく十我(とが)さんとはちあわせたわけです。くずゆかがいない理由もそれですね」
▼桃西社鯨歯と刃域服穂①
三人ぶんの寝息がまじる。気付かないうちに誇(くるう)もねむりについていた。
起きているほうの三人は、ひざをつきあわせ、ひそひそ話す。
「筆頭は、ちゅーうに追加の手紙をわたしたいようです」
「分かりました、わたくし刃域服穂(じんいきぶくほ)が届けましょう」
▼宍中十我と桃西社鯨歯③
「鯨歯(げいは)、宙宇(ちゅうう)への手紙の中身は見たか」
「いえ。わたしはただの祝意だと思ってたんですけどね。追加のほうは、楼塔(ろうとう)の次女さんと話してから決めたっぽいです」
「ぜーちゃんか。ともかく状況を整理したい。ここ四日間のこと、話して」
▼宍中十我②
鯨歯(げいは)の話をまとめるとこうなる。
「……まず御天(みあめ)がきたから楼塔(ろうとう)に。
「翌日は移動なしでぜーちゃんと話し合う。
「三日目は後巫雨陣(ごふうじん)。
「きょうになって、ここ。
「御天の仕事はすぐに終わるものじゃないから、悠長ではない、か」
▼宍中十我③
「話を聞くかぎり今回の件をまだ知らないのは……
「諱(いみな)には簪(かんざし)、玄翁(くろお)たちには流杯(りゅうぱい)、蓍(めどぎ)が睡眠(すいみん)に伝えたなら身身乎(みみこ)の耳にも……
「鯨歯(げいは)、阿国(あぐに)は桃西社(ももにしゃ)か……
「そう……つまり知らないのは阿国と、うちの筆頭だけだな」
▼巫女と蠱女⑦
それから頬杖をついてよこになる十我(とが)であった。
「感謝するよ、これで蓍(めどぎ)と話すことが決まった。寝る」
対して鯨歯(げいは)はうごかない。服穂(ぶくほ)に凝視されていた。だから鯨歯は問うたのだ。
「ぶくほ。なぜ巫女(ふじょ)もほろびるんです」
▼桃西社鯨歯と刃域服穂②
「わたくしが誇(くるう)にふきこんだのではありませんよ」
「だとしても、こういうのにいちばんくわしいのは、ぶくほでしょう。
「筆頭はあすにでも追加の手紙を書くはずです。だからいまのうちに聞いておこうかなと」
「……短めでよろしければ。わたくしもねむいのです」
▼刃域服穂①
「巫女(ふじょ)とは思う者であり、蠱女(こじょ)とは思われる者である……これが巫蠱(ふこ)の過不足ない説明です。
「では問いましょう。両者はいずれが、さきですか。
「蠱巫と逆転させないことからも、巫女のほうがさきにみえます。しかし蠱女なき巫女はありえません」
▼刃域服穂②
「蠱女(こじょ)の蠱の字は虫にあふれた皿なのです。その皿がなくなれば、虫たちはちりぢりになるでしょう。
「虫とは思いの具象です。小さな思いがまとまって、人の思いが生まれます。皿にそそがれた虫の凝集……それが巫女(ふじょ)の正体。
「わたくしたちは蠱女という皿に寄生しています」
▼桃西社鯨歯と刃域服穂③
「……なるほど?」
服穂(ぶくほ)に凝視されたまま鯨歯(げいは)は応える。
「つまり思うから思われるのではなくて思われる存在があるからこそ思うことができる、
「だから思われる蠱女(こじょ)がほろべば思う巫女(ふじょ)もほろびると」
「……もうおやすみなさい」
▼楼塔流杯③
ときはおなじく、ところは変わって。
休み休み飛んでいた楼塔流杯(ろうとうりゅうぱい)は、ようやく目指していた城(さし)の地に着いた。
そらをあおぐまでもなく、彼女は月と星を見た。
ここをまもる蠱女(こじょ)へのあいさつは、あしたにまわすことにした。
▼城①
通常、城(さし)の地にいくには船を使う必要がある。
一個のちょっとした山を切り取って海に投げ落としたような景観を持つ。
島と呼んでもさしつかえない。
砂浜はどこにもみえず、いびつな岩が海岸線を引いている。
ひとたびあがれば山道だ。おもに、いのししがでる。
▼楼塔流杯④
城(さし)の地におりたった流杯(りゅうぱい)は、木々にかくれた小川を見つけ、水をすくって顔をはたいた。
指の腹にあまったしずくを、かるくなめる。
「うん、ある」
彼女の吐息は山の空気に吸われていく。そよ風が耳をゆらす。
ときどきなにかがほえている。
▼楼塔流杯⑤
どこか寝付けず、小川のそばにあそんでいるカニをつんつんしていた流杯(りゅうぱい)だったが、とつぜん片方の耳にはいりこんでくる音があった。
首をかたむけるひまもなく、それはカニ……の手前に突き刺さった。矢だ。
「師匠!」
彼女は音のしたほうに目を向ける。
▼城射辰①
月明かりは、山の木の影に切り取られていた。だから光にむらがある。
弓をかまえた狩人を、まだらに照らしだしている。
向かってやや右斜め下をねらう体勢をとる。矢はつがえられていない。
そばを数匹のいのししがとおりすぎた。
それを目で追ってから、かまえをとく。
(つづく)
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