巫蠱(ふこ)第八巻【小説】
▼巫女と蠱女⑨
「さてと……そろそろここをはなれましょう。ふたりにはあぶないもの」
「皇(すべら)さん、筆頭はもう歩けませんよ」
「だいじょうぶ、ほぐしたから。ついてきて」
「……あの、そっちは桃西社(ももにしゃ)じゃないです」
「いいから。ほら蓍(めどぎ)も。ねむれるよ」
「……皇、いまは夜?」
「おかしい?」
「いや」
▼楼塔皇と赤泉院蓍③
皇(すべら)は空洞の奥に進んでいく。巫女(ふじょ)たちは彼女にしたがう。
しばらくすると、足場の切れたところにいきあたった。
ちょっとした段差のようだ。ぎりぎり蓍(めどぎ)でもなんなくおりられる高低差である。
着地にふらつく蓍に皇が言う。
「うん、この深さでちょうどよかったみたい」
▼桃西社鯨歯⑤
おりたあと、すこし移動する。
段差によってできた小さな崖に小さな穴があいていた。
空洞の中央……そのしたに向かう入り口のようだ。
鯨歯(げいは)が足をいれる。そのまま吸い込まれる。
穴のなかは傾斜になっていた。ゆかはごつごつしており、すべることはない。
そのさきには……。
▼楼塔皇と桃西社鯨歯④
湯が張っていた。
足先にぬるさが伝わってくる。
その無色透明は、ざらざらでもぬるぬるでもなかった。
数本のろうそくが、赤くない岩肌を照らしている。
……ななめうえから皇(すべら)の声が届く。
「鯨歯(げいは)、まずは風呂につかって。温度の落差があるから、慣らさないといけないの」
▼楼塔皇と赤泉院蓍④
「……で、蓍(めどぎ)はどうしてここに気付いたの。説(えつ)に聞いた?」
いま三人は、ぬるま湯につかって話しているところだ。
「皇(すべら)が言ってたとおり、露天風呂から推測した。あそこであらためて瞑想してみて思ったよ。
「浅いなって。こんなんで思われることができるのかって」
▼楼塔⑧
「加えて名前負け……楼も塔もどこにもない。じゃあ由来はなにか。
「こう思えばいい。かの地はすでに高みにあると。
「もともと地上だった場所……そのはるかうえ……そこにかためられた地上の擬態……
「それが見かけ上、筆頭蠱女(ひっとうこじょ)の管轄、楼塔(ろうとう)となった」
▼赤泉院蓍⑩
「露天風呂のしたは熱そうで、皇(すべら)の趣味に合致する。だから地下にいるかもと予想はできた。
「けど確証がない以上、確実なことから済ませるべき。
「それで、そとへの手紙や巫蠱(ふこ)全体についての情報伝達を優先した。いちおう皇をさがしつつ。
「……残る問題は、入り口がどこか」
▼赤泉院蓍⑪
「一媛(いちひめ)は皇(すべら)の消え先を説(えつ)から聞こうとしたようだな。あいつが答えなかったとすれば、だれかをかばうためだろう。
「そして水の柱のいきおいと離為火(りいか)のようすを見て、之墓(のはか)と対をなす、あのいすみたいな岩はなかにないと分かった。
「これは、皇がぬすんだなと」
▼赤泉院蓍⑫
「善意もあったと思う。それは、いまはいいとして、あの岩の真の意味は地下通路の出入り口。
「いわば門のようなもの。楼塔(ろうとう)の真下に踏み込む際にもおあつらえむきだ。
「とはいえ地上に設置すればすぐばれる。
「つまり桃西社(ももにしゃ)のそこ、それも楼塔の間近にしずめるしかない」
▼楼塔皇①
「ひとつまちがっている」
すでに三人は体温を慣らし、湯からあがっている。
ろうそくの火は消え、ようやくねむれそうだ。
「……と言いたいところだけど、ひとつもまちがいがない。さすが蓍(めどぎ)。
「御天(みあめ)が終わりそうになってはじめて、わたしをさがしにくるなんて」
▼刃域服穂③
……こうして蓍(めどぎ)は皇(すべら)を見つけた。
だが語るべきことはまだまだ残っている。
そのうちのひとつ、刃域服穂(じんいきぶくほ)について。
彼女は蓍から宙宇(ちゅうう)への手紙を受け取って、巫蠱(ふこ)たちの言う「そと」にでた。
あれから三度目の夜にして姉の居場所にたどりつく。
▼刃域宙宇②
宙宇(ちゅうう)は建物の屋根のうえに立っていた。
したには「世界一えらいやつ」が住んでいる。
蓍(めどぎ)の手紙にあったその言葉を思い出すたびに、彼女の表情はほころぶ。
ふくろをとりだし、手をつっこむ。はいっているものをかむ。
たまごの殻だ。
音を立てずに歯でくだき、飲み込む。
▼刃域宙宇と服穂①
「よろしいでしょうか」
まえぶれのないその声にも宙宇(ちゅうう)は動じない。
「服穂(ぶくほ)か。筆頭の指示が更新されたのだろう」
妹から手紙を受け取った宙宇は、それが二重になっているのを確認した。
外側の包み紙に書かれた文が宙宇に向けたものである。
なかの手紙の封は切らない。
▼刃域宙宇と服穂②
手紙を月影にさらす。
読み終えたあと、つつまれていたもう一通をふところにしまう。
そんな姉を服穂(ぶくほ)は凝視していた。
宙宇(ちゅうう)は、くしゃくしゃにまるめた紙をふたつ妹にわたした。
さきほど目をとおしたぶんと、岐美(きみ)の届けた手紙の外側。
そして服穂は消え去った。
▼刃域宙宇③
世界一えらいやつに、まだ手紙は届けない。
御天(みあめ)の仕事が終わるのを見届けるまで。
……彼女はふたたび例のふくろに手をいれる。そのかけらはすべて、なにかが生まれたあとのもの。
宇宙にかたちがあるならば、中身のない割れたたまごの殻に似る。
それが宙宇(ちゅうう)の軽蔑だ。
▼楼塔是と刃域服穂①
服穂(ぶくほ)の帰りは速かった。
まっすぐ進んで道場に着く。早朝、稽古の準備をしている是(ぜ)にあいさつする。
会談場所をここにするむねの手紙を宙宇(ちゅうう)にあずけたと彼女に伝える。
そして服穂は渡り廊下から楼塔(ろうとう)の屋敷に移る。巫蠱(ふこ)を数えない、その通り道を踏みしめて。
▼楼塔流杯と刃域服穂①
屋敷からだと上り坂になっているその廊下をながめていると、うしろから声が飛んできた。
「あれ、服穂(ぶくほ)さん? そとからねーちゃんに会いにきたんですね。わたしもさっき帰ったところで」
二本の筒をささげた人影……流杯(りゅうぱい)である。
「一汁一菜、要りますか」
▼城絖と刃域服穂①
流杯(りゅうぱい)の手料理を待つあいだ、服穂(ぶくほ)は屋敷の一室に座す。
部屋には先客がいた。
城(さし)の三女、絖(ぬめ)だ。
楼塔(ろうとう)に飛んで帰るついでに流杯が連れてきたらしい。
絖は服穂に気付くと立ち上がって握手を求めた。
「……死装束でも作っちゃう?」
「わたくしはけっこうです」
▼城絖①
城絖(さしぬめ)は巫蠱(ふこ)ひとりひとりに死装束を用意してあげたいそうだ。
希望の有無を直接たずねまわるつもりらしい。
現在、姉ふたりと流杯(りゅうぱい)からは「ぜひ」との返事があった。
かるいような気もするが、ほんとうに死ぬわけではないと思われるのでしょうがない。
▼城絖と刃域服穂②
「わたくしは離為火(りいか)に会ってから之墓(のはか)に向かいます。
「絖(ぬめ)、いっしょにいきませんか。葛湯香(くずゆか)もいると思いますよ」
「そうしよっと。つみちゃんに黒い紙の使い心地、聞かなきゃだし」
「誇(くるう)にもあげたようですね」
「いちおうね」
▼巫女と蠱女⑩
……腹ごしらえを済ませた服穂(ぶくほ)と絖(ぬめ)は、流杯(りゅうぱい)の勧めで露天風呂につかる。
服穂はうつむいて赤い湯を凝視し始めた。
「りゅーちゃん」
絖が楼塔(ろうとう)の三女を見ながらつぶやく。
「桃西社(ももにしゃ)にいってみて。きょうかあすで筆頭が見つかりそうな気がするから」
「ねーさんが?」
▼楼塔流杯⑥
服穂(ぶくほ)と絖(ぬめ)を見送ったあと、流杯(りゅうぱい)は桃西社(ももにしゃ)に飛ぼうとして筒をかまえた。が、やめた。
隣にいくのだ。自分の足を使ってもいいだろう。
「それに」
思われなくなる恐怖に加えて、ひとつの明確な疑念も生まれていた。
「わたしが飛べなくなるのは、いつだろ」
答える者はない。
▼楼塔流杯⑦
飛ぶことは流杯(りゅうぱい)の仕事ではない。
彼女自身の象徴だ。
玄翁(くろお)の言葉を反芻する。
「人はもともと、だれにも思われはしないから」
自分は姉とおなじように、ありのままに喪失する。地上には、いのちだけが落ちる。
「夢……」
射辰(いたつ)の顔が脳裏をよぎった。
▼楼塔流杯と桃西社阿国①
考えながら歩いているうちに、いつのまにか湖に着いていた。
桃西社(ももにしゃ)である。
近くに水面を泳ぐ人影がある。
流杯(りゅうぱい)に水しぶきが飛ぶ。思わず声があがる。
それに気付いた人影は流杯に近づき、あやまる。
「いや、おどろいただけ。ところで阿国(あぐに)、ねーさん、いる?」
▼楼塔流杯と桃西社阿国②
「いないやね」
「ふーん……そうそう、おまえ御天(みあめ)っちのことは」
「あなたから聞いてるけど」
「……あー岐美(きみ)さんね」
「とんぼさん。きのう、くじら姉とぜーちくさんがここもぐってったんよ。あの人さがすとか言ってた」
「見つかったの」
「浮かんでこん」
(つづく)
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