巫蠱(ふこ)第十九巻【小説】
▼草笠クシロと後巫雨陣説①
「ありがとう、いただくよ」
クシロは説(えつ)の指のあいだから葉っぱを抜き取る。軽く歯に当て味を見る。
「あまい汁。からさもある。食感も心地いい」
さらにかみちぎる。
「筋のすっぱさが絶妙で飽きが来ない。おいしい」
そんな彼の感想に説は何度もうなずいていた。
▼茶々利シズカと後巫雨陣説①
それから説(えつ)はクシロの隣に目を移す。
「あなたもどうぞ」
クシロと説が話しているときも棒立ちでいた彼、シズカに葉っぱをはさんだ指が向かう。
が、シズカは首を振る。
「一方的にもらうのも気がひける」
「それなら代わりにわたしの話し相手になってください」
▼茶々利シズカと後巫雨陣説②
ともあれシズカとクシロはふたたび街道を東に進む。やや前を歩く説にシズカが問う。
「俺たちと接触したのは独断か」
彼女は首だけで振り返って「うん」と答える。
対して質問を重ねるシズカ。
「そもそも俺たちのことを知っていたのか」
「そういう可能性を思っただけです」
▼茶々利シズカと後巫雨陣説③
「『かみ』って知ってます? しめすへんに日読みの申と書く『神』です」
「世界に多大な影響を及ぼすとされる未確認の存在。または特定のものに対する最上の畏敬を込めた呼び名。
「昔話には出て来るが、もう使う人間もいない。古語だな」
「死語とは言わないんですね」
▼後巫雨陣説④
「ふじょ……いえ、『みこ』はもともと神を思い、神の声を聞く者でした。
「未確認ともされる存在に最上の畏敬を込めてお仕えしていました。
「しかし神の言葉が変容した今日においては声を聞くにも工夫する必要があります。わたしはその方法を『可能性』に求めました」
▼後巫雨陣説⑤
「世界はあらゆる可能性に満ちています。可能性を全て知っている存在を神と呼びます。
「すなわち、可能性を思うことは神を思うことに等しいのです。
「無数の可能性のなかには『善』の可能性も網羅されています。それが、わたしという巫女(ふじょ)の聞く神の声なのです」
▼後巫雨陣説⑥
「あなたがたの信じる現実も『可能性』です。いま感じている現実が、世界や自分の全てと思いますか。ここにある世界と自分が、無数に存在する『可能性』のひとつにすぎないとしたら」
説(えつ)は首を回しつつ、後方を歩くふたりを見る。
「なぜ、笑っているんです」
▼草笠クシロと後巫雨陣説②
ふたりのうちの片方は無表情だった。
だが、もう一方の顔がほころんでいたのだ。
「神についてはよく分からないけど説(えつ)が言いたいのはいろんな世界や人を想像するということだよね。それって小説みたいだなって」
「うん……あなた、名前は」
「クシロでいいよ」
▼そとの世界⑱
「後ろを見て。隣のかたも」
クシロとシズカは説(えつ)に言われたとおりに振り返る。そこには夕暮れがあった。東西に延びる街道から見たためか西日が多めに目に入る。
「わたしと話してくれて嬉しかった」
ふたりがふたたび東を見たとき、彼女はすでに消えていた。
▼茶々利シズカと草笠クシロ⑩
気を取り直してシズカたちは、あいかわらず街道を東にたどる。
だがそろそろ、道のかたちに変化が見え始めた。
木々と街道の境目が少しずつ北に湾曲しているようなのだ。
そのまま道なりにゆけば、じきに足が北に向かうことになる。
「シズカさん、もうすぐ着きますね」
▼茶々利シズカと草笠クシロ⑪
「宙宇(ちゅうう)によると之墓(のはか)と宍中(ししなか)の境目のそとに葛湯香(くずゆか)がいるんだったな」
「彼女の特徴も分からないのにどうやって見つけます」
「天幕を探せばいい」
「天幕と言うと布でおおわれた住居ですか」
「そうだよ。彼女は移動してるんだ」
▼茶々利シズカと草笠クシロ⑫
ある程度北上したところでその天幕は見つかった。街道の右手の荒れ地に、だいだい色の天幕が張られていたのだ。
「目立ちますね」
「俺の情報網にも以前からひっかかっていた」
天幕のそばには、看板があった。
「あなたの一番要らないものをください」と書いてあった。
▼茶々利シズカと刃域葛湯香①
★分岐点⇒[ありえると思う選択]
「すみません」
天幕の前でシズカが声をあげる。
すると、なかから誰か出て来た。
「客ですか」
「あなたに用があります、葛湯香(くずゆか)さん」
「用件は聞くが、いきなり初対面の人間の名前を呼ぶな、怖いだろ」
「すみません」
シズカは謝って、例の紹介状を見せた。
▼刃域葛湯香③
葛湯香は紹介状の文面を確認する。
「宙宇(ちゅうう)の筆跡か。
『茶々利シズカとその部下ひとりを我々の地に案内するように。彼等は軍の関係者で、安全保障の観点から巫蠱の動向を探りたいらしい』
「……なんだ、てっきり『始末しろ』とか書かれているかと思った」
▼刃域葛湯香④
紹介状をシズカに返し、葛湯香は天幕からやや離れた場所に移動した。
そこも街道沿いの荒れ地である。
どこから取り出したのか、火打ち石と火打ち金を打ち合わせ、葉っぱに小さな火をつける。
くゆりながら、煙が高くのぼる。
「のろしだよ。まずはアレの意思を問う」
▼茶々利シズカと刃域葛湯香②
「葛湯香、聞くが――」
「こんな細い煙で森の向こうに伝わるのかと思っているな」
「……ああ」
「分かると思うしかないさ」
「やはり『思う』ことが巫女(ふじょ)のちから」
「どうだろうね」
「それと、アレとはなんだ」
「アレはアレだろう。ソレでもコレでもドレでもない」
▼そとの世界⑲
「彼女が火をつけた葉っぱ」
クシロがシズカに小声で話しかける。
「説(えつ)が自分たちにくれたものと同じじゃありませんか」
「確かに。食用以外にも使えるらしいな」
シズカは声を低めず答えた。
それに葛湯香が反応する。
「卯祓木(うばらき)という名の変な植物さ」
▼宍中十我⑤
ところで、葛湯香のあげたのろしは森の向こうに届いたのか。
事実を述べれば、すぐに気付いた者があった。
宍中(ししなか)の地に住む蠱女(こじょ)、十我(とが)が上空に煙をみとめたのだ。
「薄いし、細い。でも分かる。来たぞ。予想が当たったな。蓍(めどぎ)」
▼赤泉院蓍⑮
十我(とが)の後ろの足下に誰かが寝ていた。
その人物が起き上がる。
彼女こそが筆頭巫女(ひっとうふじょ)の赤泉院蓍(せきせんいんめどぎ)である。
草むらをふとん代わりにしていたため、上体を起こすときに虫たちが散った。
「煙はひとすじ。多くてもふたりか」
▼宍中十我と赤泉院蓍⑧
服に付いた虫をつぶさないようはたきながら、蓍は立ち上がった。
「十我、客人を招き入れる。うちの屋敷で待ってるから、向こうがわたしに会いたくないと言わない限り連れて来て」
「いいよ。ただし危ないと思われたら追い返す」
「優しいな。じゃ、お互い穏便にいこうか」
▼宍中十我⑥
それから十我は自分の家の屋根にのぼった。
そこに転がっていた手の平ほどの玉を拾う。
玉から出ていたひもに火をつけ、天高く放り投げる。
緩やかな放物線をたどる途中で音もなく玉は爆発し、光と煙をあたりに散らした。
するとほどなくして、森の向こうの煙も消えた。
▼宍中十我と刃域葛湯香①
「迎えるか」
屋根からおり、地面の草を蹴り、森の前まで進む十我。
立ち止まり、しばらく待つ。
木々のあいだから葛湯香が現れたのは日没後。
客人ふたりを連れている。
「ここ、虫多いから気を付けろ。……あれ、十我がいる」
「おつかれ葛湯香。あとは引き継ぐよ」
▼刃域葛湯香⑤
葛湯香の影は大きくみえた。それなりのたんすを背負っていたから。
例の天幕もたたまれ、収納されている。
そして一見子どもしかとおれないほど密集する木々のあいだを、彼女はつかえることなく抜けた。道を選び、身をひねりながら。
(あとで木の配置を変えておこう)
▼巫蠱の地⑤
右に折れ、姿を消す葛湯香。
彼女に向かって案内の礼を述べる客人ふたり。
こぶしで自分のほおを小突きながら、客人たちを観察する十我。
彼等の視線が葛湯香から外れたとき、十我は口を使わず鼻孔だけでため息をついた。
「歓迎します。敵地にのこのこ乗り込む度胸を」
▼茶々利シズカと宍中十我①
「ではわたしの家に。葛湯香の言ったとおり虫の多い土地ですが、彼等は無害です」
十我は客人ふたりを誘導する。
三人は移動中に自己紹介を済ませた。
客人のひとり、シズカは思う。
(宍中の三姉妹。誇はまあ有名で、御天は言わずもがな。だが十我の情報はないに等しい)
(つづく)
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★IF[ありえると思う選択]
「茶々利シズカと刃域葛湯香①」より分岐の可能性【六割九分】
「すみません」
だいだい色の天幕に向かってシズカが声を張り上げる。
すると、天幕のなかから誰か出て来た。
「客ですか」
「はい」
シズカはあえて本当の用件を隠した。なるだけ彼女たち巫蠱の情報を手に入れるためである。
「そこの看板に『あなたの一番要らないものをください』とありますが、ここはいったいなんのお店でしょう」
天幕から出て来た者の名前をシズカはすでに知っている。
巫女、刃域葛湯香だ。
彼女が天幕で、とある商売をしていることも、それがどういう店かも事前に調べてある。
だが、いまは客として反応を見る。
葛湯香と初対面のクシロにとっては、巫女のひとりをじかに理解する機会にもなるだろう。
当の葛湯香は値踏みするときの視線でシズカたちを観察したあと、看板をこんこんたたいた。
「ここに書いてある代価を受け取って、飲み物を提供するんです」
「飲み物とは、お茶でしょうか」
そんなクシロの疑問に葛湯香は間を置かず答える。
「代価次第で変わります。ただ、お酒と毒は出しません。どうです、試しに利用してみては」
「しかし一番要らないものが代価なのでしょう」
クシロは少しうつむいて、考える姿勢をとる。
「一番必要なものと言われたら、『いのち』とか『時間』とか『お金』とか『自由』とか、いくらでも思い付きますが」
「これまでの客には大金をわたしにくれた人もいました」
「人によって大切なものが違うように、大切でないものもまた違うというわけですね」
「いいや」
立ててある看板に葛湯香は寄りかかる。
「大切なものと、必要なものは、似て非なるものです」
看板は彼女の重みを受けてかたむいたが、倒れることはなかった。
「となると、僕は『欲望』をあげたいと思います。生きる原動力としては大切だけれど必要かと問われればそうでもありません」
「いいでしょう。その欲望をもらいましょう。どんなものです」
「絵本を書きたいんです。それで世界中のみんなに読まれたいんです」
「それは夢では」
冷静に返す葛湯香。
一方のクシロは小さく笑う。
「いや、そんな立派なものではないのです。あけすけに言えば、『いい地位を手に入れてちやほやされたい』だけで」
「そうですか、あなたの一番要らないもの、確かに受け取りました。少々お待ちを」
看板から身を離し、葛湯香は天幕のなかに戻った。
それからほんの少し経って彼女はふたたび姿を見せる。
飲み物の入った湯飲みを手に持っている。
「熱いので気を付けてください」
湯飲みを渡されたクシロはゆっくりとそれを口に運んだ。
なかの液体の色は濃い緑。
鼻に近づけた瞬間に湯気と苦みがのぼってきた。
湯飲みを通して液体の温度が伝わり、手の平がやや腫れたような心持ちがする。
そろりと口内を熱さが満たす。歯ぐきから口蓋、舌の根元に至るまで、じんわりと熱がしみこむ。
いったん湯飲みから口を離し、気を落ち着ける。
熱がひいていくごとに、苦みが舌におりてくる。
その苦みを打ち消そうと、もう一度、湯を口に含む。
しかし熱いためにそれも長くは続かない。
こうして熱さと苦さを繰り返す。
だが湯飲みの底がみえたとき、クシロはそのふたつが体内で調和していることに気付いた。
食道にも温度を広げ、胃に落ちたそれは、最終的に腸に達する。
ちょうどその頃合いには熱さがほどよく抜け、ぬくもりだけが残っている。
手の平の腫れもいつのまにか和らげられている。湯飲みとのあいだに出来た隙間に、優しく外気がすべりこむ。
ある種の不均衡を思わせる感触は再度、腸を思い出させる。
残ったぬくもりのなかに震えが隠れている。その微動は、苦みの名残に違いない。
震えがぬくもりを保ち、ぬくもりが震えをつつみこんでいる。
腸内の運動は手の平に再現されるのみならず、クシロの全身へと及ぶ。
というより、すでに彼の体は調和のなかにあった。
彼自身がそれにあとから気付いたと言うほうが正しいだろう。
その作用は脳ひいては心にも手を伸ばしていた。
彼の甘い欲望は苦みによって奪われた。
ただし奪われたのは欲望だけだった。
同時に、熱があったからだ。
熱は、甘さの失せた、純度の高い感情に働きかけた。
そこにあるのはひとつだけ。
「絵本を書き、みんなに読んでもらいたい」という、ただの夢がそこにあった。
「そこ」とは、心だけを指すのではない。なぜなら熱は彼の全てを震わせていた。
よって彼、草笠クシロは、全身全霊で、その身ひとつを総体として「夢」を感じていた。
代価に「欲望」を差し出すことによって。
「どうしました、熱すぎましたか」
葛湯香がそう問うたのも無理はない。
クシロが湯飲みを両手でつつみこんだまま、涙を落としてしまったのだから。
自身のほおをすべるその涙にさえ、あたたかさを思ったクシロであった。
「申し訳ないです。こんなに……こんなにいい飲み物をもらっておいて、僕はただ自分のつまらない話を聞かせただけで」
「いえ、代価として充分だと思います。もうあなたの欲望は返しません」
「ありがとう」
「お礼なんて要りませんよ。一文にもならない。それとも追加の注文で?」
「いや、この感謝は要らないものではありませんので代価にはならないでしょう」
「ま、そうでしょうね。さて」
からになった湯飲みを回収した葛湯香は、クシロのそばに突っ立っていたシズカのほうに視線を移す。
「あなたのほうは、一番要らないものをくれるんですか」
看板を片手でなでながら葛湯香が質問する。
シズカは迷いなく言った。
「『死』だ」
「それは受け取れません」
「理由は」
「譲渡不可能だからです。あなたは死を手放せない。渡すこともできない。わたしの死にしても一度きり。
「二回以上死ぬことも、死を誰かに押し付けることも、できないんですよ。当たり前のことですけどね。
「あなたもわたしの反応を見るためにわざと言ったと思いますが」
「弱りましたね。代価は別の機会にお支払いすることにしましょう」
「そうしたいならそうしてください。で、本題は?」
葛湯香はシズカと、クシロを交互に目に入れる。
「なんかおまえたち、たまごの殻くさいんだよ。宙宇に会ってから、ここに来たな。
「だったら接待のような態度は、もういいな。そっちも口調を崩せ」
彼女はそのまま看板を引っこ抜いた。
「わたしは刃域葛湯香。宙宇の妹の巫女だ。いや、最初から知ってたか?
「おまえたちの名前は」
「草笠クシロです。実は仕事で来たんですが、もうそれとは関係なく客として葛湯香には感謝しています」
「茶々利シズカだ。とある用で宙宇から紹介状を書いてもらって、おまえのもとにいくよう言われた」
「ご苦労なこったな」
そうして葛湯香は紹介状に目を通した。
……………………
あとは実際に起こったことと似通っているだろう。
よって今回の分岐の可能性を語るのはここまでにしておく。
(おわり)
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