絵を描くというのは誰にでもできるが非常に難しいものだ。
絵が下手な有名人をあえて「画伯」と呼んでネタにする事がある。
確かに「画伯」と呼ばれる人の絵は、
上手い下手の枠を超えて何を描いているのか理解ができない。
これは絵画の作成を行ってはいるが、
絵と定義されるものを生み出せなかったと言えるだろう。

私の絵もひどいものである。
真面目に熱心に描くのだが、下書きが上手くいっても絵の具を塗ると絵が死んでしまう。のっぺりとした不穏なモノになってしまうので、あれは塗装に近いのだろう。
また、画用紙の白い部分が無いように描きなさいという指示を忠実に実行した結果、画用紙に穴が開いた事もある。力で破ったのではなく筆で何度も塗っているうちに水でふやけたりして開いたのだ。
余談だがその絵を通学途中で落としてしまい、
1年生から6年生まで全クラスに「この絵の持ち主いませんか」と回されて恥ずかしかった覚えがある。せめて上級生側の6年生から回してくれよと思ったものだ。

いわゆる「画伯」ではないもののどれくらい下手かおわかりいただけたと思う。下手かつ苦手なのだ。

そんな自分でも子供の頃から現在に至るまで「上手いね」と褒められる分野がたった一つだけある。それは生き物のスケッチだ。
昨夏もクワガタムシの絵を描いたら甥や姪に喜ばれた。
中学生の頃もたいてい美術は2だったが、
たまに4という自分でもビックリな評価が出る事があったが、
その時はほとんどが作成したもののテーマに生き物を選んだ時だった。

好きこそものの上手なれという言葉もあるので、
自分の生き物好きが昂じてそれなりに描けるのかと思っていたが、
これが哺乳類となるとまた下手になる。

不思議なものだな、前世は魚か虫だったのだろうかなどと考えていたが、
最近になって理由が分かったように思う。

昆虫は虫であるが、虫は昆虫だとは限らない。
魚類も魚であるが、魚が魚類だとは限らない。
それは昆虫や魚類には定義がある。必要な条件がある。
中学の理科あたりで習ったように思うが、
昆虫は3対の脚と頭部・胸部・腹部で構成されている。
その条件を把握できているから、いわば設計図のように頼りにして描いているのだとごく最近になって気づいた。

なのでクワガタをリアルっぽく描く事はできても、
芸術的なアレンジはきっとできないと思う。試みた事もない。

となると、最初に戻ってまた疑問が芽生えるのだ。
自分が描いているのはクワガタの絵なのか、
クワガタの定義を画像化したものなのか。
少なくとも創作とは言えないのではないかなと思うのだ。
ならば「画伯」と同じで、絵を描く作業をしてはいるものの、
情報を羅列しているだけにすぎないのかもしれない。

書いていながらこんがらがってきた。
考えすぎといえばそれまでだが、
創作とはなんぞや、絵とはなんぞやと考えると不安定な自分なのである。

絵を楽しく描ける人は羨ましくもあり尊敬もしている。
身内の話で恐縮だが、似た遺伝情報でうまれたはずの妹は、
鼻歌まじりにスイスイと数日前に海に行った絵を描いていた。
数年経った今見ても、どれが誰で海と空の青さの違いもハッキリしていて思い出が蘇る。写実的ではないが確かに印象に残っている風景と合致する。

やはり才能というものは人生に大きく作用するのだなと思う。
絵がダメな分、自分にも何か特技があって良さそうに思うのだが、
ちょっと思い浮かばない。
天は二物を与えずどころか何も与えられなかったのではなかろうか。
厳しいというべきか、世知辛い神様だか仏様だか親だかがいたものである。

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