神の国を血に染めて

 会社を辞めた直後に見上げる青空ほどこの世に美しいものはない。それがクソみたいな職場であれば猶更だ。その美しさに比べれば、次の仕事が決まっていないことなど大した問題ではない。

「……いや、大問題だったわ」
『揖斐川さん、大丈夫!?』
「すんません、走馬灯見てました」
『本当に大丈夫なの!?』

 腰に括り付けた絵馬型デバイスが勇美お嬢さんの焦る声を伝えてくる。自分のような都会で馴染めなかった系出戻り巫女を心配してくれるのだから、お嬢さんは本当にお優しい。とはいえ手持ちの「方位除け」護符は方々から飛んでくる矢にゴリゴリと削られていた。相手は流石の「豊穣」の神徳持ち。稲荷の総社は伊達ではない。

「あと30秒で予定地点に到達です。腹括って下さい、降神準備を」

 私の声に応えるかのように発する彼女の警蹕が斎場を清めていく。不要かもしれないが、神を迎えるのに万が一があってはならない。こちらもそろそろ備えねば。

「――蘇民将来之子孫也」

 祝詞よりもさらに古い、防疫を担う一語。なぜこの場面でこれを選んだか、稲荷の連中は怪訝に思っただろう。だが彼らの疑問に答えるのは言葉ではなく、七孔からの噴血。お嬢様が千引石を開き、伊邪那美命――黄泉比良坂にて伊邪那岐命の子らを呪い続ける彼女を、黄泉の瘴気と共に降神したのだ。瘴気に当てられ、稲荷の面々は次々に倒れ伏す。

 おいたわしやお嬢様。この国の神話で最初に夫婦喧嘩をした祭神に愛されるがあまり、「自分が認めた相手以外と絶対に結婚できない」という神徳に恵まれてしまった彼女。呪いにも似た愛を如何せんと悩み抜いた彼女は、私と共にこの「例大祭」に参加することとなった。

 日本で唯一「神在月」を号する十一月の出雲。神々はこの地に集い、人々の良縁を図るという。その神事に唯一、人の意志をねじ込む権利を賭けて私たち神主が血で血を洗う戦いを繰り広げるのが、この由緒正しき「例大戦」だった。(続く/798文字)

甲冑積立金にします。