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場面緘黙と園・学校・先生の話

園や学校で、子どもが先生から、場面緘黙が悪化しかねない声かけや対応を受けたと見聞きする件は多い。先生たちも厳しい労働環境や激務で新しい知識や対応策を学ぶ時間や心の余裕がないという一因もあるのかも。

例えば、話すことを強制する、クラスメイト全員から注目されている状態で話させようとする、話せないことを注意・叱責する、話せるまで廊下に立たせるなど罰を与える、黙っていることをからかう、話せないと〜だよ(自分が損をするよ、困るよ、生きていけないよなどと諭す)などの対応は、確実に場面緘黙の症状を加速させると思う。子どもの傷つきはどれほどだろうか、それでは場面緘黙の子たちは余計話せなくなってしまうよ、という上記のようなエピソードを聞くことは多い。

せめて保護者から場面緘黙であると事前に伝えている場合は、無理に話させるのは本当にやめてほしいのだけれど、ベテランで熱意ある先生のほうが我流・自力で何とかしようとしてこじれてしまうケースも結構見聞きする(だから傾向として、若く経験の少ない先生でも一緒に学んでくれるほうが、固定観念が少ないため保護者は連携しやすい?という説もある)。

たしかに、場面緘黙児は表情が乏しいことが多く、困っていること・悩んでいることも外からはわかりにくい。わざと黙っている、反抗している、憮然としている、と誤解されてしまうこともある。

先生にも新たな知識や子どもへの視方のアップデートが必要と思うが、やはり厳しい労働環境と激務かつ、そのなかを積み重ねてきた経験知×自信=信念となりプライドの壁も厚そうだ。かつ、今まで「内向的で大人しいが徐々に口数も増え集団に溶け込んだ」子どもたちに、緘黙児よりも圧倒的に多く出会ってきたのだろうという要因もありそうに思う。

子どもに長年関わってきた人ほど、場面緘黙というとなぜか深刻に捉えてくれないことも私の周りではちらほらあって、それも同じような要因に思える。大丈夫大丈夫、そういう子はよくいる、時間が解決する、とおっしゃることが多い。保護者の心配し過ぎ・過保護と受け取られることもある。

一方、先生たちの経験知が信頼に足る場合ももちろん多くて、「大人しい子」への見立てとしては適切な場合もある。場面緘黙グレーゾーンの場合など、少しずつ話せるようになるなど、結果的には「大人しい子」としての対応でよかったということもあるかもしれない。が、実は場面緘黙が本格的に発症するかもしれない、あるいは改善するかもしれない重要な分岐点だった可能性もある。

また私自身は、学校で全く話せない訳ではなかったため、自分が何に悩み苦しんでいるのかも分かっておらず、それを周りの人に場面緘黙傾向であると気づいてもらうのはほぼ不可能だったようにも思うので、学校における場面緘黙の支援・介入についてはさまざまな難しさも感じる。

とはいえ、実は「大人しい子」たちのなかには場面緘黙傾向の子どもも含まれていて、そういう子たちは「ただ大人しいのではなく、話したいけど話せない」人知れぬ苦労を抱えながら過ごしているという認識はできれば持ってもらいたいし、もしも思った以上に場面緘黙の症状が重かった場合のリスクと結果を想定しつつ対応する観点が必要と思う。

ただ「大人しい・内向的」なだけではなく、場面緘黙の可能性があること。その場合は早期発見と対応がないと園や学校で何年も話せないままになってしまい、その子の将来にも影響することを知っていてほしい。迅速な専門的介入はハードルが高くても、無理に話させる、話さないことを叱責する、話すことを意識させるなどの対応をなくし、環境調整などの配慮に目を向けてほしい。

むしろ、園や学校で積極的に緘黙児を見つけてもらえれば、早い段階で支援や改善につながりやすいはず。そして、支援においては保育士や教員だけでなく保護者やスクールカウンセラー、支援級担当者、心理・医療・福祉などの専門家との連携が求められる。現状ではハードルが高いかもしれないが、担任の先生がひとりで背負うものだと思うとしんどいので、連携を念頭に置いてもらいたい(というか、場面緘黙支援には連携が必要)。

普段からアンテナを貼っていて余暇を削って学ぶ人や、もともと関心の高い人にしか場面緘黙の知識がない。そんな状態が変わらないと現状も変わらない。研究が進んで場面緘黙対応のための知識や情報の必要性・重要性が今よりも明らかになり認知されれば、状況は変わるかもしれない。例えば保育士、教員、支援職向けの専門的な研修などが増えてほしい。

専門的な知識や人権意識、社会モデル的な障害観、子どもへの見方・接し方。社会全体において、それらのアップデートが必要とは思うが、それを個人に求めるのは困難な面もある。また、場面緘黙とくにグレーゾーンの場合には、「話せることもある」「できることもある」ため、性格の問題だと受け取られやすいだろうし、本人もそんな認識であることが多い。先生の目の前に場面緘黙の子どもがいても、不安障害であること、配慮や支援が必要であることに結びつきにくい現状がある。

場面緘黙の認知と最低限の正しい知識が広まって、初めて先生が配慮や支援の必要性に気づく。園や学校で、制度としての合理的配慮や支援が今よりも当たり前に利用されている状況になれば、緘黙の子どもたちも、もっと自然に助けを得られるようになるとも思う。

たとえ知識が広まってもすぐに助けてくれるわけではないかもしれない。しかし、少なくとも無理解からの揶揄や叱責、いじめや不適切な対応は軽減する可能性がある。積み重なって折れてしまう前に、理不尽な傷つきは極力なくしたい。関わる人の知識の有無が場面緘黙の人の人生に影響することは大いにあると思う。

私なりにもまずは最低限の知識を広めたいし、「場面緘黙の人に出会ったらどうすればよいか?」という漠然とした素朴な問いへの最良の答え方を具体的に考えようと思う。よく聞かれるが、場面緘黙の症状は個人差が大きいしひとりひとり背景がちがうため答えにくいと感じてきた。しかし、場面緘黙に関心を示し投げかけてくれた大事な質問なのだ。

皆、切実な気持ちだと思う。


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