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小説家 水原涼さんによる「カルチャーセンター」へのコメント(松波太郎『カルチャーセンター』関連記事)

小説『カルチャーセンター』には作家や編集者の方などに松波太郎さんが依頼した作中コメントが収録されています。実は、水原涼さんの作中コメントには2パターンあり、掲載できなかったもう1パターンの方をここで公開させていただきます(水原涼さんの了承をいただきました)。「カルチャーセンター」全体に寄せられたコメント、ぜひご覧ください。

 私が小説を書きはじめて、そろそろ十五年が経つ。私は三十歳なので、人生の半分を小説を書いて過ごしている計算だ。最初は高校一年生で友人と同人誌を立ち上げ、大学の文芸部に入り、大学院の創作科に進学した。つねに身近に小説を書いている仲間がおり、作品のデータやそのプリントアウトを渡せば熱心に読んで感想をくれる人がいた。私の作品を題材に何時間も話し合い、その後の居酒屋でも議論は終わらず、翌日会ったときにまで、昨日は言いそびれたんだけど、と話がつづく。十五年間、私にとって、小説は誰かといっしょにつくるものとしてあった。もちろん個々の作品はひとりで書いたが、それは必ず彼らに読まれ、評され、書き換えうるものだった。
 貴重な場だった、と今にして思う。私たちは誰にも頼まれずに小説を書き、断られるかもしれないなんて想像もせずに「書けたんで読んでや」とだけ本文に書いて原稿を送りつけ、恣意的な読みをして、無責任な感想をぶつけあった。合評会の参加者はみんな自分の作風を模索している途中で、体系立った批評なんてできず、自分ならこう書く、という話ばかりした。混沌、なんて恰好いい形容も似合わない、ただ収拾のつかない場だけがあり、しかし、そういう場所を私たちは持っている、ということだけは、私たちは確信していた。
 新人賞の応募作は、そういう場の外に出るために書かれる。私は新人賞の下読みをしていて、年に一度、段ボール一箱ぶんの応募原稿を読む。私が担当しているのは二次選考で、三次に上げる作品より落とす作品が多く、しかしだいたい、上げたいと思う作品は、編集者から求められているより少ない。
 ときどき、かつて私が文芸部にいたころに読んでいたような、書いていたような作品が届く。作者の自意識が滴るようで、そのくせ自分が何を書きたいのかも手探りだったりして、しかしどこか読者に対して開かれた作品。必ずしも質が高いわけではなく、そういう作品は落としてしまうことが多いのだが、そこに充満する作者の自意識に触れたくて、段ボールを編集者に送り返す前にもう一度読むこともある。
 それぞれに違う境遇と感性のひとが書いたのだから、応募作品はそれぞれまったく違い、しかしそれらを選考する私は一人だ。そして段ボールのなかに一作は、ぜんぜん何がやりたいのかわからない作品がある。そういう対応に困る作品であっても、上げるか落とすか決めなければならず、私はそういうとき、文章を追いかけることの快があるか否かで判断している。何がなんだかわからないままでもある程度の長さを読むことに苦痛を感じないとしたら、そのこと自体、優れた作品であることの証だ。
「万華鏡」に、その快はある。視点が移り、タイポグラフィのような部分もあり、メタフィクションぽくなったと思ったら、文章が急に詩的になってきたり、日本語でもないようになってきたり、改行ばかりになってきたり、一字下げ等も統一されなくなったり、回想になったり、また論理的になりだしたり、とこれは途中から作中人物の言葉だが、そうやって移り変わっている語りに当惑しつづけるのは楽しい体験だった。作者が何をやろうとしたのかはわからず、何かをやろうとしていたのかどうかすらわからないが、いずれにしても、私としてはとても面白く読みました。下読みをしていて、この作品が届いたら、どうかな、落とすだろうか。自分にはつかみきれない何かがある、という理由で、上げてしまうかもしれない。

(水原涼・小説家)


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松波太郎『カルチャーセンター』

四六変形、上製、272ページ
定価:本体1,700円+税
ISBN978-4-86385-513-7 C0093
装丁 佐藤亜沙美
装画 藤倉麻子
http://www.kankanbou.com/books/novel/0513

2022年4月発売。

松波太郎はそこにいた。カルチャーセンターで共に過ごしたニシハラくんの未発表小説『万華鏡』が収録され、作家や編集者たちから寄せられたコメントに、松波太郎の説明責任までもが生じてくる文章と空白の連なり……松波太郎は、ニシハラくんに語りかける。「どうかな? これは何だろう? 小説なのかな?」

松浦理英子さん推薦!
「小説を書きたいという欲望に憑かれていた若くほろ苦い日々を、哀惜をこめて振り返る松波太郎は本物の作家である」


これはすべての作家が通って来た文学的青春への鎮魂の書である。小説とは何かも言えないまま、ただ書きたいという欲望に憑かれていた時代への。         
         ーー松浦理英子


小説のわからなさを、そのわからなさと共に生きていくことを、ひたすらに書いている。この小説を読み終わりたくないと思った。
          ーー柴崎友香

カルチャーセンターは、社会で帰属する場を離れて〈個〉となった人と人が、遠い憧憬を胸に秘めて集う。それが稀に奇跡のように幸福な交流を、この地上にもたらす。
松波さんはその鎮魂と再興のために、この小説を、みんなの力を借りて作り上げた。
(この推薦文わかりにくいですか? 読むうちにほぐれて、あなたを照らす光になるはずです。)
          ーー保坂和志

【著者プロフィール】
松波太郎(まつなみ・たろう)
1982年三重県生まれ。文學界新人賞、野間文芸新人賞受賞。著書に『よもぎ学園高等学校蹴球部』、『LIFE』、『ホモサピエンスの瞬間』、『月刊「小説」』、『自由小説集』、近著に『本を気持ちよく読めるからだになるための本』。


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