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第47回 タイラー・ダーデンふたたび、みたび──『ファイト・クラブ2』そして『ファイト・クラブ3』(青木耕平)

序:You DO NOT talk about Fight Club

ファイトクラブ第一のルール:ファイトクラブについて喋ってはならない
ファイトクラブ第二のルール:ファイトクラブについて喋ってはならない

 今回の記事は、『ファイト・クラブ2』(Fight Club 2)についてです。タイトルそのままに、『ファイト・クラブ』の続編であるので、どうしても『ファイト・クラブ』について語ることは避けられません。ここで一つ問題が生じます、「ファイトクラブとは何であるか」を、「ファイトクラブとは何であるかを知らない」方に語ることは、キツく禁じられているのです。映画『ファイト・クラブ』をご覧になっていない方は、この記事を閉じてください。ご覧になったうえで、またこの記事にアクセスしてくださることを心待ちにしています。

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デヴィッド・フィンチャー監督作品『ファイト・クラブ』

 さて、もう一つ質問をさせてください。あなたは、映画の原作であるチャック・パラニューク(Chuck Palahniku)による小説『ファイト・クラブ』を読みましたか? 『ファイト・クラブ2』をより深く理解するには、読んでおいたほうがいいでしょう。原作小説と映画版はやはり若干異なっており、とくにエンディングは全くの別物です。『ファイト・クラブ2』は、映画版の続編という面もあるのですが、直接的には原作小説の続編です。未読の方、この記事を今すぐ閉じて、最寄りの書店に走りましょう。

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チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』池田真紀子訳

 今この文章を読んでいるあなたは、おそらくずっと首を長くして、『ファイト・クラブ2』の邦訳刊行を待っていたのではないでしょうか。そして、それが出ないことに落胆し、せめて内容だけでも知りたい、と願っていたのではないでしょうか。 おまたせしました、今回の「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」は、ネタバレ、解説、考察ありの13,000字「超大盛」で、『ファイト・クラブ2』をお届けします。レッツ・トーク・アバウト・ファイト・クラブ!

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1:そしてタイラーだけが神になった

 結論から言おう、『ファイト・クラブ2』は、ただの続編の物語ではなく、「メタ続編」である。それは、原作小説、映画版、作者を取り巻く環境の変化、作品の大ヒットによって起こったタイラー・ダーデンの神格化、その「全てについて」の物語だ。よって、『2』を論じるまえに、まずは『ファイト・クラブ』の映画と小説の差異、それらが与えた文化的インパクトについて振り返ろう。

前提① 著者チャック・パラニュークの自嘲

 『ファイト・クラブ』について人が言及する時、それは十中八九、映画版のみを指している。そしてそのような状況を、著者パラニュークは自嘲気味に何度も述べる:

「『ファイト・クラブ』が大好きという人がいたので、私が著者だと言ったら、「え、本があったの!?(There was a book!?)」と驚かれたよ」(「著者あとがき」、2005年版) 

「(デヴィッド・フィンチャーのような天才に映画化してもらえてツイてたな、と言われ)ああ、素晴らしい映画だよ。でもね、映画が良すぎると、誰も小説なんて読まなくなるのさ」(ブレット・イーストン・エリスとの対話、2019年)

 『ファイト・クラブ』の映画と小説の関係は、『時計じかけのオレンジ』のそれと似ている。スタンリー・キューブリック監督は、アンソニー・バージェスの原作に沿って映画を展開したが、そこでは小説本来の最終章が描かれていない。強烈なビジュアルイメージと相俟って、原作小説も傑作であるにも関わらず、今日『時計じかけのオレンジ』と言えば、十中八九キューブリック版を指すこととなった。

 細部は違えど、映画『ファイト・クラブ』もまた、基本的に小説と同じように展開する。その見事な映画の出来と、なによりタイラー・ダーデンを演じたブラット・ピットの見事なハマり具合によって、『ファイト・クラブ』=デヴィッド・フィンチャーによる映画、タイラー・ダーデン=ブラット・ピットという認識ができあがった。映画『ファイト・クラブ』もまた、『時計じかけのオレンジ』同様に、原作小説の最終章は一切描かれていない。

前提② 映画版の騒乱計画とラスト

 パラニュークによる原作小説とフィンチャーによる映画版の主たる違いは二つある。騒乱計画(プロジェクト・メイヘム)と、物語の結末だ。映画版での騒乱計画の主眼は「クレジット・カード会社ビルの破壊」であり、「全ての負債がチャラになることによる経済的平等の達成」という、政治的、経済的な目的がブラット・ピット演じるタイラー・ダーデンの口から語られる。映画は、実はここにいたるまで、タイラーは直接には誰一人殺していない。

 エドワード・ノートン演じる「語り手」は、ビル爆破はいくらなんでも被害が多すぎて死者もでると、騒乱計画を止めようとする。映画のクライマックスは、高層ビル最上階フロアでの「語り手」=ノートンと「語り手の分身」であるタイラー=ピットの対峙だ。「語り手」は自ら作り出したタイラーを消すために、目を見開いたまま銃を自らの口に撃ち込む。次に映るのは脳天を見事に撃ち抜かれたタイラー=ピットであり、彼は「絶命し、消滅」する。

 騒乱計画実行犯のスペース・モンキーたちとマーラ・シンガーが駆けつけると、そこには頰から大量の血を流しながら立つ語り手がいる。周囲のビルが次々に爆破し崩れていく様を、語り手ノートンとマーラは手を繋ぎながら眺める。映画の最後のセリフはノートンの口より語られる:「僕は本当に大丈夫だ。信じてくれ。これから全て良くなる。僕の人生の凄く奇妙な時に、君は僕に出会ったんだ(You met me at a very strange time in my life.)」

 騒乱計画の成功。自ら作りあげた裏人格タイラー・ダーデンを葬り去って勝つ「語り手」。マーラ・シンガーとの恋愛の成就の予感。完璧なラストだ、たしかにこれならば、続編は必要ない。

前提③ 原作小説における騒乱計画、映像化されない最終章

 原作小説における騒乱計画の最終目標は、文明を解体し、地球を元の姿に戻すこと。よりよい世界を作り出すこと。そのために、現在の文明を、即座に、徹底的に破壊することである。映画における反物質主義は反資本主義めいたものであったが、小説にはまずもって強烈なアナキズムがある。破壊と騒乱と混沌それ自体が手段であり目的である原作小説において、タイラー・ダーデンは暴力を完全肯定し、人を殺しまくる。

 原作におけるタイラーの究極目標は、騒乱計画において「殉教」することだ。映画では鑑賞者だったが、原作小説では爆弾が仕掛けられているまさにその高層ビルの屋上に語り手=タイラーはいる。爆破されると、そのビルは隣の国立博物館を巻き込んで倒壊するよう計画されている。語り手=タイラーは、その最後に文明の象徴である博物館を破壊し、騒乱計画の最中に気高い自死をむかえ、それによって「今の年齢のまま永遠に生きる」ことを目論む(すでに多くの者が指摘しているように、原作のタイラー・ダーデンは、裏イエス・キリストである)。

 タイラー・ダーデンに銃を口内に突っ込まれた「語り手」が爆破カウントダウンする最中に、マーラ・シンガーがサポート・グループと共に救出にやってくる。タイラーの姿は消え、爆破の時間になってもビルは倒壊しない。タイラーが、爆薬の調合を間違えたのだ。マーラは、タイラー・ダーデンではなく語り手その人自身を愛しているという。しかし、語り手はタイラーを殺さなければならないと、口に加えた銃を自らの頰に向け、発射する──これが29章の最後だ。

 続く最終第30章はわずか3頁しかない。目を覚ますと語り手は「天国」と呼ぶところにいて、「地上」のマーラを思っている。「神」に尋問され食事等の世話を焼かれる語り手は、「病院」または「刑務所病院」のベッドで治療されていることが暗示される。語り手は、地上のマーラを思いながら、地上に帰りたくないと思う。なぜならば、彼に薬や食事を運んでくる男たちの目には青痣があり、額は腫れ上がり、頬には縫合痕があるからだ。小説の最後は、彼らから語り手に向けられた言葉で締められる:

「みんな寂しがっていますよ、Mr.ダーデン」
「すべて計画どおりに進行しています」
「文明を解体して、よりよい世界に作り変えます」
あなたの復帰を心待ちにしています(We look forward to getting you back)」(邦訳299頁、原書208頁)

前提④ 文化的受容

 小説のなかで回避された「殉教」による「伝説化」、「今の年齢のまま永遠に生きる」というタイラー・ダーデンの目論見は、皮肉なことに映画版で達成された。『ファイト・クラブ2』のペーパーバック版序文「ハネムーンのあとで」のなかで、パラニュークはこう述べている:

タイラーは死ななかった。死んだのは原作小説だ。ハードカバーは5千部も売れなかった。映画も同様に、わずか二週間で劇場公開が打ち切られ、興行的に死んだ。二十世紀フォックスのマーケティング部長は、「おめでとう。そこら中が血だらけで、半裸の男たちばかりの、女性が誰一人して観ない映画を君は作ったね!」と、デヴィッド・フィンチャーに嫌味を言った。タイラーだけが違った。タイラー・ダーデンだけが人々の話題に上がり、語られ、世界中に広まっていった。そう、まるで感染症(infection)のように。("After the Honeymoon: a Rationalization”)

 『ファイト・クラブ』劇場公開からしばらく後にDVDパッケージ化されると、劇場での大コケが嘘のように爆発的なセールスを記録し、小説のペーパーバックは売れに売れた。そして、『ファイト・クラブ』とタイラー・ダーデンは、あらゆる文化的イコン──「1990年代文化の頂点」「ジェネレーションX最高の作品」「マッチョポルノ」「女性嫌悪の塊」「女性嫌悪の悪質性を暴いている」「反資本主義の傑作」「ファシズム礼賛の駄作」「見事な社会批判」「殴り合いユートピア」「反フェミニズム」「有毒な男性性」「有毒な男性性の危険を見事に描いている」「白人至上主義」「白人至上主義の危険性を訴えている」「ファシズム」「ファシズムの危険を訴えている」「とんだ左翼映画」「オルト・ライトの聖典」──その全てになった。

2:#TylerDurdenLives

 『ファイト・クラブ2』の存在をパラニュークが明らかにしたのは、2014年だった。それは映画でも、小説でもなく、コミックの形を取るが、紛れもなく『ファイト・クラブ』の続編であり、それはつまり、タイラー・ダーデンが帰ってくることを意味する──。このニュースは、一瞬にして世界中に広まった。

 上記インタビューで、パラニュークは数ある自作の中から続編として『ファイト・クラブ』を選んだ理由について問われ「タイラー・ダーデンのことが好きだから」と笑顔で答え、「なぜコミックという形式で?」と問われると、「小説や映画では前作に比較されてしまう。また、オリジナルは一人称の語り手の視点から全て語られたが、今回の物語の鍵を握るのはマーラ・シンガーである」と明かしている。

 かくして、原作:チャック・パラニューク、漫画:キャメロン・ステュアート、カヴァーアート:デヴィッド・マックという三人体制で、『ファイト・クラブ2』がダーク・ホース・コミックより2015年5月から全10話で刊行されることが決まった。第1話刊行に先立ち、ダーク・ホース・コミックは「フリー・コミック・ブック・デイ」として、『ファイト・クラブ2』のエピソードゼロを公開した。無料で全て読めるので、ぜひ以下のサイトにアクセスして、ざっとスクロールしてみて欲しい。

 このエピソード・ゼロは、原作小説のラストともまた微妙に異なっている。最も重要な変更点として、①マーラ・シンガーの妊娠が仄めかされている。②原作小説最後の「あなたの復帰をお待ちしています(We look forward to getting you back)」と喋る看護士がタイラー・ダーデンになっている。そう、『ファイト・クラブ2』は、小説版と映画版両方をなぞりながら、それでいて微妙に設定を改変することでなりたつ物語なのだ。

 『ファイト・クラブ2』第一話で物語の設定が明らかになるのだが、それについては以下の日本語記事が詳しいのでぜひ参照してほしい:
映画「ファイト・クラブ」の過去と未来を描く続編「ファイト・クラブ 2」コミック版の一部が公開される(Gigazine 2015年公開記事)

 『ファイト・クラブ』における「語り手」は語り手の位置を剥奪され、セバスチャンという名が与えられている。彼は外見の上でも冴えなく、エドワード・ノートンには程遠い。セバスチャンとマーラ・シンガーは結婚し、ジュニアという息子もいる。夫婦間はどうやら上手くいっておらず、マーラはまたサポート・グループ(若年性老成症)に詐病のうえ通っている。ジュニアはすでに、爆薬調合の才能を示している。

 キャメロン・スチュアートのパンクな絵の効果もあり、『ファイト・クラブ2』は内容ビジュアル共におそろしく暴力的だ。全体のトーンを把握してもらうためにも、以下の公式トレーラーをぜひ見て欲しい。

 「#TylerDurdenLives(#タイラーダーデンは生きている)」という文句、脳内でのペンギン、極めつけは、映画版のエンディング「Where is My Mind?」を歌ったピクシーズの代表曲「Monkey Gone to Heaven」のサビ。映画を繰り返し観た人間には常識だが、映画『ファイト・クラブ』にはフィルム技師タイラーを思わせる遊びとして不要なコマがサブリミナル効果として挿入される。実は、この動画にもそのようなシーンがある。ぜひ見つけて欲しい。

3:『ファイト・クラブ2』その全貌

 マーラはセバスチャンに不服だった。『ファイト・クラブ』の結末から10年が経過し、つまらない退屈なホワイト・カラーに夫は戻ってしまったのだ。この十年間、セバスチャンが眠っている間、週に3回、1時間ほどタイラーは出現しており、最近のマーラはタイラーと浮気を重ねるようになっていた。セバスチャンは青い薬(ブルー・ピル)を飲むことで精神の安定を保っていたのだが、タイラーにもっと会いたいマーラは薬をすりかえ、その結果としてタイラーの存在感は強まる。そんななか、息子の部屋が爆発で吹き飛び、家族の状況は一変する。息子の部屋の焼死体は偽装された別人の死体だった。息子は殺されたのではなく、誘拐されたのだというセバスチャン。犯人は誰だと尋ねるマーラに、セバスチャンは鏡の中の自分を指差す、「息子を誘拐したのは、タイラー・ダーデンだ」

プロット① セバスチャンとタイラー

 以降、息子の捜索と奪還のためにセバスチャンとマーラは別行動を取る。セバスチャンが向かったのは、『ファイト・クラブ』においてタイラーとともに暮らした廃屋だ。そこは未だにスペース・モンキーの本拠地であり、セバスチャンはタイラーの目的を探るため、彼らの一員となる。エンジェル・フェイス(半殺しに殴られる金髪のジャレット・レト)との再戦や、ロバート・ポールソン(大きな胸をもったボブ)が死体のまま暴れまわるなど、『ファイト・クラブ』で登場した重要なサブキャラクターたちが再登場する。

 鍵を握るキャラクターとして、ロング医師(Dr, Wrong)がいる。彼はセバスチャン、そしてタイラー両方のセラピーを担当する。そのなかで、セバスチャンは幼少期にそれぞれ別の火事で死んだ両親(『1』とは設定が改変されている)の葬儀に、金髪の少年がいたことを思い出す。少年セバスチャンの両親を殺したのは、少年タイラー・ダーデンだった──この設定により、タイラーは「高度資本主義下で生の実感を得られないセバスチャンが作り出した分身」であることをやめる。『2』においてタイラーはそれ以前より存在しており、むしろ「語り手」=セバスチャンはタイラーの乗り物にすぎない。タイラーがセバスチャンの息子を誘拐した目的は、息子を新たな王に育て上げ、そこに自分が乗り移るためだった。

 ロング医師はゲーテの『若きウェルテルの悩み』をたとえとして、一つの思想が広まっていく様とタイラーの存在はそれに近いと言う。そしてコミックは、まるでメタフィクションのように、その一つの現象として映画版『ファイト・クラブ』と、その影響の大きさを描写していく。本作のネット上のレビューには「漫画のタイラー・ダーデンが全然ブラピに似てなくて不満」という読者の声も散見されるのだが、漫画のなかで回想される「10年前の語り手」は、ブラット・ピットそのままである。つまり、コミック版『ファイト・クラブ2』とは、映画『ファイト・クラブ』が公開された世界として構想されたメタ・フィクションなのだ(もっとも近いのは、セルバンテス『ドン・キホーテ後編』だろう)。

プロット② マーラとクロエ

 タイラーに拉致された息子を探すべく、マーラは「若年老成病グループ」のなかにいるハッカーたちと行動をともにする。そのなかで、9歳だと偽っていた女性が、『ファイト・クラブ』において末期がん患者だったクロエだと判明する(映画で、「もう誰も私とセックスしてくれない」と言っていたあの人です)。タイラーがつくりあげたファイト・クラブは、『2』においてグローバルに展開する「Rize or Die(起きろ、さもなくば死ね)」というテログループへと変容していることを突き止め、第三世界や中東の戦闘地域に赴く。ISIS(イスラム国)らしきグループの背後にさえ、タイラーがいることに彼女たちは突き止める。

 『ファイト・クラブ2』におけるタイラーの究極目標は、小説版『ファイト・クラブ』同様に、文明の徹底的な破壊である。グローバルに組織化されたテログループは、ナチス・ドイツ以降最大の組織となり、タイラーは圧倒的な独裁者として君臨し、無用となれば組織の人間も殺していく。『ファイト・クラブ』のタイラーそして組織がアナーキズムであるとしたら、『2』のタイラーとRize or Dieは、ファシズムである。

プロット③ パラニュークと「ライト・クラブ」

 ここからが、『2』最大の問題となる。今一度映画版『ファイト・クラブ』を思い出して欲しい。あの映画では不要なコマ(タイラーや男性器など)がサブリミナルに挿入され、「実は私たちが観ているこの映画作品自体が、映画技師タイラー・ダーデンの作品なのではないか?」というメタ・フィクションの可能性が示されていた。

 さて、そのうえで、『2』の公式トレイラー動画のなかに紛れ込んだコマがあるといったが、見つかっただろうか? まずは13秒付近、単行本の広告が入る。問題は最後の39秒だ。以下のスクリーンショットを見て欲しい。

スクリーンショット 2020-02-19 05.22.56

 犬を抱いてご機嫌にこっちを向くこの男こそが、著者チャック・パラニュークである。このように、パラニュークは『ファイト・クラブ2』の作品世界において、「ライト・クラブ(Write Club)」の一員として登場、「『ファイト・クラブ2』のこの先の展開をどうしたらいいか」とほかの会員(なぜか全員女性)たちに尋ねる。それにくわえて、タイラーやマーラそしてモブキャラたちもパラニュークに質問やクレームをつけにくる。この圧倒的なメタ構造が、本作の肝である。

会員1「率直に聞くけど、タイラーって感染性の精神ウイルスの一種?」
会員2「あー、なるほどね」
会員3「どうやってタイラー問題を解決するつもり?」
パラニューク「(机に頭を突っ伏して)僕には出来ない。サンタクロースをこの世から消せないのと同じさ……」(188頁、第8話)

 第9話、マーラ、タイラー、セバスチャン、ジュニア、ロング医師が勢揃いし、物語がクライマックスに向かう中、パラニュークはどうすべきかを決められず、登場人物たちに電話をかけるが、最終バトルのさなかで電話の電源が落ちてしまう。

 最終第10話、Rize or Dieは全世界同時核爆発を実行させ成功、タイラーやマーラも含め、全ての登場人物は死ぬ。地球全土が燃え上がり、全ての文明が消え去る。「ライト・クラブ」ではパラニュークが一人、「めでたしめでたし(Happily ever after)」とご機嫌だ。

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 一人喜ぶパラニュークを横目に、ライト・クラブの他の会員はあまりにひどいと抗議する。「最低。まるでアイン・ランド『肩をすくめるアトラス』の焼き直し」。じゃあどうしたら良かったんだ、とライト・クラブ皆で考えていると、『ファイト・クラブ2』の読者が大挙して押し寄せる。老若男女、人種も様々な人々だが、皆タイラーの名言をタトゥーに彫っているなど、『ファイト・クラブ』の熱烈なファンのようだ。

 『ファイト・クラブ2』の読者は、著者パラニュークに直接文句を言いに来たのだ:「最低のエンディングだ」「いくらなんでも酷い」「こんなのタイラーじゃない」「タイラーは悪人じゃないから私たちは好きなのに」「タイラーはそもそもこんなに暴力的じゃない」。そんな読者たちに対し、パラニュークは「そもそも、小説と違っていたし、エンディングも映画と違っていたし」と説明をはじめるも、「えっ、『ファイト・クラブ』って原作があったの!?(There was a book!?)」と驚かれて、パラニュークは泣いてしまう。「お互い許し合おう」と提案され、読者たちはマーラやジュニアを救い出すことに決定する。

 皆が納得して帰っていくなか、一人フードをかぶっていた読者がフードを脱ぐと、それはタイラー・ダーデンだった。「なぁ、次はどうするんだい」とタイラーに聞かれたパラニュークは、『ファイト・クラブ3』の構想を話し始める。それによれば、『ファイト・クラブ3』の冒頭でマーラはセバスチャンではなくタイラー・ダーデンの子を身ごもっている。

 それを聞いたタイラーは喜ぶが、パラニュークが「映画ではカットされたが、原作小説ではマーラが君とセックスして「いつか、あなたの子を堕胎したい(Someday, I want to have your abortion)」という強烈なセリフがあったじゃないか。忘れてしまったのかい? それを実現させるよ」と言う。それを聞くとタイラーの笑顔が曇り、「なぁ待てよ、もう堕胎手術のシーンは描いちまったか?」と尋ね、「いや、まだだよ」と聞いたタイラーはパラニュークの頭部に銃弾を撃ち込み、パラニュークの頭部は木っ端微塵に吹き飛ぶ。「父親になるぞ」そうタイラーがつぶやいて、『ファイト・クラブ2』は幕となる。

4:タイラー・ダーデンを解毒せよ

 このメタ構造をどう取るかが、本作の評価のわかれどころである。パラニュークの近年のベスト作品と絶賛する評も、最低の駄作と憤る評もある。物語単体だけで評価するならば、はっきりいって、読む価値のないコミックだと私は思った。しかし、『ファイト・クラブ』をめぐる昨今の状況を考えた時に、このメタ構造を有した続編の意義が見えてくる。

 物語冒頭、代わり映えしない退屈な日々に、精神的に不安を抱えたセバスチャンは青い薬を飲んでいる。そして、それをマーラにすり替えられ、タイラーがより強く存在感を増していく。作中、上記プロット①のセバスチャン・パートにのみ、とりわけファイト・クラブに再潜入するシークエンスに於いて、ページの上で赤い薬がコラージュされる演出が多く見られる。これは紛れもなくメタ・メッセージである。

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『ファイト・クラブ2』告知用イラスト

 青と赤のピルで、映画『マトリックス』を想起した人も多いだろう。『マトリックス』劇中、モーフィアスはネオ(キアヌ・リーヴス)に青い薬と赤い薬の二種類を差し出し、どちらを飲むか選べと迫る。ブルー・ピルとは、マトリックスに支配される奴隷状態の現実を見てみぬふりする偽の安息の薬であり、レッド・ピルを飲むことにより真実に目覚め、ネオはマトリックスと闘う英雄へと変わっていく。

 隷属状態である自分に気づき、社会を変える闘士となれ──様々な解釈可能性に開かれていたはずのレッドピルは、ネット戦争を経て、完全にオルト・ライト(オルタナ右翼)のものになってしまった。アンジェラ・ネイグルによるオルト・ライトの卓越した分析本『普通な奴らは皆殺せ──4チャンとタンブラーからトランプとオルト・ライトへと至るオンライン文化戦争』(Angele Nagle, “Kill All Normies: Online Culture Wars from 4chan and Tumblr to Trump and the Alt-Right,” 2017)によれば、オルト・ライトたちが最も好んで言及する映画が『アメリカン・サイコ』(2001年公開)、『ファイト・クラブ』(1999年公開)、そして『マトリックス』(1999年公開)である(29-30頁)。

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 全て小説版ではなく「映画」であることに注意するべきだろう。映画『アメリカン・サイコ』がオルト・ライトに好まれる理由は、なんと言っても反フェミニズム的要素だ。美しいスーツを着こなし、ワークアウトで筋肉隆々のクリスチャン・ベイル演じるパトリック・ベイトマンは、劇中で女性たちをめった刺しにする。小説版ではそこに黒人やアジア人、ユダヤ人、下層階級への憎悪も描きこまれ、さらに語り手=ベイトマンの精神異常性が際立つのだが、映画はその要素が明らかに弱まっている(ただしもちろん、そのような映画の見方は、あまりにも短絡的である)。

 映画『マトリックス』は「この現実は偽の現実である。マトリックス=間違った支配から脱するために、それを破壊せねばならぬ」というメッセージを持っていた。それは様々な解釈可能性(反植民地主義、支配的イデオロギーに対する異議申し立て等)に開かれていたが、オンライン戦争を経て、オルト・ライトの陰謀論に回収された──この世の偽善を除去しよう、さぁ、レッドピルを飲み込め。

 映画『アメリカン・サイコ』におけるベイトマンの二重人格と反フェミニズム的要素、『マトリックス』における現実への不満、美しい肉体を持つクリスチャン・ベイルと、カンフー技で闘うキアヌ・リーブス…その両方を、映画『ファイト・クラブ』におけるタイラー・ダーデン=ブラット・ピットは持っている。

 だが、『ファイト・クラブ』とタイラー・ダーデンは、なにもオルト・ライトのものだけではない。オルト・ライトや極右の台頭に対抗する運動「Antifa(反ファシズム)」でも、「Antifa Fight Club」というものがある。パラニュークはこうも言っている──「タイラーは、今日における政治的右派と、政治的左派、その双方から支持を得ている。今のタイラーは存在が大きすぎて、認識さえできないほどだ。今や、タイラー・ダーデンは、どこにでもいる(Now Tyler Durden is everywhere)」(『2』PB版序文)

 『ファイト・クラブ2』のなかで、タイラーはロング医師により過去より連綿と続く悪の形象として分析される。それを聞いたセバスチャンが「タイラーは伝染病なのか?(contagion)」と尋ねると、タイラーは「俺はくそったれミームじゃない(bullshit meme)」と激怒する。物語が進むと、ロング医師は熱烈なタイラー信者であったことが判明し、自らに乗り移ってくれとタイラーに直訴しているところをクロエに撃ち殺される。タイラー本人の意志はもはや問題ではない。タイラー・ダーデンは、感染し、伝染するミームとなった。

結:『ファイト・クラブ3』、タイラー・ダーデンは死なない

 「ファイト・クラブとは〇〇についての話であり、タイラー・ダーデンは〇〇の象徴である」という一元的な主張を、著者パラニュークが快く思うはずもない。『2』刊行後のインタビューで、『ファイト・クラブ』が「男性の問題」とだけ捉えられたことが不満だと漏らしている:

「『ファイト・クラブ』は若い男性が抱えている問題についてのみの物語だと言われるが、若い女性が抱える問題も私は書いた。男女に関係なく、若者は、ただ過去の延長としてではない未来を、いつだって探している。だから『2』ではマーラを主人公の一人とし、彼女が冒険パートを担うようにした」(「パラニューク、『ファイト・クラブ2』制作秘話を語る」 ギズモードUK、2016年)

 『ファイト・クラブ2』の連載は2015年で、単行本発売は2016年だった。ドナルド・トランプが大統領選に勝利し、トランプ支持のオルト・ライトの存在が広く知られたのは発売以降のことであった。結果として、オルト・ライトそして白人至上主義者、反フェミニズムの男たちのプレゼンスが増すにつれて、『ファイト・クラブ』は不名誉な引用をされ続けてしまう。

……もちろん、『ファイト・クラブ』には多くの女性ファンがおり、フェミニズム読解も不可能ではない。しかし、結局のところ主要女性キャラはたった一人で、近視眼的に見れば、それはマスキュリニティー(男性性)の物語であることに間違いはない。(中略)知人の女性はこう語った──「好きな作家がブレット・イーストン・エリスで、好きな映画が『ファイト・クラブ』で、ビットコインやジョーダン・ピーターソンについて話すのが好きな男に出会ったら、逃げ出したほうがいい」(「ファイト・クラブをいまも愛する男たち 」The New Yorker, 2019年)

 2020年の現在、もはや問題は『ファイト・クラブ』という作品それ自体ではなく、その文化的影響力なのだ。パラニュークは、インタビューの場で政治についてあまり多くを語りたがらない人だ。2018年のインタビューでも、インタビュアーは、何度もオルト・ライトについて話をふるが、「そうなんだよね、マトリックスとファイトクラブはそういうふうになっちゃったね、困ったね」と口調が荒ぶらない。映画がラストを変えても、「まあね、小説は違うけどね」とただ事実を言うのみだ。『ファイト・クラブ』が女性嫌悪の聖典と扱われていても「まぁ、マーラが鍵を握っているんだけどね」と困り顔ですませる。彼は決して、怒気を込めて声を荒げたりしない。(MELインタビュー、2018年)

 しかし、『ファイト・クラブ2』を読むと、そこには明確なメッセージがある。オルト・ライトの神となったタイラーはアナーキーなカリスマからファシズムのミームに堕とされ、原作を読みもしないで『ファイト・クラブ』を好きだと言う者は馬鹿にされ、自分の望むものと作品が異なるとクレームをつける読者は徹底的にコケにされる。『ファイト・クラブ2』は単なる「続編の物語」ではない。著者本人の手を離れてしまった、ファイト・クラブという巨大な文化現象、タイラー・ダーデンという破壊のアイコンに対する、メタ的な介入なのである──。

 いや、これは、考えすぎかもしれない。ただパラニュークは読者を不快にさせるのが好きなだけかも知れない。なにせ、『インヴィジブル・モンスターズ』という不快さの塊のような小説を書いた人である。それとも、ただ金が目的なのかもしれない。2018年、パラニュークは詐欺にあって、多額の金を使われて「破産寸前」の状態になった。そのようななか、2019年には『ファイト・クラブ3』が全12回で連載された。『2』の結末そのままに、タイラーの子供をマーラが生む。セバスチャンは整形手術により、ブサイクなタイラー・ダーデンに変えられる。そこには、物語内作者としてのパラニュークは最後まで登場しなかった。『ファイト・クラブ3』は物語の謎が一切回収されず、『ファイト・クラブ4』が出るのは確実なものと思われる。出るはずだ、だって、本当に支離滅裂で、唖然とするほど面白くないのだ。

 タイラー・ダーデンがオルト・ライトの神になろうが、反資本主義のアイコンになろうが、チャック・パラニュークという権威(authority)を有する著者(author)がこの悪ふざけを続ける限り、タイラーは純粋な記号にはならない。タイラー・ダーデンという名の猛毒に罹患した人間に、ゲロを吐かせて解毒するための『ファイト・クラブ2』。タイラー・ダーデンは死んでいない。あなたの都合のいい英雄になどなっていない。タイラーはあなたのものじゃない。タイラー・ダーデンは、生きている。

今回の執筆者

青木耕平(あおき・こうへい)
首都大学東京他非常勤講師。1990年代のアメリカ小説/文化を研究対象としている。査読論文にB.E.エリス『アメリカン・サイコ』論、デヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』論、デニス・ジョンソン『煙の樹』論、アーシュラ K. ル=グウィン『アースシー』論がある。現在は、カート・ヴォネガット最後の長編『タイムクエイク』論を執筆中。

青木耕平さんの過去の記事

第7回 竜の風と共に去りぬ──ル=グウィン遺稿『ゲド戦記』真の最終章“Firelight”を読む

第14回 ショーン・ペンよ、ペンを置け──“史上最悪”のデビュー作『何でも屋のボブ・ハニー』について

第20回 スティル・ナンバー・ワン・アメリカン・サイコ──ブレット・イーストン・エリス、9年ぶりの帰還

第27回 出口は未だどこにもない──ブレット・イーストン・エリス vs 世界

第32回 『ビラヴド(愛されし者)』から『アンべリード(埋葬されぬ者)』へ──トニ・モリスンとジェスミン・ウォード

第38回 人はテロリストに生まれるのではない──カラン・マハジャン『小さな爆弾たちの連合』あるいは我らの時代

第42回 「こうなるはずじゃなかった」──『ジャスティス・リーグ』、『サウスパーク』、カレン・E・ベンダー『返金』

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出版社の書肆侃侃房のウェブ連載「web侃づめ」です。 http://www.kankanbou.com/

コメント1件

filmarksからこちらの記事に飛んできました。ファイトクラブ自体を今日初めて観たくらいなので、この記事を読んでとにかく驚きました。原作も読んでみようと思います…
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