内ジャケット写真_

「特定非営利活動法人 還住舎」の誕生

2019年3月1日、約2年の準備期間を経て特定非営利活動法人 還住舎が誕生しました。

還住舎の設立以前から、わたしはライフワークである郷土芸能『青ヶ島還住太鼓』の活動を通して、故郷・青ヶ島の郷土文化を学び育み地域社会に還元できるような試みができないか自分なりに取り組んで来ました。何より島の子どもたちと楽しく太鼓を叩く時間を大切にシンプルにやってきただけですが、子どもたちと過ごすなかで必然的に「青ヶ島の未来」についていろいろ考えを巡らせ想うことも増えていきました。その結果、ここ数年は青ヶ島の自然環境の調査保全活動などにも取り組み、郷土芸能の枠を超えて多岐にわたる活動を行うようになりました。

「青ヶ島の未来のために、社会的な認知とサポートをいただきながら責任をもって持続的に活動を展開できる体制づくり、島の子どもたちが大人になるころ、一緒に青ヶ島で暮らすことができる基盤づくりをしたい。」そんな想いを強く抱き始めたとき、「一緒にNPOを設立しましょう。」と声をかけてくれた友がいました。

彼は島にやって来てすぐ、今の青ヶ島を名実ともに築いてきた最もディープなお歴々が集う『青ヶ島郷土芸能保存会』の伝説の新年会にひょんな縁からまきこまれ、晴れてメンバーとして名を連ねることになりました。「いまのお年寄りが元気なうちに、島唄・島踊りの記録を残したいんだ。発足当時から目標なんだが、自分たちだけではできなくてなぁ。」という諸先輩方の積年の願いを聞いた彼は、半年後に地域の伝統芸能の映像記録保存事業をひっぱってきて、わたしに一緒にやってくれないかと相談に来ました。もちろん「よし、やろう!」とふたつ返事で返してからは、本当に楽しいたのしい苦労の連続を共に乗り越え(この日々のことはいつかnoteしたい笑)、、構想から足掛け2年で、青ヶ島の還住太鼓・島唄・島踊りを後世に伝えるための映像記録「青ヶ島の郷土芸能」DVDが完成したのでした(この作品は域文化資産ポータルで公開されています)。彼はすでに青ヶ島を離れてしまっていて試写会には立ち会えなかったけれど、あの郷土芸能保存会のお歴々が満面の笑みで喜んでくれた光景は、わたしは生涯忘れられないとおもいます。

そんな彼とNPO法人設立に向け動き出したのが2017年の春のこと。お互い本業の傍らで、青ヶ島と本土でやり取りを重ねながらすこしづつ準備を続けていきました。まだ何ができるかも分からない青ヶ島初のNPO法人の設立に向けて、絶海孤島の異世界に飛び込みいろいろ洗礼を浴びながらも青ヶ島を愛して今は海の向こうから応援してくれている友、わたしの性根をよく分かってくれる大切な幼馴染、ライフワークの中で様々なご教授をいただいてきた素敵な諸先生方が協力してくださり、、晴れて2019年(平成31年)3月1日に特定非営利活動法人 還住舎を設立することができました。

還住舎設立への想いは設立趣旨書に込めました。その全文をここに転記したいとおもいます。

特定非営利活動法人 還住舎 理事長 荒井智史

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特定非営利活動法人 還住舎  設立趣旨書 

わたしたちの暮らす青ヶ島は、東京から南へ約360kmに位置し、本土から遥か彼方に隔絶された太平洋に浮かぶ絶海の孤島として、数ある日本の島々の中でもとりわけ厳しい自然環境にさらされてきました。島を囲む荒磯から反り立つ200~400mもの断崖絶壁は、まるで上陸する者を拒むかのように海面から勇壮にそびえ立ち、その姿は青ヶ島の自然の険しさ、また凛然とした美しさを湛えています。島の外輪山である断崖絶壁を越えると、内側には池之沢と呼ばれるカルデラの森が広がっており、その中央には江戸時代の終わりの噴火によって誕生した内輪山・丸山があります。丸山の斜面から絶えることなく立ち昇る噴気と、熱を帯び赤茶けたその山肌は、青ヶ島が今もなお生きる火山の島であることをまざまざと私たちに見せつけています。この世にも稀な複式火山が生み出す景色は、今日では一生に一度は訪れたい絶景として、世界中の人々を魅了しています。
 こういった剥き出しの大自然の中で営まれた青ヶ島の歴史を語る上で最も忘れてはならない出来事は、今から233年前、天明の大噴火(1785年)によって青ヶ島から全島避難を余儀なくされた祖先の歩みです。激しい噴火によって焦土となった故郷を追われ八丈島に避難した青ヶ島の人々は、その後、荒ぶる大海に幾度も希望を打ち砕かれながらも、故郷再興への想いを世代を超え受け継ぎ、そして成就しました。約50年の歳月をかけて再び青ヶ島へ還り住んだ「還住」の歴史です。このような時代を乗り越えながら、青ヶ島の人々は厳しい自然の中にも独特の風土文化を育み、今日まで続く豊かな島の営みを築いてきました。
 しかしながら現在、青ヶ島は島民約160人(2018年現在)という日本で最も人口の少ない地方自治体となりました。人口減少による次世代の担い手不足は島の文化の継承や産業の発展を阻んでいます。また従来型の価値観による開発は、島の魅力の根源である豊かな自然環境を蝕み始めています。これに加え、日本のへき地離島の中でもとりわけて厳しい青ヶ島の交通事情もまた、わたしたちが抱える様々な問題にどうすることもできない距離感を与えています。青ヶ島は今、激しく変化する現代社会の中でかつてない程に難しい時代を迎えています。
 火山島に暮らし人知の及ばない大自然の営みの中に生きる青ヶ島の人々にとって、再び噴火活動によって故郷を追われる日が来ることは避け様のない宿命です。しかし、わたしたちが故郷の抱える数々の地域社会の問題から目をそむけ日々をただ漫然と送ったならば、その運命の日を待たずして、わたしたちの愛する故郷は終わりを迎えるでしょう。そのような時代が今まさに目の前に迫っています。それは青ヶ島を想う人々であるならば絶対に望まない未来であり、また故郷を想うわたしたち一人一人の力で、必ず変えることができる未来なのではないでしょうか。
 青ヶ島は人口減少、文化の継承、産業の振興、自然環境の保全、移住・定住といった様々な問題に直面しています。 わたしたちは祖先の成し遂げた「還住」の歩みに学び、またその意思を受け継ぎ、これから新たな50年の歳月をかけてでも、青ヶ島が直面する様々な社会問題に取り組んでいかなければなりません。今まさに青ヶ島の未来を想う人々が集い、活発に意見を交わし、思考を重ね、また行動を起こして行くことが必要です。
そのために、青ヶ島を想う様々な声を地域社会の活性化に繋げ、社会的な信頼とサポートのもとに永続的な活動を展開できる法人を必要としています。そこでわたしたちは、青ヶ島の新しい未来、これからを想像し、また創造する場として、特定非営利活動法人 還住舎をここに設立します。





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