本当のことを言うと嫌われる。精神世界の深さのギャップの話。

「あなたって、何をモチベーションに、あんなに人の深いところばかりにふれようとするんですか?」

エンカウンターグループの休憩時間に、たまにこのようなことを聞かれることがある。

その人から悪意は感じない。

単純に、不思議で不思議で仕方がないみたいなんだ。

「えーと・・・、まぁ・・・ごにょごにょごにょ。」

私はその都度、それなりに返事をするんだが、自分でもスッキリした返答ができたと思えたことはない。

ただ、そんな質問にふれるとき、私がいつも痛感するのは、強烈な溝、圧倒的なギャップである。

まずは、それに圧倒されてしまうのである。

実のことを言うと、こんな質問が出来る人の方が稀だったりもする。

目の前で起こっているエネルギー交流の深さを、ある程度認識できる人でなければ、こんな質問すらできない。

多くの人は、私との世界のギャップに全く気づきもしない、もしくは、その世界のギャップを感じていても意識すること(言語化)ができない。

このことは、これまで私が生きてきて、痛いほど感じてきたことだ。


冒頭の質問に正直に答えるよ。

私はこれから、皆に嫌われるようなことを言うね。


逆なんだよ。私から言わせれば。

あなたたち、よくそんな浅いところで満足できるね?・・・と。


あーうん。皆の怒った顔が見えるようだ。


当たり前だ。

世界の深さのギャップに気がつかない人の方が多いわけだから、訳も分からず、ただバカにされたと感じる人の方が多い。

わかるよ。

だから、私は、普段から本当のことを言わなかったんだ。

衝突して終わるだけだからね。


飢えているんだ。

深い世界での交流に。

ポツンとしているんだ。ひとりで。

いつも、やきもきしているんだ。


私の本当のことは、誰にも望まれていないこと。

それが当たり前。

そんな感じだった。

先生に出会うまではね。


あのとき、私は先生に出会ったんだ。

びっくりした。そして、感動した。

救われたと思った。


先生はね、たった独りで、どーんと、その深い深いところに座っていたんだ。

それはもう、あのときの私には想像もつかないほどの深さ。

そこに、たった独りで座ってた。

そして、そしてだよ?

その自分の深さのまま、自由自在に他人と関わっていたんだ。

なんというか、自分の深い世界を保ちながら、相手の世界の深さに合わせた対応をしていく。

先生自身の世界の深さと、相手の世界の深さが両立していたんだ。

びっくりした。

異なる世界が同時に両立している。

2つの世界が反発しあってない。

相手も殺さず、自分も殺さない。

そんなことができるんだ・・・。


人間をこんなにまで大事にする方法があるんだ。

そして、人間をこんなにまで大事にしてくれる人間がいるんだと、本当にびっくりして、感動した。


あの頃の私は、先生のいるグループの中だけなら、自分の世界の深さのままでいることができた。

どこで何をしている時よりも、先生のグループの中が安全だったんだ。

逆に休憩時間とか、セッションが始まる前とか、終わった後は、とても緊張していた。

エンカウンターグループが終わると、いつも一目散に私が帰って行く姿は、20年来の学習仲間には、お馴染みの光景だろう。

・・・まぁ、今でも爆速で帰るのは変わらないけど。


それから何年も経って、今、私は先生のいないグループの学習に参加することが増えた。

当然そこは、私にとって居心地の良い深さで始まることはない。

いつも迷う。

私が息のできる深さに、皆を連れて行ってしまっていいだろうか?

誰もそんなこと望んでいないんじゃないだろうか?

私が口を開けば、どうしてもその空間の深さに変動が起きてしまう。

世界が変わってしまう。

今のままでいいんじゃないか?

皆楽しそうじゃないか。

私が我慢すれば、皆このまま、にこやかに進んでいくんじゃないか?

私がいなくなればいいんじゃないか?って。

それが、いつもの葛藤だ。


だけどね、私の学習が進んで少し変わってきた。

多分、私にも少しずつ自分の世界の深さと、相手の世界の深さを両立することができるようになってきたんだと思う。

そしたら、私の世界の深さを喜び、望み、期待してくれる人がポツポツと出始めたんだ。

あなたといると、勉強になる、刺激になる、あなたの視点は面白い・・・。

そんな声が増えてきたんだ。

それは、私には喜ばしいことだ。


だけど、それだけじゃ、私の葛藤はなくならない。

それだけじゃ、まだまだ先生のようには自由に動けない。

他人の期待だけでは、そうそう動けないんだよ。


いつも考えていたんだ。

私自身、何を望んで先生のいないカウンセリング、先生のいないエンカウンターグループに今でも足を運んでいるのか。

実は自分でも、よくわかってなかったんだよ。

それが、ようやくわかった気がしたんだ。


私はね、ただ、ただ、深い深いエネルギー交流を望んでいるんだ。

他の人が望むかどうかではない。

この私が望んでいたんだ。

そこがはっきりすれば、動ける。


私が望んでいたんだ。

私が求めていたんだ。

飢えている、飢えているんだ。

どうしようもなく飢えているんだ。

もっと、もっと、欲しいんだよ。

深い深いエネルギーの交流をしよう。

もっと行ける、もっと行けるよ!


ただ、ただ、ひとえに、深い深いエネルギー交流を望み続けるもの。

それこそが私。

それが、たった独りの奇跡のカウンセラーなんだ。

なんか、そんなふうに、やっと思えたんだよ。


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