私の履歴書part3

part2の続き

私が『上林小学校』を卒業して、
『第三中学校』に入学します。

入学してすぐに、
仮入部に行ってました。

部活は野球部に決めてて、
当時兄も野球部に入っていたので
放課後は兄に会いにグラウンドに行ってました。

グラウンドに行くと、
兄の友人からよく声をかけられました。

『お前が廉太郎の弟なのか?』

この言葉を何回も聞きましたね笑笑笑

仮入部に行くと、
他の同級生も集まっていて
皆緊張している様子でした。

そこで三年生のキャプテンが来てくれて、
『キャッチボールみんなでしよう』と
声をかけてくれたのです。

このキャプテンは凄く優しい方で
皆に慕われていました。

私は影ながらこのキャプテンに憧れていて、
私も三年生になったら先輩のようになりたいと
思ってましたね。

私は仮入部の時、髪が長くて汗をかくと
よく髪をいじる癖があり、
それをみたコーチが
『お前野球部に入る気あるんだったら、
今日坊主にしてこい。』と言われました。

皆の前で髪のことを言われたので、
とても恥ずかしくて、
悔しい気持ちもあったので、
絶対今日坊主にすると決めました。

その夜、母親に

『坊主にしてくるからお金が欲しい』とねだり、

1500円を渡され、
家から1番近い『プラージュ理容室』という床屋に
向かいました。

『プラージュ理容室』は、
渡邉家がよく利用していたのですが
店主が40代の男性の方で
いつも笑顔が素敵だったので
会話しなくてもその場にいるだけで
明るくなりました。

その日はお客が少なかったので、
堂々と店の中に入り、
店主に『坊主にしてください』と
思いっきり発言しました。

すると、店主が『了解👌』と言ってくれて、
バリカンを出し始めました。

何ミリにするか店主に聞かれて、
私は何ミリから刈れるのかわからなかったから

『とりあえず私に
1番似合う長さに刈ってください』と伝えました。

そしたら店主が『了解👌』と返事をし、
バリカンを頭に当てて髪をバッサリと
かっていきました。

全ての髪が均等の長さに揃い終わったところで
私は自分の顔全体を見回しました。

すると髪があった時とは
全然違う顔つきになっていて、
ぶっちゃけいうと 
『かっこ悪くなったなー』と思ってました。

髪は6ミリの長さになってまして、
『これから中学生活この髪型で生活していくのかー』と思うと、少し残念な気持ちがありましたが野球に入る為だからしょうがないという気持ちもありました。

野球部ではたくさんの思い出があり、
全部書くと書ききれなくなるので
1番印象に残っているものだけ書いていきます。

私が1番印象に残っているのが、
「中2になってから野球のボールが
見えづらくなったこと」です。

というのは、私が小学校の時にゲームをやりすぎていて視力がどんどん悪くなっていたのです。

中1の時は全然問題なかったのですが、
中2になって徐々にボールがぼやけて見えるようになるのです。

しかも冬のシーズンは日が沈むのが早くて
空が暗くなります。空が暗くなるとより一層
ボールが見えなくなり私は必死にボールを見失わないよう努力しました。

私が守っていたポジションは
外野だったのでなおさらボールが見えないと
守れないのです。

ある日、私は外野を守っていて
自分のところにボールが飛んできたのが
わかったので追いかけようとしたら
完全にボールを見失ってしまい
すごい恥をかきました。

練習が終わった後、
コーチが私のところに来て
『かんじ、メガネしたらどうなんだ?』とアドバイスしてくれました。

でも私は、絶対にしないと決めてました。

なぜかというと、
『かっこ悪くなるからです』

メガネをしたら絶対にカッコ悪くなり、
嫌われるんじゃないかと思ってました。

ただでさえ、坊主でカッコ悪いのに
メガネなんてしたらもっとブサイクになると
確信してました。

だから母親にも相談はしませんでした。

メガネがダメならコンタクトにすれば
いいんじゃないかと思う人もいるかもしれません。

でも当時の私はコンタクトなんて怖くて入れられなかったのです。入れるのも怖いし、とるのも怖い。

なので、私は中学3年間はノーメガネノーコンタクトで生活しました。

まあ、黒板の字はなんとなるし、野球もなんとかやりました笑笑

野球部は最後の夏の本大会の初戦で負けてしまったので中3の夏あっさり解散しました。

part4に続く

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