ゴッホ

ひまわりと青い命の炎|フィンセント・ファン・ゴッホ


画家・フィンセント・ファン・ゴッホが亡くなったのは、麦畑の中だった。

そこに私は、一種の切なさをおもう。
ゴッホには、ひまわりに囲まれて死を迎えてほしかった。

彼にとってひまわりはユートピアの象徴であり、
何度も筆を走らせたモチーフだったのだから……


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ゴッホが生まれたとき、
すでにその家にはフィンセント・ファン・ゴッホの墓が建てられていた。
それは彼が生まれる1年前に死産した、同じ名前を持つ兄の墓だった。

そして父の書斎には、
ファン・デル・マーテンの作品「麦畑の葬列」 が飾られていた。

『麦畑の中を進む葬列を、死神のような麦刈り人が見つめている』


聖書の中で「麦刈り」は人の死の象徴として語られている。
ゴッホにとっても麦刈り人は「人間の死を象徴する人物」であり、
死のイメージとして麦畑の主題を好み、
いくつかの作品を残している。

ゴッホは生まれてからずっと
自分の死を見つめ続けていたのかもしれない。

彼の遺作もまた 『カラスのいる麦畑』 であった。


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エッセイ全文はこちら →

(2018. 3. 30. 著)


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『あとがき』

ゴッホとの出会いは、私が幼稚園の頃でした。

“うずまき ぐるぐる”
小学館から出版されている、子供向けの『アートブックシリーズ』
ゴッホの絵画は“うず”にたとえられていました。

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『心の力』
幼いながらも、私はゴッホの絵画から強いエネルギーを感じました。
言葉を知った今例えるなら、それは「生命のほとばしり」
燃えるように生きたゴッホ、そのものです。

時を経て、彼に関する書物を読むようになった私は、弟・テオの存在を知ります。テオがいたからこそ、ゴッホの芸術は存在できたのです。

自由でいること、自分自身を貫いて生きていくことは容易ではありません。
本当に自分を信じぬくためには、自分を信じてくれる人間が必要なのだと思います。ゴッホにとっては、それがテオだったのではないでしょうか。

青と黄は、勇気の配色。
私もまた自分の夢のために、この二色に囲まれながら日々を歩んでいます。


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