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コロナにあえぐ音楽家たち


以前、自身の公式サイトにこんな記事を投稿しました。


指揮者・大友直人先生のインタビュー記事から、現代のクラシック音楽が抱える「芸術性とエンターテイメント性の両立」という問題について、当時の私の考えをまとめたものです。

日付は2019年3月9日。
偶然にも、今からほぼ一年前となります。

この記事の終わりに、私はこのような文を綴っています。

真に到達された「芸術」は、知識や複雑さを超え、人の心に届く力を持つ。
私はそう信じている。


音楽家に与えられた永遠の課題。それがこの『両立』
もちろん現在の私も、悩みの渦中にいます。

その思考の日々の中、今の私はこの文章に対し、全く異なった見解を抱くようになりました。


真の「芸術」には力がある。
そのことへの考えは変わりません。

ただし、その力が万人に届くか否かは別なのだと、最近の私は考えるようになりました。

その考えの変化はやはり、今回のコロナウィルスの一件も大きく影響しています。

日に日に感染者が拡大し、未だ終息の見えぬコロナ問題。
私の住むドイツでも感染者は遂に2000人を超え、観客1000人以上となる大規模イベントの中止を政府が求めるようになりました。
熱狂的なファンが大量に押し寄せる、サッカー・ブンデスリーガの一次リーグでさえ、無観客試合の開催が次々と決定しています。

そんな混乱する世界の中、先だってイベント中止が施行された日本において、不安を持つ職種の代表であるかのように未だ話題に上るのが「音楽家」たちです。

仕事場である演奏会やイベントが悉く中止や延期となったことで、私たちはまさに「仕事」を失くしています。
私も3月に日本で予定していた演奏会が全てキャンセルとなり、日本行き自体を諦めることとなりました。

もちろん、それらに対し見積もっていた収入は「ゼロ」

「仕事」がなければ当然「給与」はありません。
先日までの日本では補填の措置もとられておらず、音楽家たちが次々に声を上げていました。

しかし、音楽家が声を上げると必ずのように
「ならば演奏会を決行し、感染者が増えてもいいというのか」
という声が返ってきます。

いいえ、わざわざ多くの人間を閉鎖された空間に集め、感染のリスクを増やす必要はありません。音楽家たちが訴えているのは、そんなことではないはずです。
奏者の一人である私自身も、感染の恐怖からなるべく外出する予定を作らず、のっぴきならない用事ができない限りは家から出ない日々を送っています。演奏会であったとしても、それが仕事でなく観客という立場ならば、申し訳なく思いながらも断りたいのが正直な心情です。

中には「有事の際だからこそ音楽の力を」と声高に叫ぶ人もいるかもしれませんが、今まさにすべての人々の心に音楽が必要かと問われれば、私個人の意見では「あまり必要ないのではないか」という方に傾きます。

文化や芸術は、人々が繁栄の中で生み出したもの。
残念ながら、生きること直接に関りはないのです。

人間というものは、余裕の無い渦中に自分の心を振り返ることはありません。目の前の事態だけに囚われ、それをこなすことに必死でいるからです。
心が擦り切れていることに気付くのは、少しだけ余裕が生まれた瞬間。
事態が落ち着きを見せ、ふと自身の空虚に気づいたときこそ、文化や芸術を求める人が現れるのではないでしょうか。

芸術に従事する人にとって、それは生きることそのものですが、
その受け手にとっては「心」にこそ必要なものであるからです。

音楽の必要が問われるのは「今」ではない。
そして多くの音楽家たちも、そのことは多分に理解をしていることと思います。


演奏会の中止を余儀なくされた奏者や団体が、無観客公演のライブ配信やネットでの動画投稿を行っている姿を最近よく目にします。
画面越しとはいえ、その場にいなくとも「音楽」を楽しめるのが現代。演奏家Youtuberが台頭してきた昨今、今回の一連によって、さらにその数は爆発的な増加を見せるのではないかと考えます。

その動きの影響もあってか、仕事の激減を訴える演奏者たちに対しては
「ネット活用できない音楽家の意見」
「動画制作や配信で儲ければいいのに」
という世間からの声も目立ちます。

ネットの活用は確かに、今回の有事に際した音楽家たちの救済措置の一つです。
しかし、それで万事が解決するのだから、と簡単に言って終わらされてしまって良いものなのか。私には疑問が残ります。

あの記事を書き終えてからもずっと。
『永遠の課題』であると自身で綴っていながら、演奏の仕事や音楽の学びの毎日の中、私はずっと揺れていました。

どんなチェロ奏者になりたいの?

幼い頃にある先生から投げかけられた問いが、幾度も頭の中に木霊しました。

その中で、知らず知らずのうちに育っていた思い。

『クラシック音楽は、エンターテイメントではない』


世間の声、音楽家たちの声。耳に入る様々な立場の声を受けて、朧気ながらも浮き上がってきた「今」の私の答えのようなもの。
もちろん、今後の経験や見聞によって形を変えるであろう、未熟で小さな一意見です。

良いもの、力のあるものは、万人の心に届くはず。
そう信じていた一年前の私。
伝わらないことは音楽家の怠慢であると、自身に対しても思っていました。

しかし、人々の中にはどうしたって届かない人もいるのだと、今の私は思います。そしてそれは、その受け手側の何かが欠落しているだとか、人間の良し悪しだとか、そんなことには全く関係がないのです。
それこそ、趣味であるかないかの違いのような、そうした些細で当たり前なこと。

わかるからこそ楽しさを見出す感覚を持つ人達も世間には存在しています。だからこそ「クラシック音楽はわからないからつまらない」という意見も生まれるのです。
そしてそれは、わからない受け手側が悪いわけでも、わかってもらえない奏者側が悪いわけでもない。
そして、わかってもらうことだけを追求することが、完全に正しいわけでもない。

なぜなら、クラシック音楽は人を楽しませること「のみ」を目的とする、エンターテイメントではないのだから。

何かを見極める目を養うには、多くのものを目にしなければならない。それと同じことがクラシック音楽、及び芸術にも言えるのではないかと、最近の私は思うのです。
様々な人で溢れている世界。真の芸術だからというだけで心を動かされる人間のみが、この世にいるわけではない、と。

そして、やはり芸術とはどこか
「神と対峙するため」にあるもののようにも思えるのです。

もちろん、人々に対して伝えようとする努力や工夫を音楽家が怠っていいわけではありません。
万人に理解されないことが、等しく価値の低さや存在意義の無さにつながるわけではない、と言いたいのです。

ネットを介して稼ぐには、認知度や人気度も必要です。
そして人が何に対して価値を見出すかは人それぞれ。
価値のある音楽家はネットでも稼げるはずでしょ、という極論は正論ではないと私は考えます。


有事なのだから仕方ない。
企業や店舗もみんな大変なのだから我慢すべき。

そのあとに続くのは必ずと言っていいほど
「文化は今必要ないものだから」

しかし「今」必要ないものに従事する人間を、切り捨てることは正しいことなのでしょうか。
生きていくために必要なものを訴えることは、非難されるべきことなのでしょうか。

音楽家たちが本当に求めているものは「理解」なのではないでしょうか。


世界の混乱は、未だ収束の様相を見せません。
ドイツで大規模イベントの中止を政府が呼び掛けてから4日。感染者は日々増加の一途を辿っています。

演奏会の中止が出始めたことで、先の見えない不安と戦う音楽家たちは日本だけに止まりません。

私も奏者の一人として、今後の世界の対応を注意深く見守っていこうと思います。

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追記

3月11日。ドイツ政府は文化・芸術に従事する人々に対し
「文化とは いい時だけに許された贅沢なものではない」として、演奏会やイベントが中止となっていく現状によって、仕事を減らす我々への支援を約束する声明を発表してくれています。

演奏者の一人として、とてもあたたかく心強い言葉。
本当にうれしく、ありがたい、ありがたいけれど……

アジアでの感染増大が騒がれ、世界が注視していた頃。
ドイツではカーニヴァルに突入し、各都市で大勢の人が集い、大盛況となっていた。

ドイツでのコロナ感染者が1000人に届くか否かという頃。
政府は、アジア圏からの入国者等に対しての連絡先記入義務を設けたものの、それ以外には特別に措置を取るわけでもなく。
集団が賑わうイベントも滞りなく開催され、サッカー・ブンデスリーガの試合も連日大量のファンたちでひしめき合っていた。

私はそれを、不安を胸に眺めていた。

そして、3月13日現在 (ドイツ時間)。
ドイツの感染者は3000人を超え、明日にでも4000人に届くかといわれている。
毎朝起きるたびに、領事館からメールが届き、1000人弱もの感染者が増加している日々。

もう少し早く、対策は取れなかったのだろうかと、どうしても心のどこかで思ってしまう。

日本の現在、ドイツの現在を思えば、あの時の日本の対応は英断であったと私は思う。
ただ、それに対し仕事や給与が激減する人々への対策や尊重が全くなされていなかったことが問題であり、当事者たちは声を上げて反論していたのだ。

ドイツと日本のちょうど間を取ったような、良いとこ取りの政策がなされてほしかったなと、目まぐるしく動くドイツの情勢を追いながら思っています。


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