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8/25の日記 追記

朝起きた。眠かった。


上司と面談。相手の声が聞こえず、イヤホンを抜き差ししても、ルームに入り直しても変わらないので上司側の問題だと思った。こちらは手を尽くしたことを示し、暗にそちら側も確認してほしいことを匂わせたが全く確認してくれない。結局、電話で話すことになった。


お昼。文藝秋季号。長井短「ほどける骨折り球子」

「もし突進してきたのがボブ・サップだったら『大丈夫?』とは言わないよね。『おい!』とか『なにすんだよ!』とかだよね。でも私には『大丈夫?』って言うんだよ勇はいつもそういつもいつもいつもいつも私に優しい」

「受け止めてよ。受け入れなくてもいいから事実を受け止めて。『俺がそうさせた』って言ったよね?ちげーよ。私がやった。取らないでよ私の悪意を。そんな風に自分のものにしないで。私を可哀想にしないでよ」

七月八日
「会費、女子は千円ね〜」←死ね

怒ったり憎んだりするのにも体力がいるでしょ。もう疲れちゃったの。

「殴りたくないから殴らないんじゃなくて、私なんて殴る必要もないくらい弱いと思っているから殴らないんじゃないかって感じるの」

漠然とした強くなりたいって願望は、小さい頃からあるの。でも、今私が、今っていうかこのノートに書いてたみたいな強さへの気持ちは、いつどこからきたものなのか、なんでなのか、わからない。だけどね、もう、今ね、勇のなにが羨ましいって、強いこととかじゃなくて、強さを考えないで生きてきた人なんだってことが、羨ましい。し、『強さ』って言葉の中に、私が持ってるみたいな穢れが含まれてない感じが、私が最初に好きだった意味での『強さ』って言葉のままであることが、どうしよう、すごく羨ましい

同居人を公衆の面前で殴ったことがある。言葉が感情にならず、悔しくて手が出た。球子への勇の返答が、そしてふたりのその後が羨ましく涙が出た。泣いてる自分を、すげえオナニー、気持ちわりーなと思った。同居人の感想が聞きたかったが、不愉快だろう。私は到底許されない暴力をして、小説の中で暴力をしてふんぞり返る球子に共感し、暴力を振るわれたのに球子を許す勇に涙を流す。グロテスクだ。すれ違いざまに顔を見るな。胸を見るな。触るな。話しかけるな。空いている電車でわざわざ隣に座るな。自分は変わることが出来るのだろうか。変わるというのは、もう何をされても気にならなくなるということなのだろうか。普通にやっても勝てないのでメンヘラになったりした。男が怯えるのが痛快だった。もう男を殴ったことのない自分には戻れない。性被害を受ける前の自分にも。


それで、働いた。NさんHさんと昨日の打ち合わせの続き。NさんとHさんが子育てについて雑談をしていて、良かった。私はふたりとそれぞれ関わりがあるが、ふたりはこのチームで接点を持つようになったので気になっていた。なんとなく馬が合っていないような。ふたりの仲を取り持つような器用なことは出来ず不甲斐ない。しかし、ふたりが話していたので良かったと思った。打ち合わせ終わり、グーグルスプレッドシートを整頓する仕事。エクセルと勝手が違うので混乱する。調べながらなんとか。条件付き書式というのを始めてやってみた。便利だなあ。


終わり、銀行へ。部屋着で外に出てしまった。公園で打ち上げ花火をしている親子がいた。辺りが煙でぼんやりしていた。東京は公園で花火をすることが禁じられているイメージだった。その後、帰宅してソファで麦茶を飲んだ。消防車が出動している音がした。物騒。


銭湯に行きたかったが股間から血が出ている。家の風呂にバブを入れた。43℃にして水シャワー。全然すっきりしない。サーモスで麦茶を飲むと冷たくておいしい。


ツイッター上の知り合いがスペースをしてたので入り会話。ゆるく3年くらい知り合い。昔、酔ってた私の発言に勇気づけられた、と言ってくれた。嬉しいな。暗い気持ちだったが明るくなった。昔好きだった人のことも思い出した。その人とは荻窪駅のホームで知り合った。あの頃は自由で楽しい毎日だった。少し戻りたいと思ってしまう。もう、誰かに自分の気持ちを持ち上げてもらうことを期待するのはやめるつもりだった。人と話すのは良い。自分が楽しく話していれば、周りの人も楽しく過ごしてくれるんだと思った。走ったりサウナに行ったりしてさっぱりしたい。もうそろそろ終わらせる頃なのかもしれない。

追記

取引先とカラオケに行っていた同居人が帰ってきた。私の部屋のドアを開けて、「サタデナイッ!」と言うので「日々のあれこれ、思い切って後まわしで〜!」と続けると嬉しそうだった。


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