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パラグライダーと私 〜 夢を通して仲間と出会い、人生を豊かにする。65歳でパラグライダーを始めた、ぬきさんの話 〜

ぬきさんは、私と同じスクールに通う、茨城県在住の60代男性。大手電機の営業マンとして働いたのち病院関連の仕事をして、今は引退生活を送っています。今回は「パラグライダーと私」をテーマに、パラグライダー仲間のひとりである「ぬきさん」のお話をインタビュー取材しました。(取材日:2020年10月)

取材企画「パラグライダーと私」では、パラグライダーを楽しむ人の言葉を通して、趣味をもち豊かな人生を実現する方法を考えていきます。

そういえば、俺は空を飛びたいと思ってた

パラグライダーの楽しみのひとつは、年齢・職業・性別などがばらばらの仲間たちが、「空を飛ぶ」という目的のもと、垣根なく交流できることです。私より1年後からパラグライダーを始めたぬきさんは、年齢的には30歳年上ですが、パラ的には私が先輩・ぬきさんが後輩という間柄です。人生の先輩として敬意を払いつつ、趣味的には私のほうが先輩。お互いに教えたり教わったすることのできる、大切な仲間の一人です。

「なんでパラグライダーを始めようと思ったんですか?」と質問すると、ぬきさんは、飄々と語り始めました。

「65歳のとき、色々あって「いつか、孫のために」と蓄えていた資金の使い道がなくなっちゃった。使い道がなくなったお金をどうしようか…と考えたとき「そういえば、俺は空を飛びたいと思ってた」と思い出して、それで」

2018年9月に茨城のパラグライダースクールに入校。2019年には伊豆や朝霧、トルコに旅行してのパラグライダーフライトを経験。しかし2019年9月に大きな事故に遭い、入院・リハビリ生活を送ることに…。

1年後の2020年9月にリハビリを終え、パラグライダースクールに復帰。いまは改めて、空を飛ぶ時間を楽しんでいます。

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(富士山の目の前で、朝霧フライト)

リスクを考えたうえで、パラグライダーを選んだ

「空を飛ぶのは子供の頃からの夢だった」というぬきさん、はじめて乗った飛行機は747のダッシュ(ボーイングの大型機)。しかし「機体が大きすぎて感動しなかった。ボンバルディアYS-11のような小さいプロペラ機のほうが飛んでる実感があり、楽しかった」と語ります。

空を飛ぶ夢を追いかけようと決め、調査開始。小型飛行機(セスナジャイロ)、モーターグライダーハングライダーなど、空を飛ぶといっても手段は様々。本や雑誌、インターネットなどで情報を読み漁った結果、場所や経済面で現実的で、安全性の高いパラグライダーに目をつけました。

ジャイロ(小型飛行機)は落ちたら即、命の終わり。パラグライダーは、落ちても、怪我で済む。滅多なことでは死なない。リスクを考えたら、これはパラグライダーだなと思った」

長年連れ添った奥様の反応を訊くと、はにかみながら言います。

はじめは「そんな危険なことやめてください」って反対された。でも、止めても無駄ってわかってるし、気持ちよく送り出したほうが、むしろ注意してやるだろうって思ってるみたい。女房のが一枚上手です」

ぬきさんが住む茨城県内には、筑波山北側の足尾山周辺にパラグライダースクールが複数あります。主要スクールのウェブサイトを確認し、現地に見学に行き、インストラクターと話し……、現地調査も行ったうえで、ピンとくるもののあった「Soratopiaパラグライダースクール」に入校しました。

現役時代は大手電機で営業マンをしながら各種資格を取得、それを生かして早期退職し、病院関連職についたという勉強熱心なぬきさん。パラグライダーでも熱心に練習に打ち込み、わずか1ヶ月半で一人で山頂からフライトできるようになりました。

はじめて7ヶ月後には、山より高く飛ぶ「トップアウト」も経験。さらにスクールツアーでトルコ・オルデニズに行き、地中海の上を飛ぶというスペシャルな経験もしました。

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(トルコ・オルデニズで、地中海を見ながらフライト)

怪我をしたからパラグライダーを辞めるという選択肢は、なかった

練習すればするほど上達する。出来ることがどんどん増えていく。早く次のステップに進みたくてしょうがない。そんなときに、事故は起こりました。

離陸(テイクオフ)に失敗し、約30メートルの高さから墜落。
第三腰椎破裂骨折でした。

「2019年9月14日の15時5分。テイクオフで上がりかけてから、(窓の外の若い枝の樹木を指差しながら)ああいう杉の木に落ちた。細い枝にグライダーの端が引っかかって、そのまま止まらず、体の下でバキバキバキっていう音が聞こえて、地面にドンって落ちた。やっちまった…と思ったよ」

ぬきさんは、冷静に原因分析を続けます。

「原因は、サイドからの弱風(正面からではなく横からの弱風=すこし難しい風)で、リバースでうまく上げられなかったこと(リバースでの離陸は強風のときに便利な方法、弱風だと難易度アップ)。前は綺麗にできたからそのときも、と思ったんだけど…。自分で事故の原因はわかってたから、事故が起こったとき、悔しくはなかった。しょうがないと思った」

落ちた木のなかから這い出して、インストラクターの助けを借りながらも、自力で歩いてベンチのある場所に戻りました。しかし、30メートルの高さから落下して腰をぶつけたダメージは大きい。一息ついたら動けなくなってしまい、その場にいた仲間たちに担架で車道まで運ばれ、車で下山。すぐに、病院の救急外来へ搬送されました。仕事がら医療関係者と話す機会の多いぬきさん、けがの深刻さはすぐに理解しました。

「手術はおそらく5時間程度。終わって装具(金属製のインプラント)が入ったら即リハビリだって、わかってた。そこから計算して、だいたい2ヶ月後…11月には車の運転をできるようになるだろう、それから半年みて…翌年7〜8月ぐらいから練習再開できるなと考えた

病院に搬送されつつ、そこまで考えていたとは。話を聞いてびっくりした私は、思わず質問しました。「パラグライダーをやめようとは、思わなかったんですか?」と。

そんな死ぬほどの思いをして、なんでやってるの?って、よく言われる。でも、怪我したから辞めるって、俺の選択肢の中にはないんだよね。女房にも言った。そうしたら「多分そういうと思ってた。ただ、私は心配なの」って。それで、俺もいろいろ考えた。なんで怪我したのかな?って」

治療生活を送りつつ、ぬきさんは原因分析を続けました。

手術2ヶ月後の11月に退院して、自宅リハビリを開始。コロナ禍による緊急事態宣言中も、ひとりリハビリを継続。自転車漕ぎや、荷重を背負ってのウォーキングなどを繰り返して、入院中に落ちた筋力を回復。そして2020年9月にパラグライダースクールでのレッスンを再開。ほぼ予定通りのスケジュールで復帰を果たしました。

取材を行った2020年10月18日には、長野県白馬村で人生二度目の「初飛び」(一人で山の上から飛ぶ、初めてのフライト)を達成。

順調な復帰にも見えますが、1年ぶりのフライトは「やろう」と決めてから、何度かの延期を経ての実現でした。

落ちてから、変わったことがある。まず、焦らない。そして「危ないかな」という恐怖が芽生えたときは、やめる。初飛び2日前にも、初飛びできるかもしれないと準備はしていたが、何時間か待った末、飛ぶのをやめた。以前の俺だったら、せっかくここまで待ったのに!…と思ったかもしれない。でも今は、飛ばない判断ができるようになった」

飛ぶこと自体は辞めない、でも、状況に応じて「今は飛ばない」という判断もできるようになった。前より冷静になったのかもしれませんね…と私がいうと、笑いながら言いました。

「だって、アイスクリームじゃないもん、溶けてなくなりはしない。山はそこにあるし、風も吹く。そのとき飛べなくても、また飛びに来ればいい

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(夏、避暑地でもある長野県白馬村でフライト)

これから、パラグライダーとどう向き合っていくか

もうひとつ変わったことがあると、ぬきさんは続けます。

技術の上達を追い求めるよりも、飛んでるときに見える景色、風、温度、トンビ先生……、そういう空間自体を楽しみたい。スポーツカーでスピードを競うよりも、ファミリーカーで山道をゆっくり楽しむように」

変化したのは、ぬきさん本人だけではないようです。日常生活が送れるようになってから、夫婦で九州旅行したときの話になりました。

「今年2月に熊本の大観峰へ行って、タンデムフライトをした。瞬(しゅん)がパイロットで。前は嫌がってた女房も、「タンデムしようよ」って言ったら、「うん、してみようかな」って。雪まじりの風が強い日だった。飛び立ったら、女房はキャーキャーキャーキャー、もう大喜び。今は、いずれ茨城でもやりたいねって話をしてます」

弱冠20歳のパラグライダーパイロット・花田瞬くんとの出会いは、2019年2月にさかのぼります。当時18歳の瞬くんは、パラグライダーを上達するために欧州での武者修行を計画。資金を賄うため、瞬くんがクラウドファンディングを活用して情報発信するなかで、ぬきさんとの縁が生まれました。今では夫婦そろって瞬くんを応援しているぬきさん。瞬くんの存在は、爽やかな刺激になっているようです。

「瞬がグラハン(グラウンドハンドリング、地上で行う練習)するのを見てるとね、上達しようとかじゃない。パラグライダーで遊ぶのが楽しくて仕方ないっていうのが伝わってくる。あの境地に、少しでも近付きたい

「瞬くんや、(パラグライダー仲間でグラハン上手な)Sさんに追いつくのが目標ですか?」と尋ねると、「いやいや、焦るとまた怪我するから…」と笑いつつ、「トルコのオルデニズにはもう一度行きたい。前に行った時に現地でできた友だちにも会いたいし」と、異国のパラグライダー仲間のことを思い出して、目を細めました。

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(1952年、辰年生まれのぬきさん)

ぬきさんと話していると、家族や周囲の人との繋がりを大切にしていること、パラグライダーを通して出会った人との交流を通して、人生をより豊かなものにしていることが伝わってきます。

同じパラグライダーというスポーツをしていても、世界選手権を目指して切磋琢磨する花田瞬くんのような飛び方もあれば、人生を楽しむための趣味としての飛び方もある。でも、そんな二人が出会い、人生に影響を与えることがある。競技人口の少ないパラグライダーならでは…です。

最後に、これからパラグライダーを始める人へのメッセージを伺いました。

「やりたい」と思ったら、年齢は気にするな。インストラクターを信頼して、言われた通りにやろう。それと、お金の心配はするな!」

取材終了後も、瞬くんが節約のために自力で山を登って飛ぶ練習をしていたこともある…という話で盛り上がりました。人懐こい笑顔が印象的なぬきさんは、話し始めると話題が広がって止まりません。また次回、パラグライダーエリアでお会いできるのを楽しみにしています。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

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