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コミュニティの力を借りて、遠くまで行こう 〜 2020年4月 YMO会レポート

2ヶ月ほど前から、書くことが好きな人の集う「sentence」というコミュニティに参加している。

運営元のインワイアのことは、モリジュンヤさんのnoteを通して名前を見た程度だったけど、「ものは試し」と思って参加してみたら、期待以上に楽しい。文章を書いた時に「書いたよ!」と報告できたり、自分のアンテナに引っかかってこない情報をもらえたりと、良い”場所”に参加させてもらってるなぁと感謝している。

そんなコミュニティsentenceでは、ときどき「YMO会」というフィードバック会が行われている。この記事は、そのYMO会のイベントレポートだ。

「YMO会」ってなに?

YMO会とは、すなわち「原稿相互フィードバック会」の通称です。完成原稿における「Y・M(佳き・モヤっと)ポイント」を複数人で見つけ合ってディスカッションを行ない、最終的にそれぞれが今後の執筆での成長課題「O(推して参る)ポイント」を策定することで、個々のスキルアップを促進。言語化された学びをシェアしたり、文書としてストックしたりしていくことで、組織全体のラーニングにも繋げています。
https://note.com/tkswest/n/n61aab62063d0

私がnoteに書くような「自分語りの文章」には、正解・不正解はない。機械に読ませて「これくらい面白かったよ」をスコア化するのもナンセンスだ(そんなシステム、あるのかな?)。

しかし、だからこそ「どうやったらよくなるか」を学ぶのは難しい。世に数多ある文章読本を読んで「わかったつもり」になっても、それを自分の文章に適切に活用できているかは、心もとない。だいいち、自分が書いた文章を「客観的に見る」ことが難しい。第三者、つまり「私じゃない誰か」に読んでもらって、ダメ出しをもらいたい。そんなふうに思う私にとって、YMO会は渡りに船だった。

他者が書いた文章を通して、自らを省みる

YMO会自体のタイムテーブルは、ざっくりこんな感じだ。

10分:チェック・イン(自己紹介など)
20分:小グループに分かれて、各グループ原稿1本をディスカッション
20分:大グループに戻って、文章1をディスカッション
20分:大グループで、文章2をディスカッション
10分:チェック・アウト(全員が本日の「推して参る」を述べてシメ)

参加するまでは、自分の原稿をYMOしてもらう時間が一番収穫があるだろうと考えていた。もちろん、自分の文章へのコメントを率直にもらえる機会はとても貴重で嬉しいこと。なにより、書いて良かった!という励みになる。でもそれと同時に、他者の原稿についてディスカッションすることで得られる「学び」の深さがYMO会の魅力!と、参加後の私は思う。

当日のタイムラインは上に書いた通りだが、実は、YMO会は数日前から始まっている。参加者は全員、会が始まるまでにYMOする原稿(以下、YMO原稿)2本を読み、

・「佳き」と思ったところ(Y)
・「モヤっと」したところ(M)

という二種類のコメントを入れる約束になっている。自分の原稿へのコメントは不要なので、原稿提供者の私は、(2本の原稿のうち)もう一本の原稿を読んでコメント入れをした。

当然ながら、他者が書いた文章は客観的に見ることができる。「ここは佳き!」というところも「ここはモヤっと」というところも、さくさく見つかる。「ここはこうしたらもっと良くなるのでは」という発想も浮かびやすい。思い入れや執着心を持たず、まっさらな視点で分析できる。

事前コメント入れで、もう1本の原稿を読んでいた私は、ある箇所で「前段落までは丁寧に自分の体験について語っているのに、次の段落で「男は〜」と一般化してしまってて、ちょっと乱暴かも」という点が、目に付いた。そのようにコメントを入力。

しかし、コメントを書きながら、「自分の原稿でも、似たようなことをやっていたじゃないか」ということに思い至る。今回YMOに出した原稿だけでなく、他の文章でも前科がある。意識的に(ちょっと微妙だけど本論には関係ないからいいやと思って)やっていることもあれば、無意識に(うっかり)やってしまうこともある。わざとやっている分にはよいのだけれど……。

「主語が大きい問題」対策と、議論する場のある幸せ

不用意な一般化や、ついうっかりで入り込む大きな主語。それによって読者の視点が「その文章で伝えたいこと」「本論の主張」から逸れてしまう。

そんな「主語が大きい問題」を避けるには、どうすればいいの? という話題で、当日はディスカッションが盛り上がった。話し合っていると「これは取り入れたい!」という対策案が出てきて、思わずメモをとった。

●具体例を入れて、こういうケースもあるという話にする
●単語選びに注意する。軸をぶらさない単語選びをしよう
●本論の主張が伝わる一般化ならしてもいいという割切りもアリ。力尽きて投げやりの一般化はダメ

sentenceコミュニティの佳きところは、それぞれスタンスは異なるものの「書く」という同じ「山」に取り組んでいる人たちが集まっているところだ。山登りをしている最中に、問題が発生するのは自然なこと。それに対してどう対処していくか、そこに個性が出る。

対処方法は千差万別。自分は自分なりのやりかたがある。でも、ひとりでもがくのは大変だし、そもそも「問題がある」ということに、自分自身では気が付かないこともある。だからまず、YMO会を通して問題があるという「気づき」を得ることができるのが、ありがたい。

そして、問題に対して他の人がどういうアプローチをしているかを議論し、学び合うことができる。どのアプローチが正解というわけではない。でもいろいろな対処方法を知っておけば、次に同じ問題に遭遇したとき、きっと役に立つ。

ひとりで修行するのも大切だけど、同じ問題に取り組む=同じ山に登る人たちが集う場所があるって、恵みだなぁと思う。「早く行きたければ、ひとりで行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け」という諺(ことわざ)を体現しているのが、YMO会であり、sentenceなのでは……!

sentenceは、言葉のセンスが温かい

ところで、私は「YMO会」という名前が好きだ。「良いところ・悪いところ・反省点」ではなく「佳き・モヤっと・推して参る」をフィードバックしあう。ちょっとした表現の工夫によって、フィードバックをする側もされる側も、プレッシャーがちょっと軽くなる。

YMO=「佳き・モヤっと・推して参る」をはじめとして、sentenceで使われる言葉は、温かみを感じる表現が多い。slackを眺めていると、誰かが書き込んだ名言に対して「これは尊い!」スタンプがつく。「書きます!」と宣言した原稿を書き上げたら「偉大!」というリアクションがある。

「尊い」も「偉大」も、とてもポジティブな言葉だが、日常で使う機会は多くない。ところがsentenceの中だと自然に使われていて、なんだかよい。「よい」も「佳い」と書くと、温かみが増す気がする。

「書く」という行為が好きな人たちが集まる場だから、言葉選びに気を遣う。言葉選びに気を遣うことで、言葉による表現に関心をもつ人たちが集まる。そういうサイクルを志向しているのかなぁと理解している。

もしあなたが「書く」ことに何らかの思い入れがあって、sentenceの言葉遣いが嫌いではないなら、試しにちょっと覗いてみると、良い刺激を貰えると思う。コミュニティの力を借りて、もう少し遠くまでいけるかもしれない。


sentenceのnoteはこちら。

メンバーの安久津さんによる、YMO会(vol. 4)のレポートはこちら。



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