【新説・魚食レポvol.11】糠イワシのピチッとシート干し
脂が乗った岩手産マイワシ
を手にした時、僕の頭は糠でいっぱいになった。
好きな本に宮本輝さんの「にぎやかな天地」というものがある。
日本に眠る発酵食品を通し、人間を含む生物の生死、ゆっくりとした営みと醸成を描いた作品だ。
途中、本の装丁家である主人公が発酵食品の魅力に惚れ込み、糠を自宅で飼い始めるのだが、昔そこを読み猛烈に糠を飼いたくなったことを覚えている。
しかし当時の僕は出張の多い仕事で、場合により2ヶ月近く家を留守にするため糠飼いには踏ん切れなかったのだ。
時はたち転職もし、様々な日本の魚とレシピに触れる中で、魚と発酵の密接な関係、さらには米糠を使った伝統的な魚の郷土料理も多数あることを知った。
へしこ(糠サバ)、こんかいわし(糠イワシ)、糠サンマ、糠ニシン、糠ホッケ、フグの子糠漬け…。
一般的には腐りやすいとされる食材である魚が、乳酸菌と共に生きる幾千万の微生物たちと馴染むことで味を深めていく。
フグの子に至っては毒があるというのに、塩水と糠への拡散もあるだろうが、真には解明されていない妙技により無毒化されるのだ。
魚は水揚げされてから食べられるまで、下処理はもちろん、仕分けや仕立て、適正な情報を流通させるまで何かと手間のかかる食材である。
捕食者本位の言葉となるが、僕はこの手間を「世話」と呼びたい。
食材として魚の「お世話」をする。
いったいせわしない現代において、この行為に時間を割ける人間がどれほどいるのだろうか――。
とある日の朝、市場へ出勤すると沢山の岩手産マイワシが目の前にあった。
シャンとしていて魚体はデカい。
ふぇえええ!うまそぉおおっ!!
食べたい〜っ!!食べたい食べたぁいっ!!
心が途端にざわつくが、仕事で帰りは遅いし鮮度落ちが特に速い青魚だ。
僕はどれだけお世話出来るのか――。
ピカッ!!
イワシを掴んだ瞬間、頭の中の電球が光った
そうだ!糠漬けだ…!!
実は前から僕は「とある糠床」を狙っていた。
それは近くの定食屋Fさんの裏口脇に鎮座している。
毎日昼前になるとオババが現れ、糠樽の蓋を開け、野菜を交換しつつ丁寧に底を返している所を僕は横目で見ていたのだ。
あれに漬けたい…!!
「おばさん、すみません!」
定食屋に入り勇気を出して声をかけてみる
「お金は払いますから…!あの、糠床をお分けください…っ!!」
一瞬、オババは怪訝な顔をするも、
「あらアンタ、いつも魚買わせてもらってるし、良いわよ。」
なんと快諾してくれたのだ!
『我が元に 北より給ふ イワシ見つ まいらぬ人は あらじとぞ思ふ』
(意訳:私のところに北から届いたイワシを見て、あなたの所へ糠を貰いに来ない人はいないと思う)
思わず歌が出来るほどの嬉しさを抱きながら、オババへ糠を頂戴したことの御礼と、あまりにも良いイワシが入荷したので、良い糠に漬けたくなったのだと話した。
「良ければですが…うまく漬けれたら食べてみませんか?」
「あら。アタシ、イワシは食べれないのよ。」
聞くと一度「目刺し(小イワシの丸干し)」に当たってから食べれなくなったのだとか。
サバ、ニシン、サンマなど他の青魚は問題なく食べれるらしい。
人には人の食歴があるのだ。
さて頂いた糠は、オババが言うところ「30年物!」らしい。
何か分からぬ野菜クズや、梅やら豆やら唐辛子やらが入っており、嗅ぐとにぎやかな酸味が鼻を抜ける。
「うちの糠は美味いよ。毎日お世話してきたからね。」
確かにオババの糠漬は食べやすく美味しい。
イワシはどう化けるのか…楽しみでたまらない。
イワシの糠漬けを作るには?
まず、イワシの下処理からだ。
包丁で軽くなでるようにしてウロコをとったら、頭を落として内臓をとりだす。
おっ...
やったーー!内臓脂肪がしゅごいっ!
【かにへーの魚食雑学】
魚は、基本的には内臓が白いものに包まれていたら「アタリ」!
これぞ内臓脂肪で、身にも脂がのってる可能性がグンとあがる。
逆に餌が胃にたんまり残ってると「餌食い(エグイ)」と呼ぶ。クサいうえに、消化酵素が活発なので場合により腹から身まで溶かし、刺身じゃ使えない品質になってるのでガッカリする。
魚食人は腹を出したときに一喜一憂するのだ。
さて。内臓をとりだして、綺麗に血合いも洗った後は、糠で全体をくまなく包み込む。
均等に脱水しつつ味をつける他、なるべく魚を酸化させないよう物理的に空気を遮断する狙いもある。
これを今回さらにピチっとシートで包み込む。
【ピチッとシートとは?】
コンドームで有名な「オカモト社」が開発した脱水シートのこと。
水飴と海藻由来の高浸透圧成分を包んだ「水布団」みたいな形状をしている。開いた魚に塩をして、このシートで挟み冷蔵庫へ入れて置けば、簡単に一夜干しが出来る。かにへー愛用の魚食グッズ。
理由は、少し糠自体が水分多めであったこと。
翌日は塩焼きを食べる予定がすでにあり、少なくとも2日は寝かせる可能性が高いため、脱水することで保存性を高めたかったことが狙いだ。
さらに保管しやすいようにポリ袋で包んでおく。
そして冷蔵庫に入れて2日後に取り出し、糠を手で落としたものがこちら。
不思議とサラサラして、嫌な魚の臭いが一切しない…。
これをグリルで弱火でじっくり焼いていき...
デデン!!
パクッ!!
ふぇええっ!!!うま~~~い!!!
ジュワっ!とイワシの皮目からにじんだ脂の旨味が、僕の脳みそにジャブを打ち込んだと思った次の瞬間、糠の滋味深い旨味とイワシの酸味が口の中で混じりあっていく。塩焼きとは異なる奥深い味わいがあった。
しかも驚くことに食べても全く嫌な魚臭さがしないのだ。
定食屋のオババが何年もお世話した糠が、2日間イワシのお世話をしてくれたのだろうか。
見えない生命に脅かされているこの頃。
見えない生命にお世話になりましたというお話でした。
うまく共生して引き続き食を楽しんでいきたい。
追記:
この岩手産マイワシ。寿司で食べても最高でした。
僕は、初日は寿司を握り、2日目は下処理したものに軽く塩してピチッとシート干ししたもの。3日目は、この記事にあるとおり糠イワシのピチッとシート干しをしたものを食べました。
鮮度良いイワシなら3日間楽しめるんです。
是非皆さんもお試し下さいね。
【※糠漬け魚作成にあたっての注意※】
ヒスタミン中毒の危険性があります。
以下、かにへーからのアドバイスです。
前提:ヒスタミン中毒は、体質によりますが22~370mgのヒスタミンを摂取すると生じる可能性があります。ヒスタミンは、必須アミノ酸であるヒスチジンに細菌の酵素が作用することで生成されます。
1.必ずよく冷やされた鮮度が良い魚を使用する。
2.買った魚は常温で放置せず手早く捌いて漬ける。
3.夏場は、常温で放置した糠床で漬けない。
4.魚に使った糠は短期間で捨てる。
1はヒスタミン含量の低い魚を。
2~3はその後のヒスタミンの生成を抑えるために行います。
4についは、たとえ10-12%の高塩分であっても、ヒスタミンの生成が進むという論文も出ているので後々のリスク回避です。
(長期熟成すると最終的にはヒスタミンも分解されるという話もありますが、詳細は不明です。)
また、青魚ほどヒスチジンが多いので、下手に扱うとヒスタミン中毒になりやすいです。(実際に、日本のヒスタミン中毒の発症例はマグロが1位、2位がサバ)
一方で、僕は青魚が大好きで、その魅力の1つはヒスチジンによる旨味だと思っています。
気を付けながら長く楽しい魚食ライフを楽しみましょう!
【参考資料】
登田ら(2009)『国内外におけるヒスタミン中毒』国立医薬品食品衛生研究所
八並、越後(1991)『市販いわし糠漬けからの耐塩性ヒスタミン生成菌の分離』日本水産学会誌
サポート頂けたら勿論ありがたいのですが、出来たらそのお金でご自身で魚を買って捌いてみたり、居酒屋でプロが作る魚料理を食べてください~~!!