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死んだらどうなるのか

人間、死んだらどうなるのか、分からないままで生きている。己はどうか。日々のニュースや、身内の死、自分の死に対して、どのように感じ、どのように捉え、そして、そのことに対し、何を心掛けているのか。「いやあ、そんなこと言われても、本当のことは誰も分からないし、教えてもくれないし、聞かれても答えられないや。死んだら分かるんだから、それでいいんじゃないの?」「世間では、死のことを考えたり、話をしたりするのは何となくタブーな感じがするし、ちゃんと話をする場もないよね。」「そのような哲学的なことは、本でも読んで、静かに自分だけでこうだって思ってりゃいいんじゃないの?」「死は宗教の類。宗教の世界は怪しいから、敢えて触れないようにしている。」「死のうと思ったことがある。でも、その時は、ただこの世から居なくなりたいって思っていただけ。その後どうなるのかなんて、考えてもいなかった。あの時死ななくて本当に良かったと思っている。」「科学的には死や死後のことを説明することが出来ないでいるのだから、死んだらどうなるかなんて、考えても無駄なんじゃないの?」「誰か、本当のことを教えてほしい。あるとかないとか、正しいとか間違っているとか、私は真実だけが知りたい!」。本来人間は、あの世を分かってこの世を生きる必要がある。死とは何か、死んだらどうなるのかを分からないで生きている人間というものは妙なものだ。それは自分のことが分らない、宇宙、世界、世の中、生命のことが分っていないことと同じ。人間、本当のことを知ったならば“畏れ”を知ることになる。従って、生きる意味も、生き方も、在り方も劇的に変わる。これを探究せずに生きることは、生きていないのと同様であることを推して知るべし。


そのことを肝に銘じ、自分自身の死や死後のことについて悟れるよう、探求を続けます。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者