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“自分なりのモノサシ”では

人生は、善悪の積み重ね。万人、善悪の両方を持って産まれてきている。誰一人、これを無きものにすることは出来ない。これ宿命という。森羅万象は、全て表裏一体。善と悪も表裏の関係。あの人にも、この人にも善悪があり、極悪人にも善があり、聖人にも神仏にも悪ある。このような真実を受容したならば、己、何が出来るか。どう生きることが出来るか。「人間、悪が消えないならば、出ちゃって仕方ないよね。でもどうしたら悪が出なくなるのかなあ」「いやいや、私は、悪は一切ないです。生まれて来の方、悪いことなんぞした覚えはありません。」「悪役なのに実は良いヤツって、なんかかっこよくね!?」「いいことばかり言って善人面しているヤツに限って、裏で悪いことしてるっていうしね。」「いやあ、流石に神様には、悪はないでしょ。だったら、神やってないし。」「善だの悪だの、めんどくさい。そんなのどっちだっていいじゃん。人生、楽しく生きるのが得!」ああだの、こうだの、よく持論をまくしたてるものだ。己が好もうが好まざろうが、善も悪もどちらも持っている。要は、日々、どちらを出して生きているかということ。実相は、善が普通。善が当たり前。善に生きるとは当たり前のこと。それが出来ないから人間やっている。そもそも善が何で、悪が何かの分別はあるのか。“自分なりのモノサシ”では全く駄目だ。なぜならば、人間は皆未熟だからだ。悟りを啓いた真の成仏者は完善を通した。悪を克服した。生きる上でほんの些細な微悪においても、一切悪を出さない生き方。人間修業は、この善悪の分別を一生の間にいかに身に付けられるか。人生は善悪の積み重ね。人間、失敗を繰り返し、反省し、修正をすることで成長していく。しかし、そうならないのはなぜか。失敗しても反省もしないで、そのまま放ったらかし。微悪を繰り返し、悪とも思わなくなっていく。自分はどうなりたい?どう在りたいか。それでも人間、決心いまだに着かず。



そのことを肝に銘じ、善悪を持つ宿命に生き、悪を克服して逝きます。



有難うございます。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者