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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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#宇宙

人間如きが、地球や宇宙を乱しているなどと思うことは愚の骨頂。

この世とは、平穏無事の場として、人類に提供されている訳ではない。 これが真実。 勘違いするでない。 人間如きが、地球や宇宙を乱しているなどと思うことは愚の骨頂。 身の程を弁えた方がいい。 その大きなうねりが前提となる中で、人間は、必死にもがきながら、安寧を求め続ける。 ここに宇宙の真理がある。 即ち、人間が苦しみながらも諦めず努力をし、知恵を絞り、互いに協働することで、全ての生命と調和に向かおうとする、その力動こそ、人生の大いなる意味があるのである。 この神髄

総ては、心の上に生成する。

心は人間、人間は心。 心次第で人生好転する。 心とは何か。 巷でも、人間の身体に対し知識・感情・意志などの精神的な働きの基とされる。 心は、生命が宿った時につく。 心は、全ての人間に共通のものとして、各々の人格の基礎となるもの。 その構造は、魂が中心核にあり、その周りを心が覆う。 従って、総ては、心の上に生成する。 心は伸び縮み、開閉し、自在である。 心は理なり。 即ち、心即理。 心は宇宙、宇宙は心。 宇宙の理やそれと一体化した本心を内観によって把握で

人間種の消滅は確実に避けられない。

一日を四季を巡るが如く生きる。 四季とは春夏秋冬。 天文学上の四季は、春分、夏至、秋分、冬至が折り目。 一日24時間を4分割すれば6時間毎の巡りとなる。 生命の営み、人間の身体のリズムは、本来はこれに則っている。 しかし、人間活動は24時間フルに音を立て動き、煌々と灯りが灯ったまま。 起床も睡眠も食事もとても重要な儀式なのに、ダラダラと曖昧テキトウ、いい加減に流されている。 これが人間社会の生産性と効率性を最大化するシステムだと誰かが豪語し、大方がそれに同調して

宇宙からの影響

人間は、宇宙など遠い存在のように見えて、自分には関係のないことだと思っている。 本当に関係の無いことか? 「宇宙って、よく観る映画とかプラネタリウムの世界でしか想像つきません。暗くて無重力で人間が生きていくことが出来ない静かな世界というイメージ。宇宙人とかそういうの、本当いいるのかなあ…。」 「宇宙とか何かとか、そういうのまったく興味ないし。それよりも就活どうしよう…。行きたい会社とかないし、働くの面倒くさい!ああ、このままずっと学生やっていたい!」 「この間、UFO

生きていることが嬉しくなるような世の中を

生きていることが嬉しくなるような世の中を創りたくないか?所詮、独りでは生きていけない世。皆がどうすれば良くなっていくか周囲のことも考えて、互いに協力し、支え合い、励まし合いながら日々を営んでいく。自分だけが悪者になるとか、自分さえ頑張ればとか、自分がヒーローになればなんてことは考えなくて良い。世界は、私はあなただし、あなたは私なのだ。神も聖者も善人も、悪魔も犯罪者も悪人もみな同じ。誰かを支えれば自分を支えたことになる。誰かを助ければ自分を助けたことになる。誰かが悲しければ私も

虚構、捏造、法螺の類

実相の世界は、実にシンプル。この原理は、簡単な仕組みで出来ている。しかし、なぜ、人間にはそれが分からないのか。それは、一元しか見えていない、見ようとしない、認めていないからに尽きる。見えているものだけを信じ切っていて、見えていないものを感じることが出来ない。厄介なことは、見えている世界が虚構、捏造、法螺で塗れていて、本来感じれた糸口も感じれなくなってしまっている。これは大問題だ。現代社会が手に負えない程に混乱しているのは、このことが起因している。まずは、世に溢れている虚構、捏

何も信じられない!

世の人間様よう。人類全体として、人間の質、即ち人間性が落ちている。時間が経てば経つほどに、悪くなっている。なぜか。この超大宇宙には、不変の真理というものが存在する。それが実相。これを人類は感じれなくなっている。心が離れてしまっている。理解できる感性が鈍くなっている。このことを己どう感じるか。「私は大丈夫ですよ。だって、毎日、真面目に仕事をしているし、世の中に迷惑など掛けたことは一切ありゃせんので。」「私も大丈夫だと思う。家族にも恵まれ、毎日、幸せに暮らせています。何も不自由に

さも自負の善人の如く

人間は、清浄と汚濁の世界に生きている。人間は汚す。しかし人間は清めることも出来る。汚すのは簡単。汚れるのはあっという間。なぜならば、放っておくだけでも汚れ続ける。これは人間が生きているからだ。一方、清めるのは簡単ではない。そして清浄の状態になるには余程の時間と労力が掛かる。自然や動植物たちは、この実相を理解している。であるから無理はしないし、自分の立場や役割を弁えて生きている。なのに人間は否。自分で汚し壊し荒らしていることを意図して行い続けている。最も厄介なことは、「私は汚し

世の中、ぶっ壊した方がましだ!

この世の人間皆恵まれている。なぜか。それは、この世に生まれることが出来ているから。これほどの最良の機会はない。長い永い人生の中で、この時代に生まれ体験が出来るチャンスを得れたのだ。これ程恵まれたことはないであろう。増してや、己が願い望んで希望が叶ったのだから尚更だ。余程の感謝をし、有難くこの時代を生き切る以外に何があろうと云うのか。「私はなんでこんなに不幸なの?何も悪いことをしたわけではないのに…」「こんなつまらない世の中、ぶっ壊した方がましだ!」「何をやってもうまくいかない

意識とは何ぞや?

人間は、肉体が“意識”を得て人間となる。正確には「“意識”が肉体を得る」だ。即ち、誕生、“御目出度”。そして、人間は、“意識”が肉体から出ることで死する。人間、意識が入れば命を得て生き、意識が出れば死に朽ち果てる。人間は“見える”存在。だが、死すればものとしての肉体は無となり見えないものとなる(生きた証はその世の中で時として残るが)。“意識”は“見えない”存在。“意識”とは何か。これ、現代科学では未だに解明されていない。なぜならば、見えるものを信望する科学には、とうてい扱い切

いつでもそのことを教えてくれる

この世は自治の世界。何かに縋って(すがって)生きる世界ではない。縋るとは「掴まって寄りかかる、とりつく、依存する」という意。人間、どのような境遇にあろうとも、心も身体も自立して生きる。本当に出来ないこと、弱いところは、互いに補い合う。そして奉仕、施しを受けたならば、心から感謝する。それは互いに自立し合った者であるからこそ成り立つ。己の在り様を見直してみよ。持ちつ持たれつもバランスが少しでも偏っているとすぐに倒壊する。人と人の関係のみならず、人とモノ・金の関係、人間と自然との関

一人ひとりの使命は多様に満ちている

この世で果たしていく各様の役割とは何か?「役割?そんなもんないよ!どうやって人生楽に楽しく遊んで暮らせるか、それだけでしょ?」「そんなもの勝手に決められては困る。自分の人生は自分のものなんだから、例え親であったとしてもそれだけは御免だ!」「何となく役割のようなものはあるような気がするけれど、それが何なのかまだ分からない…」「役割があったとしても、自分がでそれが苦手で嫌ならばどうすればいいのか。簡単に止めたり、変えたりして良いものなのか…」。殆どの人間は、人生の目的であるこの世

この問題は永遠に解決できない。

「鶏が先か、卵が先か」。この問題に対し、人間界はまだ論争を続けている。科学では、一旦、ごく最近になって、「卵より鶏のほうが先に誕生した」と結論付けている(イギリスの研究チームは、OC-17と呼ばれるたんぱく質が卵の殻の結晶化を促進させる働きがあることを突き止め、このたんぱく質は鶏の卵巣のなかにも存在し、これがなければ卵ができないことも判明した、としている)。しかし、かつて「最初」の鶏がいた以上、それはその鶏たる由縁を規定した卵から生まれたのではないかという(他の鳥類は卵の形成

人生いろいろ

人間は、その時代に生まれた目的を有している。即ち、その時代に必要な責務があるということだ。それは、大きい小さいにかかわらず、好もうが好まざろうが万人に持たされている事実。真実は、自分自身がそう決めて生まれてきているということ。そのことは、様々な事象の中でようやく気付く者もいれば、生涯思い出すことが出来ずにこの世を去る者もいる。もっと云えば、遠回りすることなく、もの心ついた時から自然と責務を果たし始める者もいる。人生いろいろ、人間いろいろである。この人生とは何ぞや?という純粋な