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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年8月の記事一覧

それはふつうではない

善で生きるとは、普通のこと。善はふつう。正常。従って、普通にやっていれば、普通でいられる。反対に、悪は異常。普通でない。普通にやっていないと普通でいられなくなる。ここで人類の大きな認識の違いが生まれる。真理には、善いか悪いかの二つしかない。中間はない。従って、悪でないということは、善でもふつうでも何でもないということを心底理解しなければならない。白か黒か。グレーはない。善で生きるのか、悪で生きるのか。このどちらかしかない。つまり、完善でないことはふつうではない。ふつうではない

清浄と汚濁という概念すらない

生命は気体のようなもの。常に変化し、極小化と極大化を繰り返している。即ち、生成化育。この生命の根底にあるもの、生命の尊さ、生命の素晴らしさを人間は今一度、理解する必要がある。この宇宙、地球、そしてこの世には、無駄なものは何一つない。従って、清浄と汚濁という概念すらない。全てに意味がある。このことが分かるか。本当に必要な本当のこと(真実)を解らないでいると、この人生、規制を受ける。何事にも条件というものが付いてくる。分かったふりをしても見透かされる。己の力量を過信し、己独りで生

地球再生の時が近い

地球の再生が近づいている。過去の再生が長ければ長くもつ。短ければ長くはもたない。今世がどうなのか、既に科学者は計算し尽くしている。地球は地の蔵。全て必要なものはそろっている。全てが天然の資源。何一つ、人間が生み出したものはない。人間という種が、たまたま今世、この天然資源を使わせて頂いている立場だが、感謝の念を忘れ、使いたい放題、捨て放題、後先考えず、自分の欲を満たすだけに使う。これでは、地球は持たない。早く再生しないと、地の蔵が崩壊してしまう。本来、適切に管理・運営が成り立て

今度は、逃げずに向き合ってみよ

知ろうと知るまいと、超大宇宙の実相は存在する。それは人生の根元(源)。この実相を知らずしての人生は、砂上の楼閣に等しく、いずれ崩れる時がやってくる。そうならぬために、本当のことを知る必要がある。その最たるものが、人間は、初発の時から一挙種一動を見られ、その全てを記録されているという真実。そんなSFのようなことがあるのかと人は言うが、望もうが望まなかろうが、信じようが信じまいが、在る。実在する。この見えない力の働きを感じれるだろうか。この力動の眼差しを感じれるだろうか。その感性

窮める

良くなりたければ、極めるしかない。一つのことを諦めずにやり切る。努力を極めるということは、困難を窮めるということ。努力を、青臭いとか、面倒だとか、今時流行らないという。そこで思考を止めるか、知恵を働かせないかで、明暗が分かれる。面倒を解消するために、考えて考えて考え尽くして生み出した知恵は、生かされる。それこそが努力。そして努力は奇跡を起こす。一生懸命にやってる、努力をしている、こんなことは世間にザラにあること。やっているつもりの自分本位では、何も生めない。いい加減、中途半端

自分自身が生み出した身から出た錆び(ツケ)が終了を見るまでは問題は発生し続ける

そもそも潰れるほどの困難は起こらない。もし本当に起こってしまったならば、それは逃げ腰、弱腰、諦めの境地の時。困難に立ち向かうことをせず、人に押し付けたり、暗に躱したり、挑むことを止めた時。これが真理。努力と忍耐があれば、必ず乗り越えられる。そうなるように設計してある。難しい面もある。遠因の償いをせずに、忘れていたり、思い出せずにいたりする中で、現状打破だけの手段、手法を労した時、乗り越えられないことがある。人間で生まれているということは、遠因の償いに対する解決、精算の必要があ

国政を預かる当事者へ

国家権力である役人、そして公僕である公務員、国家の政を司る政治家、そして経世済民に奉仕する立場の経営者、真の情報を民に届ける役割の新聞社、出版社、放送局面々の人心の乱れ、堕落、いい加減な所業によって、国は乱れ落魄れていく。時の当事者の罪科、怠慢は、常人の比ではなく、重罪であり、その償いは特に厳しい。これは単なる絵空事ではない。今世で咎めを逃れたとしても、あの世で必ず裁かれる。その立場にあるものは心して聞け。国政を預かる当事者が、そのような損得、忖度、自衛、そして中途半端でいい

錘(おもり)

人間には錘(おもり)が付いている。前世から引きずっている場合は、生まれた時から重い。錘は、欲であり悪。それにいい加減さも加わる。この社会の欲で言えば、物欲や金欲。このモノカネで頭がいっぱいの状態であるならば、それは相当に重たい錘が付いている。加えて、雑学の研究家の類もたくさんの錘を体中に付けている。意識の低い人間が中途半端に語る雑学ほど、重いものはない。それを自分自身の浅はかな欲が引き寄せている。本棚を今一度、見返してみよ。本当に必要なことが、どれほどそこにあることか。人間は

授かった姓名と命数を考える

人間は、誰しもが、生年月日を持つ。そして、誰しもが名前を授かる。この2つの事象には、人生に深い意味があるのか、無いのか。あるに決まっている。生年月日は、命数となる。これは、生まれ変わり以外に変えることは出来ない。無条件で数字が付く。そして、この数字の意味に、人間はとてつもない影響を受ける。命数は、人の本質を表し、素材であり、個性。前世を基にして、理屈抜きの働きをする。命数が同数の人はたくさん存在する。しかし、その個性の表現は異なる。なぜならば、どこで生まれたのかという出生の環

社会も仕事も、人間関係も、生命の営みもすべてこの原理に基づいて成り立っている

物事は、部分は大切な要素であるが、その部分が全体を動かしているわけではない。部分を足して積み上げたところで、全体は統合されない。例えば、すべての臓器を集めてつないだところで、人間は作れない。全体を司る元の元を知らない限り、目は啓かない。物にも生命にも表と裏が表裏一体となって存在する。見える部分と見えない部分が交わり、流れを生み出す。即ち、部分を極めたところで、全体は動かない。この理は、大きいも小さいもない。すべてこの関係性の中で動いている。社会も仕事も、人間関係も、生命の営み

人心はすさまじく荒廃し、地球は荒れ果て、殺し合いが正義となっている

人間は、知らず知らずのうちに、過ちを犯している。世間にはルールや慣習や法律があるが、それに従っていてさえすれば良いというものではない。物事には全て表と裏がある。見える表の世界で誤魔化せても、裏の世界では全てお見通し。自分勝手な物差しを持って、それを良しとし生きているならば、人生が好転していくことはない。人間として生きていく上で、核となる真の物差しが存在する。それは、知ろうと知るまいと、必要であろうと必要でなかろうと、実在する。それは、自然の法則の中にあり、表と裏の両方を統合し

中途半端だから面白味がない

実相は、良いか悪いかのどちらか。その中間はない。はっきりしている。中間は、中途半端。並み。一番楽。大多数がここ。変なプライドを持っている。これが邪魔。賢くもないし、完全に否でもない。良くもなければ悪くもない。人「間」(にんげん)だもの、それでいいじゃない、とする中間。これが一番厄介だ。良く分かっていないのに、分かったふりをする。実は分かっているようで分かってないのだよ。中途半端だから面白味がない。中途半端だから、教えづらい。やるのか、やらぬのか。いつまでたってもはっきりしない

超気候変動問題を解決する最新技術/母なる地球と共に私たちは未来をどう生きるか?

「差し迫る超気候変動❸」超気候変動問題を解決する最新技術/母なる地球と共に私たちは未来をどう生きるか?~大人のためのSDGs超基礎講座(2021年8月24日)※2030年まで継続実施予定 https://www.facebook.com/events/1043566446450461 https://kanglosdgs20210824.peatix.com/view ------------------------ 参考【ダイジェスト版動画】 「差し迫る超気候変動❷」

全て自分自身が、起きた事象の元を作っている

自分に起きた事は、その元の元は、全て、例外なく自分に起因が有る。今までの生き様によるのである。相手の所為ではない。国の所為でもない。会社の所為でも、社長や上司の所為でもない。両親や家族の所為なのでは決してないのである。全て自分自身が、起きた事象の元を作っている。その元も辿らずに、ただ、起きたことに慌てふためいて、すぐに何かに縋ってしまう。困り果てれば結局は、神頼み。この他力本願こそが、事の発端よ。何かに依存したまま、自分で立とうともせず、救いに走るだけ。これでは、一向に人生は