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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年6月の記事一覧

決断せよ

楽をして分かるものなど、何もない。他力本願、寄らば大樹、人任せ、分かったふりをする、これが一番いけない。白か黒か、分かったか分からないか、善いか悪いか、中間はない。中途半端が一番何ともしがたい。失敗したくない。恥をかきたくない。結果が怖い。中間は、並み。一番楽かもしれない。誰かに尻を拭かせる。手も出さず、責任もとらない。傍観しているだけ。これを続けている人類は、滅亡する。どうしても学びきらないもの、悟ろうとしないものは、消えていくしかない。それが実相。実相は、厳しい。楽をして

付け

人間は、この世に生まれた瞬間から、死に向かって生きる。あの世では、生に向かって生きる。ああ、早く生まれ変わりたいと願う。生まれ変わったら、今度こそと思う。即ち、この世が天国だということ。自ら願い、もう一度、生を得たいとこの世に生まれてきたはずなのに、訪れるのは苦労や困難ばかり。ああ、早く死んで、天国に行きたいという願いはナンセンス。この世が天国なのだから。人間は、それぞれ過去世で付けを残してきている。今ある姿は、そのままが過去の生き様。そして、今の生き様のままだと、付けを増や

初めに与えられて生まれてくる

悩みや苦しみがあるとすれば、それは人間としての基本が身に付いていないことに起因している。人生、何の意味合いもなく、恵まれるものではない。自分の中身が変わることによって、実社会での変化が起こり始める。より善く生きようと決心し、行動をし始めれば、次第に細胞も活性化されていく。しかし、中途半端では何も起こらない。自負の善人を装ってみたところで、何も変わらないどころか、むしろ人生の発展性は損なわれていく。人間は、初めに与えられて生まれてくる。そして生かされている。人生を生きる前提にこ

全体性を知るということ

人生とは何か。地球はなぜ存在するのか。死とは何か。お金とは、善とは何か。地球は、まほろば。部分だけが分かったとしても分かったことにはならない。部分の視野を広げ、全体を知る。この学びや体験、実践作業が出来ていない。部分を勉強したことによって、全体が分かっているという錯覚に陥っているだけ。部分と全体は働きが全く違う。それでも部分から分かり、小局と大局を知り、真理を悟る。すべてこの過程を経、人生、地球、死、お金、善悪、運命、宿命、使命、孤独が何たるかを知る。これが人生の道を辿るとい

ショック・コヒーレント

未来は明るいに決まっている・私たちは、未来に何を残せるか?自己組織化の実現/第2期ショック・コヒーレント基礎講座⑨(2021年6月23日)【ダイジェスト版】 https://youtu.be/xnPNi7GFSTM ショック・コヒーレント©基礎講座 募集要項 第3期:2021年7月21日~2021年11月24日(隔週水曜の20時~22時) https://scbc3.peatix.com/view ■第1~2期「ショック・コヒーレント©基礎講座」アーカイブ・オンデマンド映

空白の時は、実は、とても苦しく、辛い

この世に生まれたら、一日一日が貴重な人生。人の一生は、あっという間。長いようで短い。光陰矢の如し。歳月は、人間の都合や意志とは関係なく、過ぎていく。一日一日を無駄にしてはいけない。ボーっと、いい加減に、その日暮らしで、気の向くままも良かろう。その空白の時は、実は、とても苦しく、辛い。だからこそ、「その時」が訪れた時のために、何かをつかみ取っておくべし。人間は、あっという間に歳を取る。気力も体力もあっという間に衰える。こうなると、根気が続かない。こうなる前に、空白の時はそこそこ

今この瞬間に変えることが出来る

人生は、長く険しい道のり。過ぎてみれば、一生の苦しみは、一生の喜び。人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇とも、かの映画俳優は言った。ああ、いい人生だった、生きていて本当に良かった、となるのか、あれもしておけばよかった、これもしておけばよかったと悔いるだけの人生か。それを選ぶのは自分自身だし、今この瞬間に変えることが出来る。しかし、気持ちや思いはあっても、感性を高める努力と日々の苦労と忍耐を避けては成り立たない。結局は、人生は、長く険しい道のりを進ま

夢とか希望とか

人間、才能の有る無しに関わらず、夢、希望を持つべきだ。出来る出来ないは問題ではない。大切なことは、夢や希望が有るかどうか。もし夢や希望を持てていないのであれば、人生の本当の意義や、素晴らしさを自ら捨てていることになる。だから、夢や希望を持ちなさい。無かったらなら、探すべきだ。夢や希望を欲しがるべきだ。もうこの歳になってとか、自分には何の才能もないからと、ぼやき、何もせず、淡々と過ごす日常に別れを告げよ!夢が叶うとか叶わないとか、自分には希望なんて抱いてはいけないなんて、思うこ

成仏の意味

あの世とこの世しかない。この世で悟れなければ、あの世で悟れるわけがない。この世で分からなかった者は、あの世でもわからない。この世で成仏しないで、どこでするというのか。死んで成仏などと、実相はそう簡単なものではないのだよ。【成仏とは何か。日本で俗に言うところの成仏の観念とは、「さとりを開いて仏陀になること」ではなく、死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、「成仏」ができない、ということは、死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指していることがあ

自分が何とかするしかない

ひたすらに人を当てにする。親、親類、知人、会社や国や政府が何とかしてくれるだろうとする。即ち、俗に言う他力本願。自身の努力や苦労、功徳によって道を啓くのではなく、もっぱら神頼み、人頼みによって救済されようとする。自分には何かを成し遂げるなど、そのような能力も才能も力も体力も健康もないから無理とし、寄らば大樹の陰に隠れ、生きようとする。いざと言う時は、お願いすれば何とかなるだろうと思っている。それも良かろう。しかし、往生際になって悔やむことになる。人生は、そばに誰がいようと自分

傘一本ごときで

雨の日のちょいと拝借。傘一本ごとき無くなっても何とかなるだろうと、悪気なき盗み。自分は何も悪いことをした覚えなどない、ちょっと間違えただけ、またいつか返せばいいなどとほざく。こうして人は、たかが傘一本如きで、人生を棒に振る。罪障というものは、大罪であるか微罪であるか、捕まるか捕まらないかに因らない。その性根(心)がモンダイなのだ。どうして人の傘を盗ってまで濡れたくないのか。考えが甘い。こうして人は、世の中を侮り、人を侮り、天を侮る。この心の綻(ほころ)びが、人生を狂わせていく

ゴタクを並べても

うまくいかないことを世の中の所為にしても、他人の所為にしても、何も変わらない。出来ない、やらない理由を並べてもただの屁理屈にしかならない。ああ、どうしたら良いのか?お先真っ暗、五里霧中。焦ってみても後の祭り。どうして自分だけ、こんな目に…。こんちくしょう!!!大変だということは分かる。今の気持ちも共感できる。しかし、先ずは先ず、落ち着いて、じっくり腰を落ち着けて、呼吸を整えて、心を整えて、もう一度、考え直してみる。どこもまずくはない。自分は何も失敗などしていない。ましてや後ろ

未望のままの人生か、希望を叶える人生か

本来、人間は、皆、未来を良くしたいという欲望(大欲)を持っている。しかし、なかなかこれを使おうとはしない。出し惜しみをしている。どうせ世の中こんなものだろう、自分がどう動いても何も変わりはしない、そう嘆いてみたところで、何も起こりはしない。この世界を社会をもっと良きところにしていこう、もっと素晴らしい世の中にしていこうと、一人ひとりが踏み出し、力を合わせて、積極的に作ろうとしなければ、それは実現しない。希望とは、稀な望み。その稀な成就には、稀にみる大変さ、困難が伴う。それを分

この世に生まれた時、運命は既に形成されている

人生における運命とは、自分自身の生き写し。自分そのもの。しかし、今世の運命は、前世からの持ち分として生じているという真理がある。運命とは、この世で形成されるものではない。即ち、この世に生まれた時、運命は既に形成されており、それは、今世の一生を動かす(左右する)。なんぴともこの運命には抗えない。従って、この世での人生は、運命を受け入れながら、ただ、粛々と真理に添う生き方をし、懸命に生きていくこと。そうすれば、自分が望めば次がある。要は、自分の人生を生き切ることだ。 そのことを