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記号論のはなし

昔、現代文を教えてた時、池上嘉彦氏の『記号論への招待』というのを教えた事がある。本文は現代文の出題部分だけだったし、もう何年も前なので内容はほぼ忘れたのですが(忘れたんかーい!)、ふとね、隣の席の先生と話した事を思い出したのでメモのつもりで書いてみる。

隣の席のS先生とは本や漫画を貸し借りする仲で、私より少し年上で、恐ろしく頭の切れる現代文の先生なのだが、オタク仲間というか、サブカル仲間で、空き時間にはいつもアレが面白かったとか、これ知ってる?とかでよく盛り上がっていた。

ある日小玉ユキ先生の『坂道のアポロン』の話になった。

「この前うちの娘にね『この千太郎が葉っぱを咥えてるのはなんだか分かる?』って聞いたら『分からない』って言うから、『これは不良の記号だよ』って教えたの。そしたら記号って事の意味も知らないのよ、全く。K先生(私の事)分かる?」

と仰るので

「記号論すか?」

と訊くと、そうだと仰る。記号論は現代文評論で避けて通れないので勿論分かるけど、「口に咥えた葉っぱ」が「不良の記号」というのは初耳だった。

「もしかして、『ドカベン』の岩鬼から来てるのですか?」

「そう。もうさ、ドカベンを知らない世代には通じないのかもしれないけどさ、少し古い時代設定の漫画だし、そこは絶対に意識した上でのキャラ作りだよね。だから『記号論』を扱う時にこれはもう使えないわ……」

ちなみにwikiでドカベンの岩鬼の項目を調べると、彼の葉っぱはおしゃぶり代わりで、幼い頃から咥えていた。作者は『木枯し紋次郎』にヒントを得た、と書かれてある。まぁ、つまり岩鬼以前からある記号ではないようだし、それ以後もそういうキャラがあったのか、調べてないから知らない(知らないんかーい!)けれども、なんとなく岩鬼のような図体がデカくて、ちょっと厳つくて、札付きのワルで、怖い雰囲気もあるけれどピュアで憎めないキャラ、みたいな要素を込めて、川渕千太郎は葉っぱを咥えたキャラクターに描かれているのだろうということなのだ。

記号論の話としてはすっごく分かりやすい。

現代風に言うと地雷メイクとかも記号だし。服とかいでたちにはみんなそれぞれメッセージがあると言えば若い子だって大概分かる話なので、記号論自体はそんなに難しい話ではない(池上嘉彦氏の本は難しいけどね)。

んで、話を元に戻すと。

ふと思い出したのはTwitterで何か見たからってだけなのです。いや「萌え絵」ももはや一種の記号として見られるから厄介だね、という……それだけなんだけど。いえ、勿論多くの絵師さん達は意識的にそれを使っていると思うので、問題はなく。問題点はそこじゃなく。それを見る側に記号として見える人とそうじゃない人がいるのかもしれないな、と思ったというお話でした(でも少なくとも審査するような立場の人は、その辺の記号は分かってて欲しいかも……という個人的な感想ね)。







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