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描くようになったきっかけ

絵を描くのを好きだと思ったのは大体幼稚園児の頃。編み物教室に通う母についていった3歳〜5歳の頃はぬりえとお絵かき帳があればひとりで黙々と集中して描いていた幼少時代だった。

小さい頃は、学校の課題で作文や詩もよく書いた。小学校低学年の作文は日記の延長のようなものが多い筈なのだが、私のは自分だけの作品集などを見るに、創作オリジナルの童話や詩が多かったのが、大きくなって読み返して驚きだった。

キツネのきょうだいが主人公の話とか(ちょうど『キタキツネ物語』が流行っていた)、短い詩など(新聞の子どもの詩のコーナーや、子ども向けの詩の雑誌など……)読んだ本などにすぐに影響を受けてしまう子どもだったようだ(刺激を受けると書きたくてウズウズするタイプ)。担任の先生からもよく褒められたので、調子に乗ったのだろう。

漫画のようなものを描くようになったのは小学校5年くらいの頃。ちょうど漫画雑誌を買うようになったので(ガラスの仮面の続きがどうしても読みたかった)、自分でもコマを割って描いてみたのだ。しかし大学ノートに描いたので、左から右に流れる、普通とは逆のコマ送りの漫画をしばらくは描いていたようだ(兄がいたので、花ゆめ以外はみんな少年漫画ばかりを読んでいた小学生だったせいか、私の描く漫画は、ギャグ寄りの漫画だったように思う)。

転校生だったし内気な性格だったので、当時は気の合う友達も少なく、最初は1人で描いて誰にも見せていなかった。でもそのうち何かをきっかけに仲間が2人できて、3人それぞれ家で描いてきて、時々集まっては交換して回し読みするようになったのだ。それがとても嬉しかったのを覚えている。

ちょうどそれぞれ読んでいる雑誌の傾向も違っていたので(1人は「りぼん」、もう1人は「マーガレット」とかだったかな〜……もうあんまり覚えていない)それも回し読みしたりして、いい情報交換になった。

その仲間とは小6位までの付き合いになり、中学では疎遠になった(マンモス校で11だか12クラスだかあったから、物理的に離れたのだと思う)。

その後は少女小説雑誌「コバルト」が流行ったせいで、クラスの女子の7〜8割が小説を書く(大学ノートに手書き)という変わった世代の渦中で、私もいくつか素っ頓狂な話を書いていたように思う。大体はSFギャグ、みたいなストーリーだった(当時ハヤカワのSFマガジンとかも流行っていたし、筒井康隆や星新一、眉村卓とかが好きな子も多かったのでそんなのの影響だろうか。コバルトの方は新井素子や氷室冴子とか久美沙織、藤本ひとみ、夢枕獏あたりをよく読んだ記憶。今で言うラノベのはしりじゃないかなぁ)。

学校ではそうやって小説や詩を書く一方で、漫画は中学に入ってから外部の漫画サークルに入って本格的に描くということをし出した。

初めてGペンとカラス口とスクリーントーンを使ってケント紙に描き、同人誌に参加するようになった。こちらは「ぱふ」という雑誌を通じて外部の漫画サークルに入ったのがきっかけで、色々と教えてもらいながら一番成長した時期だと思う(流石にこの頃はもう右から左にお話が進む漫画を描いていた。サークル内では最年少だった。社会人なりたてか大学生位〜高校生くらいの年齢層だったか)。

高校受験を経て、そっちのサークルはなんとなく空中分解……? よく覚えていないが、自分でも身近な創作好きの子たち(主に中学の同級生)と新しいサークルを作って、同人誌を作るようになった。しかしそれもまた大学受験で自然解散になり、大学でも漫研に所属してみたり、出版社に投稿もしてみたりして少しは描き続けたもののあまり向いてないなぁと段々思うようになって漫画は諦めることにした。

普通に就職をし、その後はこのnoteに来るまで、ほとんど全く描かなくなった。とても忙しい仕事に就いたので……。

その仕事を辞めて、少し時間ができた時と偶々noteに出会った時が重なり、またぼちぼち漫画やイラストや小説を描くようになり……今に至るのだ。およそ20年ぶりくらいに漫画やイラストを描いている。まさかそうなるとは全く思っていなかった。自分では絵を描くより本当はお話を書きたいし、実際見るのもイラストより漫画が見たい。だからイラストもストーリーが感じられるイラストが好きだ。

そんなわけで、こんないい歳して漫画を楽しく描いている。note様様だ。

#描くようになったきっかけ
#漫画 #noteでよかったこと

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