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絶望の言葉という救い~不安や孤独や悩みに押しつぶされそうになったときに~(頭木弘樹:文学紹介者)#私が安心した言葉

 つらい現実に打ちのめされて立ち直れずにいるときに、明るい前向きな言葉ばかりが支えになるとは限りません。『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』などの著書がある文学紹介者の頭木弘樹さんに、不安や孤独の闇の中で寄り添ってくれる、絶望の言葉との出会いについて語っていただきました。

 私が最も不安や孤独や悩みに押しつぶされそうになったのは、大学三年生の二十歳のときです。難病になり、医師から「一生治らない。就職することも無理」と言われました。この不安や孤独や悩みは、病気が治ればすべて解消します。しかし、なにしろ一生治らないということなのですから、一生解消されないことになります。

 原因がとてもはっきりしているのに、その原因を解決することができないのです。これには困りました。普通は、困難にぶつかれば、それを克服したり乗り越えたりして先に進むわけです。ところが、もうそれは無理と最初からわかってしまっているのです。

 つまり私に課せられたのは、「問題を解決すること」ではなく、「解決できない問題があるときにどう生きていったらいいのか」ということだったのです。

 自分でいろいろ本を読んだりもしましたし、お見舞いの人が本を持ってきてくれたりもしました。しかし、そこに書いてあるのは前向きな言葉ばかりです。「越えられない壁でも、なんとかして越えろ」という言葉ばかりなのです。それは「治らない病気を、なんとかして治せ」というのと同じことです。

 そうなると、医学的には治らないわけですから、宗教に頼るとか、西洋医学以外の療法に頼るとか、そういうことになってしまいがちです。そういう人たちをたくさん見ました。もちろん、そうしたやり方を否定するわけではありませんが、怪しげな宗教や療法が多数あるのも事実で、悲惨な目にあっていく人も多数目にしました。

 一方で、「治らない病気なら、それを受け入れて生きていく」というやり方を奨励する人も、またたくさんいます。あるがままを受け入れ、むしろそれをよかったと思うようにする。これもたしかに、少なくとも心が救われる方法ではあるでしょう。しかしどう考えても、病気になるよりは、ならないほうがいいわけで、自己欺瞞です。「病気になってよかった」と言っている人でも、もし病気が治るとなったら、治す人がほとんどでしょう。
 自分をうまく騙せればいいですが、なかなか難しいことです。これも一種、宗教的な悟りの境地に近いでしょう。病気で苦しい上に、悟ったりはなかなかできないものです。

 そういうどうしようもないときに、私を安心させてくれたのは、むしろ絶望の言葉でした。

本

 たとえば、カフカのこういう言葉。

「将来に向かって歩くことはできません。
将来に向かってつまづくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは倒れたままでいることです」
 *カフカ(『絶望名人カフカの人生論』カフカ 著/頭木弘樹 編訳/新潮文庫)

 この言葉に出会ったとき、私はとても感激しました。私はまさに、将来に向かって歩くことができなくなり、将来に向かってつまづき、病院のベッドの上で倒れたままだったからです。

「快適な暮らしの中で想像力を失った人たちは、
無限の苦悩というものを認めようとはしない。
でも、ある、あるんだ!
どんな慰めも恥ずべきものでしかなく、
絶望が義務であるような場合が」

 *ゲーテ(『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』カフカ、ゲーテ 著/頭木弘樹 編訳/草思社文庫)
「明けない夜もある」
 *シェークスピア(『NHKラジオ深夜便 絶望名言』頭木弘樹、NHK〈ラジオ深夜便〉制作班 著/頭木弘樹 訳/飛鳥新社)
「ああ、神様、歓喜の一日を、私にお与えください。
心の底から喜ぶということが、
もうずっと私にはありません。
いつかまたそういう日が来るのでしょうか?
もう決して来ない?
そんな! それはあまりにも残酷です」

 *ベートーヴェン(『NHKラジオ深夜便 絶望名言2』頭木弘樹、NHK〈ラジオ深夜便〉制作班・著/頭木弘樹訳/飛鳥新社)

 これらの言葉は、何か問題を解決してくれるわけではありません。また、何かを受け入れろと言っているわけでもありません。ただもう、倒れて嘆いています。そんな言葉は、ネガティブであり、後ろ向きであり、何の役にも立たないはずです。しかし、そのときの私の気持ちには、とてもぴったりとあてはまりました。そのことが孤独を癒してくれました。ここに私の気持ちを完全に理解してくれる人がいると思いました。それだけでもたいへんなちがいでした。

「共感」ということの力を知った強烈な体験でした。絶望しているときには絶望の言葉のほうが、心に沁みて救いとなるということを知りました。

 考えてみれば、失恋したときには失恋ソングを聴きたくなるわけで、自然な心の動きなのかもしれません。しかし、世の中には前向きでポジティブな言葉ばかりがあふれていて、絶望の言葉に出会うのはなかなか難しいことです。そこで私は、のちに自分自身でカフカの絶望の名言を集めた『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)という本を出しました。

 また、絶望したときには、絶望の本を読むほうがいいという読書案内である、『絶望読書』(河出文庫)という本も出しました。多くの読者から昔の私のような共感の感想をいただいています。

 絶望したときには、本を読む気もおきないでしょうが、じつは本がいちばん必要になるのは、そういうときです。教養のためとか、娯楽のためとか、本はさまざまな目的で読まれますが、いちばん肝心なのは、人生が危機に陥って、どう生きていいかわからくなったときのための読書です。

 読書は命綱だと思っています。

 私はこれからも、「立ち直るための本」ではなく、倒れたままでいる人のための、倒れたままで読むための本を書いていきたいと、そう思っています。

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◆執筆者プロフィール

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頭木弘樹(かしらぎ ひろき)
●文学紹介者。筑波大学卒業。大学三年の二十歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)になり、十三年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いになった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文庫)を編訳。
●そのほかの編訳書に、『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』(飛鳥新社/草思社文庫)、『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』(春秋社)。
●著書に『絶望読書』(飛鳥新社/河出文庫)、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)。
●選者を務めたアンソロジーに『絶望図書館──立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語』(ちくま文庫)、『絶望書店──夢をあきらめた9人が出会った物語』(河出書房新社)、『トラウマ文学館──ひどすぎるけど無視できない12の物語』(ちくま文庫)。
●ラジオ番組の書籍化に『NHKラジオ深夜便 絶望名言』『NHKラジオ深夜便 絶望名言 2』(飛鳥新社)。
●落語の本に『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)。
●病気の体験を書いた本に『食べるここと出すこと』(医学書院 シリーズ ケアをひらく)。
●共著に『病と障害と、傍らにあった本。」(里山社)。
●月刊『みすず』で「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」を連載中。
●予約開始中の本、『ひきこもり図書館──部屋から出られない人のための12の物語』(毎日新聞出版)がある。
●NHK「ラジオ深夜便」の『絶望名言』のコーナーにレギュラー出演中。
●Twitter https://twitter.com/kafka_kashiragi
●Facebook  https://www.facebook.com/hiroki.kashiragi
●blog  https://ameblo.jp/kafka-kashiragi


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